2018年5月6日日曜日

シュレーディンガーのパンツ

私が生涯でパンチラを目撃した回数は、片手で足りるかもしれない。何とも運のない男である。

先日、電車の中でパンチラを目撃した。反対側の座席に座った際、斜め前方にパンツが見えた時は目を疑った。座席に座って足を広げてれば、そりゃ見えるわ。チラというよりモロである。嬉しくもなく、見え過ぎて残念なぐらいだった。

女性の下着のどこに興奮するかは人それぞれだが、私の場合は見られたくない事に価値がある。下着自体には全く興味がない。
見せたくない物だからこそ見たいのだ。見せて良い物ならば、見たくもない。でもその線引きが難しい。
見えそうで見えない。最も夢のある時間である。ここで見えてしまうとパラドックスが発生してしまう。
当の本人からして、決して見せたくなければ私は見たかったし、見られて困るものでなければ私は見たくなかった。その答えを知るには、当人に「パンツ見えましたよ」と聞いてみなければならない。その反応をもってして、私が見たかったか否かも決まるのだ。なんともリスクの大きい証明である。

私が見たいのは下着ではない。その先にある恥じらいだ。もちろん対象は限定される。
そうやって、私は結果を出さぬ楽な生き方へと逃げていく。

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