2010年3月13日土曜日

雨山で遭難寸前

 2010年3月13日、5時30分に起床し6時20分には自宅を発った。仕事の日は7時の起床でも愚図るのに、こういう時は別物である。
 空を見ると大半が雲で覆われているものの、雲は高く山々の山頂が見える。天気予報も曇り時々晴れ的な予報をしているので、たぶん雨には見舞われないだろう。
 
新松田駅前から6時55分の富士急バスに乗って寄へ。久々に雨の降らない週末なので、丹沢方面へ向かう人も何人か見れた。
 7時16分に寄に到着し、川沿いを北上開始。そこには驚くことに河津桜が並んでいた。もう完全に見頃を過ぎたと思っていただけに、なんとも嬉しい出だしである。
  さらに道中で廃車を発見し興奮。写真ばかり撮っていて、なかなか足が進まない。
 7時52分に寄大橋のある稲郷に到着。何やらオレンジ色の方々が大勢いた。後で知った事だが、鹿の間引きをする猟師さん達らしい。
 キャンプ場を通り過ぎて、8時57分に登山道入口に到着。写真を撮りながらとはいえ、結構な距離である。
  雨山峠へはひたすら寄沢沿いを登っていくので、夏でも気持ちが良いだろう。
 最初の沢越えは難関に感じたが、すぐ下流に橋があった。全体的に橋の数は少ないので、どう渡るかは自分の勘が物を言う。時には沢に倒木が一本だけ架かっており、どうしたものかと悩んだが、冷静に石づたいに渡った。
  そうして登っていくと、徐々に残雪が増えてきた。雨山峠に近づくにつれ増えていく残雪。雪の積もった細い道は、足を滑らす事を恐れさせてくれた。

  道標が点々とあるので迷う事はなかったが、雨山峠まで残り400mから先で迷った。道が多岐に分かれ、いずれも進もうと思えば進めそうな雰囲気だからだ。それに惑わされず、主流沿いを進もう。

 そうしていると傾斜がドンドン急になる。雪で分からぬが実際はどんな道になっているのか疑問な傾斜だ。しかし先駆者の足跡が続いていたので辿ってみたが、尾根直前で足跡は消え滑ったような跡だけがあった。確かに尋常ではない傾斜だが、ここまで登ってしまったので枝を掴んだり、ガッチリ雪を踏み込んだりして登りきった。しかしそこは尾根道と呼ぶには細すぎた。むしろ道ではない。どうやら先駆者は、滑っておりて正しい道へと戻ったのだろう。しかし、それはそれで危険な傾斜である。道標が見えたので、その方向に向かいつつも、ついでに上へと上へと登っていった。
 9時50分、こうして雨山峠を通過する事なく雨山への尾根道に到着。肉体的にも精神的にも疲れたので、もはや雨山峠はどうでも良い。
  細い尾根道、強い横風、疲れた体。山頂はまだかと登り続けていたら、木の道標があったのでこれを山頂と思い休憩を撮った。10時13分の事である。ここでサンドイッチを食べて一服。
 そこから歩いてすぐに雨山山頂があった。10時30分に到着。木々が少し邪魔だが、寄と山々が一望できた。
  進行方向に同じくらいの高さの山が見える。次の目的地である檜岳だ。やはり一度下らされ、再び山頂へ向けて登る。急な傾斜ではあるが、そのぶん距離は想像よりは短かった。普通なら。
 登っている最中、左手に作業員の姿が見えた。さらには木に赤い道標が付いている。あちらが登山道かと思い、強引に進路変更。結果としては誤りである。
 新しい登山道でも作っていたのだろうか。お陰でまた余計な体力を使ってしまった。

 11時02分に檜岳に到着し、オニギリを1ヶ食べ、一服して出発した。ベンチは多いものの、景観は西側に少し望めるぐらい。今回のコースは、全体的に景観の良い場所が無い。

 檜岳山頂を出発すると、広々とした雑木林が続いて何処でも歩けてしまうので、道を見失ってしまった。正しくは尾根を歩いていくのだが、逆の尾根を歩いたり涸れ沢の様な場所を歩いたりして疑問を抱いていた頃に、木製の階段を発見して謝っていないと思ってしまった。
 そこから先の道も、どうにも登山道と呼ぶには荒れ過ぎていた。終いには倒木で道が塞がれ、強行突破をしようとしていたが、ここで稲郷で見かけた猟師の方が声を掛けてくれた。私の歩いていたのは獣道で、猟師の方がいるのが作業道。登山道は私より2本上の尾根道だったらしい。この方に会わなければ完全に遭難である。疑問に思ったら立ち止まり、時には引き返す事も大事である。

 強引に尾根道へ戻り、先へ進んで11時46分、伊勢沢ノ頭に到着。地図には名称の載っていないピークである。さらに先を進んで行くと、林業の方々っぽい人達が休憩を摂っていた。こんな所まで仕事で来るなんて、私には耐えられぬ職種である。ただこれは秦野峠が近いとも取れるのか。そう思いきや、そこから先は急勾配の下りが延々と続いた。進路を外れてしまい立ち止まって正しい道へと戻るのを、何度した事か。
  12時20分に秦野峠に到着してホッとしたが、ここから林道秦野峠まで20分かかった。激しいアップダウン、両サイドを鉄条網に挟まれた狭い道、とにかく楽しいところが何もない。

 林道秦野峠で残りのオニギリを食べ、シダンゴ山方面へ進行開始。一応道標にも、小さく高松山と書いてあった。
 出発してすぐに右手に登山道を発見、したものの道を枝で塞がれていた。ここは強行突破をしたが、とにかく急な登り坂。また間違ったかと思いながらも登り続けた先に、シダンゴ山と高松山への分岐を発見した。
  ここからもアップダウンが続く。横風は強いわ、景観は望めないわで、退屈な道中。足は痛いが進むしか他ないので進み続け、13時半、鉄塔があったのでここで休憩。試しにiPhoneの機内モードをOFFにしたら電波を拾ったので、GPSで位置確認をしてみたが、周りに何も無さ過ぎて参考にならなかった。
 鉄塔から15分程で西ヶ尾に到着。何もない山頂である。そういえば、西ヶ尾の道中で本日越えた山々を見れる場所があった。まぁその程度である。

 高松山への道中には2つの道標がある。一方には道標の裏に小さく高松山と書かれているだけだったので、この山の存在が疑わしく思えた。
  14時22分に高松山山頂に到着。景観は山北方面が少々見える程度だが、広々して頭上の開けた山頂は気持ちが良い。10分ほど休み、最後の下山を開始した。
 これまでに比べれば歩き易い傾斜で、15時に尺里峠に到着。この近くの第六天(最明寺史跡)から高松山と富士山が見えるらしいが、今日の富士山は雲に隠れているので省略した。

 尺里峠から下り始めてすぐ、何かを飼育しているのか何かしらの施設があった。流石に不法侵入はしなかったが、道中から転落したトラックを発見。これはたまらず写真を撮りに近づいてしまった。まだまだ楽しそうな施設な気がする。
  やたらと廃車の止まった民家。古い校舎の高松分校。男子便器だけでなく和式便器もドアが無くて丸見えの、ニーハオ的トイレ。集落ならではの雰囲気は味わえたのは良かったが、ここから町までがとにかく遠い。気が遠くなるほど遠い。この人たち、なんでこんなところに住んでいるわけ?
 しかも、高松集落から尺里までの道中は、まるで見所がない。山ゆりの滝というのがあったが、どうでも良い。車と同じ道を歩かされるだけに、無駄に蛇行していて長い。登山道を用意してくれ。
 尺里の家々が見えて一安心。川沿いの菜の花が綺麗である。高速道路の下に綺麗な公衆便所あったので入ってみると、便所の真ん中に大量の大便が落ちていた。嗚呼・・・あと二歩ってとこだったかな。ここで力尽きてしまったのだな。

 高松山入口のバス停までもう一息。本数が少ないので、一本逃したら先が長い。そう心配しつつ道へ出たら、バスの後ろ姿が見えた。不安的中である。
 16時40分に高松山入口バス停に到着。先ほど見たバスは38分発。幸いにも、土日は49分というバスもあった。これで新松田駅に戻り、川音川沿いの駐輪場からバイクで帰宅。

 9時間20分の山登り。2009年の大室山を超える所要時間である。しかし、丹沢主稜縦断はこんなものではない筈だ。

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