2009年5月1日金曜日

電車で西日本 その2

 2009年5月1日、朝4時20分に起床した。冷暖房の選べないエアコンを付けていたせいか寝起きは寒かった。とはいえ風邪が悪化したわけではない様で、どうやら平熱より若干低い程度まで下がったらしい。後は食事を摂って体力をつければ万全だろう。
 基本的に外出禁止なこの時間帯。私に与えられた突破口は避難口だった。4時40分、鍵を部屋に置きっぱなしにし、非常口へと向かう。扉を開けるとそこに階段はなく、ハッチを開けてハシゴを降りねばならなかった。こんな時間にチェックアウトする私も私だが、こんな手段を与えるホテルもどうかと。個人的には貴重な体験が出来て悪い気分ではないが。

 まるで人気の無い早朝の松江。薄らと空に明るみを感じるが、未だ”暗い”という表現が適切な状態だ。何気に行きたかったピンサロ”プリンプリン”を探しながら駅へと向かうが、朧げな記憶では見つける事が出来ず、15分とかからず松江駅に到着した。
 駅前のコンビニで朝食を買い、駅の自動券売機で自由席特急券を購入。5時12分のやくも2号に乗り備中高梁を目指した。
 特急内はかなり空いていて、米子を過ぎてもまだまだ余裕がある程だった。車両が短い事もあり喫煙デッキも遠くなく、車内は快適。松江-米子間で見えた中海、備中高梁まで降りる際に見えた山々、そして日の出、車窓も素晴らしいものだった。新見を過ぎた辺りで井倉洞の看板が見えた。こんなところに鍾乳洞があったのだ。全国の主要な鍾乳洞は制覇したい私にとって、この土地はまたいつか訪れねばならないだろう。さらに先で見えた滝も興味深いものがあった。

 7時6分に備中高梁に着き、駅前の観光案内所(タクシーの営業所)へ向かった。如何に高梁の街を堪能するか、如何に松山城へ行くかが決まっていなかったからである。タクシーだと一般車両が行ける最終地点である鞴(ふいご)峠まで1,100円。帰りに鞴峠まで呼び出せば追加で300円。松山城の開城が9時なので行きは徒歩確定として、帰りは9時50分備中高梁駅発の相乗りタクシーが鞴峠から帰るところを捕まえれば、追加料金なく乗る事が出来る。
  案が纏まったところで街中を歩き始めた。通りがけに高梁基督教会を見て、さらに武家屋敷の前を通り過ぎて、7時50分には中国自然遊歩道の入り口に着いた。そこから登る事900m、8時5分に鞴峠に到着した。急いで登ったところで入城できるわけでもないので、ここで10分ほど休憩。トイレは無いものの自販機はあるので休むのに悪くない。鞴峠から700mで天守には着く。200m登った辺りから綺麗な石段となり、さらに200mほど登った辺りだったろうか、これだけ高い場所にあるとは思えないほど立派な石垣が見えた。石垣の中腹にはトイレがあり、そこから天守は間もない。公式サイト曰く”鞴峠から天守まで20分”、御老体のペースといったとこだろうか。

 開城まで時間があったので、天守の周りを歩きつつ吊り橋への道を探した。天守裏手の水の手門跡から山を下っていくと、備中松山城跡への道標があった。とりあえずそれに従って歩いてみたが、城跡といっているだけあって楽しいものは無い。しかし吊り橋まで200mの道標を見つける事が出来たのは幸いだった。完全に水が死んでいる溜め池を右手に見ながら吊り橋へと向かう。獣避けなのか2枚の鉄格子の扉に閉ざされた立派な吊り橋。そこから見えるのは木と山だけだが絶景である。
 そうこうしてたら9時になったので、松山城まで700mの道のりを戻った。鞴峠からの道のりと同距離か・・・。溜め池近くから大松山城跡へも行けるらしいが、しょせん城跡である。これ以上の体力は使いたくない。
 吊り橋から15分で松山城に戻れた。外見は立派だが内部は質素な松山城天守。まぁこれを再築しただけでも功績を讃えられる。300円の入城料は、その功績に対する敬意とすれば高くはない。
  サラッと内部を舐めて9時40分には鞴峠に戻ってきた。タクシーが来るのを待とうかと思ったが、時間はあるし1,100円は安くないので、とりあえず徒歩で下ることにした。登山口のバスを過ぎて間もなく左折したところ、背後で車の通り過ぎる音が聞こえた。10時5分、鞴峠に行って帰って来た相乗りタクシーが通り過ぎた音である。タイミングの悪さに嘆きつつも、仕方なく駅まで歩き続けた。10時半には備中高梁駅に到着。コンビニで甘い物と冷たい飲み物を買い、エネルギーを補充。Macbookで時間を潰し11時5分の特急やくもに乗車。喫煙可の自由席があったのは嬉しい限りだ。
  11時38分、岡山に到着。まず何よりもしたいのが”ウンチ”である。汗がひいて体が冷えたのか、少しお腹がくだり気味だった。岡山の為に取っておいた時間は2時間。岡山城しか用はあるまいと思っていたら、そこにあるのは都会だった。これは楽しそうである。いきなり駅前の噴水が素晴らしい。そして路面電車があるのも素晴らしい。
 路面電車に乗って城下へ。100円と良心的な値段だ。城下から岡山城までは少し歩く。私は後楽園方面を回ったのだが、後楽園も後楽園で楽しそうだ。河を挟んで右は岡山城、左は後楽園、この光景が気に入った。
 岡山城は実に綺麗で新しさを感じる。歴史的価値を求めなければ親しみ易い城だろう。天守は大きく、威厳を感じさせる漆黒。天守内に興味はないので、橋を渡って後楽園へと向かった。あまり時間がないため金を払ってまで後楽園に入る気は起きなかったので、南口の手前で引き返したが、南口近辺にある茶屋から岡山城を眺めながら食事を摂るのは悪くないと思った。
 時間に余裕があったので、そのまま徒歩で岡山駅へ。街を知るには歩くに限る。しかし横道に逸れることもなく岡山駅に到着し、新幹線を待ちながら休憩をした。

 正直なところ、かなり足に負担が来ている。スニーカーとはいえベストな履き心地の物を選んだわけではなかったので、備中高梁でのトレッキングが相当応えているのだ。
 13時43分、姫路に到着し姫路城へと歩き始めた。地図で見ても人から聞いても駅から近い姫路城。しかし、この日の私にはとても遠かった。片道20分、そこに待っていたのは広い敷地と美しく巨大な天守。全部周っていたら予定している14時51分の新幹線にはとても間に合わない。そもそも足が保つか分からない。
  とりあえず金を払って入城し、天守へと向かった。天守を目前にした時、確実に無理な事を悟った。しかしそれで良い。間違いなく姫路城は日本で最高のお城だ。そんな城だけにベストな時期にベストな服装と体調で来たい。城内を歩いていて、どれだけ花の咲いてぬ桜の花が気になった事か。
 これなら15時14分の新幹線には乗れると思い姫路城を後にするものの、敷地を出る手前で再び便意が襲ってきた。その勢いは早く、天守に登っていれば危うく内部の何処かで垂れ流していた事だろう。これのお陰でさらに時間が取られ、再び時間が危うくなった。悔しいが630円払ってタクシーに乗り姫路駅へ向かい、15時14分の新幹線には間に合った。が、新幹線自体が6分遅れた。
 16時3分、新大阪に到着。コインロッカーに荷物を入れ、堺東へと向かった。堺市役所の展望台から一望できるという大仙陵古墳。これを見る事が目的なのだが、その実態は”一望できるが鍵穴型なのは分からない”だった。最大の仁徳陵はともかく、履中天皇陵どころか一番近くて小さい反正天皇陵すら鍵穴の形に見えない。この土地に足を踏み入れたところで、ただ木が生い茂っているだけの場所である。空から見ない限り夢が叶わない事は分かったので、大阪での目的はアッサリと終わった。新世界で串カツを食べるつもりだったが、そこまで行くのも面倒臭く、堺東で”餃子の王将”に寄って夕飯を済ませた。一度は行ってみたかったのだが、一度行けば十分だった。地元でも出来る事ではあるが、今回の大阪のテーマは”諦める”って事だろう。

 そのまま東淀川の新大阪サンプラザホテルへ直行。とにかく足である。足の具合が心配である。結果、右足にマメが2つ、小指は何時つぶれてもおかしくない。左足の小指にも候補が1つ。絶望的である。ホテルがくれたコンビニの割引券500円分が、バンドエイドによって半分以上失われてしまった。
 ちなみに体温は37.3度。あの突然の便意は、新たな風邪の兆候だったのか?まぁ病み上がりで汗をかきまくりながら散策していたので、当然と言えば当然。一昨日まで38度以上あったのが、そう簡単に治るはずもなし。

 新大阪サンプラザホテル、インターネットは有線なので速度的に安心。コインランドリーは、宿泊者は無料という素晴らしいサービス。1泊3,900円でこれなら満足できる。

 とりあえず風呂に入って右足小指のマメを潰し、翌日の彦根〜岐阜〜犬山に備えて休息を取った。本日の反省というか、次回への繋ぎとしては、”桜の咲く頃に姫路城へ”と”日本三名園の一つ後楽園へ行く”である。やはり日本三名円の一つ兼六園といい、目の前まで行って諦めているので、いつか水戸の偕楽園に行く時は気をつけたいものだ。

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