東京サマーランドを過ぎれば流れは順調で、10時35分、東青梅のコンビニで一服した。お腹が空いていたものの、12時頃に鳩の巣で食事を摂りたかったので我慢した。県道45号で奥多摩方面へ行こうとしたが、この45号に入った瞬間渋滞。何処まで続くか分からないが、道幅が狭ければアウトなので、国道411号で奥多摩を目指す事にした。軍畑の辺りから混み始めてきた感はあったが、部分的な渋滞ばかりなうえ、すり抜けもし易い広さだ。渋滞のピークは御岳であり、そこを過ぎれば快適なものだ。鳩の巣で目を付けていた店が見当たらず素通り。他で食事を摂ろうと思いつつも、気づけば奥多摩に着いてしまった。駅周辺ではバイクの停め場所にも悩むので、日原鍾乳洞周辺で食べれるだろうと思い先へ進んだ。
日原鍾乳洞へと続く県道204号。この道中には廃村・倉沢があるだけに、集落など無いと思っていた。しかし途中には大沢があり、一番奥の日原にすら結構な民家があった。
県道204号は車幅が狭く、車が2台走れる場所は多くない。休日で混んでいる事もあり、交通整理がいる程の渋滞。日原鍾乳洞の直前では、駐車場の空き待ちの渋滞が起きていたが、ここで黙っていてはバイクの意味が無いので尋ねたところ、すんなり行かせてくれた。こうして12時10分に到着。
国内有数の鍾乳洞なだけあって、中はかなり広い。しかしそれだけだ。広いだけに歩き易く、道筋は複雑で、まるで巨大迷路の中にいる様である。鍾乳洞初体験の方には楽しいかもしれないが、他を見た人間からすると退屈な鍾乳洞である。
鍾乳洞入り口より下流に食堂があったのは知っていたが、バイクは上流に停めてある。上流に駐車場があるぐらいなのだから飲食店もあるだろうと思ったが、閉鎖された建物があっただけだった。奥多摩湖湖畔で食べれば良いと思い、13時10分に日原鍾乳洞を発った。
出発してすぐ、交差待ちの渋滞が発生。バイクだけ先に行けないか尋ねたところ、駄目だと言う。バイクと車なら交差出来る広さなので、何故駄目なのかは分からない。とにかく駄目なのだ。反対側から来る車の少なさに苛立ちを覚えつつ、20分は待たされただろう。どうにか前に進めたものの、私の前にはワンボックス。日原の集落など反対車線とすれ違う場面になると大苦戦である。頼むから車幅の広い車は、奥まで来させないでくれ。
県道204号沿いにある倉沢のバス停付近にバイクを停車。ここから県道沿いを少し登ったところに、倉沢のヒノキへと向かう階段がある。片道15分の登り道。傾斜は緩やかで、多くの人が登っているのか歩き易い。倉沢のヒノキから先は道が2つに分かれている。左は道の様な道ではない様な。少し歩いてはみたが、たぶん得るものはない。右の道を5分ほど歩くと廃村・倉沢である。しかし、そこには既に建物は無かった。唯一の家屋は、倉沢まで最後まで住んでおられた方の住居のみ。近くには墓石もあり、死してもなお倉沢と共にある感じがした。そんな想いも気にせず唯一残された家屋に踏み込むような性格はしていないので、上から家屋を眺めただけで退散した。確かにここの景色を見ていると、離れたくない気持ちが分からなくもない。まぁ不便な事は間違いないが。
14時30分に倉沢を発った。行きに気になっていたのが、白妙橋で頭上にあったトロッコ。これをどうにか見れないかと、大沢で道を逸れてみた。どうにもトロッコ方面へ向かっている気はしないが、上へ上へと走っていると集落を発見。これはこれで味わい深く、満足したのでトロッコは諦めた。後で調べたところ、現役の無人トロッコらしいので、どちらにせよ見れなかっただろう。ちなみに、少し時間が押していた為、大沢の大増鍾乳洞には寄ってこなかった。
国道411号へ戻るため走っていると、目の前に巨大なプラントが現れた。行きには全く気づかなかった場所である。これが廃墟なら凄いと思ったのだが、これは既に奥多摩駅裏で。そんな場所にこんな巨大な廃プラントが残っている筈もない。そう思い素通りしたが、帰って調べてみると廃プラントだった。これは年内に電車で奥多摩へ出直す必要がある。
ガムを噛んでいたせいか空腹感は消えていたので、ひたすら奥多摩湖湖畔を走り県道206号へ。少し登った先の駐車場で人々が景色を眺めていたので寄ってみると、そこからは良い感じで奥多摩湖が見えた。かといってノンビリもしていられないので先へ。
長い道のりを走っている内に、自分の進んでいる方角が分からなくなった。檜原村で道が分岐していたのだが、標識を見てもどちらが目的地方面だか分からない。ここで地図を確認するべきだったのだが、なんとなく五日市方面へ向かってしまった。これが大きな誤りである。本来なら上野原へ抜け相模湖経由で宮ヶ瀬湖へ行く予定だったのだが、”上野原”というポイントを覚えていなかった。あきる野で長い渋滞に掴まった際に現在地を確認したところ、南へ向かう筈が東へ来てしまった事に気づいたのだが、引き返すのもかったるい。かと言って、このまま進むのはかなりの遠回り。答えは簡単そうなのだが、これも道の状態によって変わるものだ。曲がりくねった道を戻るより、このまま八王子に出た方が早いと思って進んでみたが、五日市に入るまでは逃げ場の少ない渋滞で後悔した。
県道33号から県道32号、県道61号から県道47号と進み、次は県道48号と思いつつも、気づけば相原駅まで来ていた。国道16号にはスンナリと行け、次なる国道413号には確実に乗るべく慎重に走った。国道413号に乗れば津久井町まで一本である。安心できたところで、津久井湖の手前でコンビニに寄りオニギリを3つ食べた。やはり私の旅において、食事の重要度というのが低い。
県道513号で宮ヶ瀬湖へ。宮ヶ瀬湖にぶつかった瞬間、鬼の様な渋滞が待っていた。花火狙いの渋滞である。私の目的も宮ヶ瀬湖の花火なので、この渋滞に紛れた。しかし猶予はないので、反対車線の車が少ないのを良い事に強引な追い抜き。虹の大橋に至っては、反対車線を逆走しっぱなしである。多くの四輪車をブッチギリ、19時前には湖畔園地の駐車場に到着。撮影の準備をし、花火の上がる19時半を待ち望んだ。
外灯の無いヤビツへの道のり。私の前に車が走っていたので後をついていったのだが、道を譲られてしまった。しばらくして別の車に追いついた。今度は譲られぬ様に距離を置いて走る。しかしこれも、頂上まで後少しというところで譲られてしまった。道が良くなったのを機に、私が距離を縮め過ぎてしまったからだろうか。
ヤビツからの夜景は絶景である。しかし、展望台から写真を撮ろうとすると木々が邪魔な事を知ったので、アッサリと展望台を立ち去った。20時50分には国道246号へ出て、後はひた走るのみ。決して燃費の良い道のりでは無かったので、かなり不安はあったものの、無事に地元のスタンドまで辿り着けた。1ℓ辺り26kmちょい。あれだけアップダウンしながらもこの燃費なら悪くない。
何故か自宅に帰るのがかったるく、近所のコンビニで休憩を摂った。自宅に着いたのは21時40分。結局時間に追われた旅だった。
出発してすぐ、交差待ちの渋滞が発生。バイクだけ先に行けないか尋ねたところ、駄目だと言う。バイクと車なら交差出来る広さなので、何故駄目なのかは分からない。とにかく駄目なのだ。反対側から来る車の少なさに苛立ちを覚えつつ、20分は待たされただろう。どうにか前に進めたものの、私の前にはワンボックス。日原の集落など反対車線とすれ違う場面になると大苦戦である。頼むから車幅の広い車は、奥まで来させないでくれ。
県道204号沿いにある倉沢のバス停付近にバイクを停車。ここから県道沿いを少し登ったところに、倉沢のヒノキへと向かう階段がある。片道15分の登り道。傾斜は緩やかで、多くの人が登っているのか歩き易い。倉沢のヒノキから先は道が2つに分かれている。左は道の様な道ではない様な。少し歩いてはみたが、たぶん得るものはない。右の道を5分ほど歩くと廃村・倉沢である。しかし、そこには既に建物は無かった。唯一の家屋は、倉沢まで最後まで住んでおられた方の住居のみ。近くには墓石もあり、死してもなお倉沢と共にある感じがした。そんな想いも気にせず唯一残された家屋に踏み込むような性格はしていないので、上から家屋を眺めただけで退散した。確かにここの景色を見ていると、離れたくない気持ちが分からなくもない。まぁ不便な事は間違いないが。
14時30分に倉沢を発った。行きに気になっていたのが、白妙橋で頭上にあったトロッコ。これをどうにか見れないかと、大沢で道を逸れてみた。どうにもトロッコ方面へ向かっている気はしないが、上へ上へと走っていると集落を発見。これはこれで味わい深く、満足したのでトロッコは諦めた。後で調べたところ、現役の無人トロッコらしいので、どちらにせよ見れなかっただろう。ちなみに、少し時間が押していた為、大沢の大増鍾乳洞には寄ってこなかった。
国道411号へ戻るため走っていると、目の前に巨大なプラントが現れた。行きには全く気づかなかった場所である。これが廃墟なら凄いと思ったのだが、これは既に奥多摩駅裏で。そんな場所にこんな巨大な廃プラントが残っている筈もない。そう思い素通りしたが、帰って調べてみると廃プラントだった。これは年内に電車で奥多摩へ出直す必要がある。
ガムを噛んでいたせいか空腹感は消えていたので、ひたすら奥多摩湖湖畔を走り県道206号へ。少し登った先の駐車場で人々が景色を眺めていたので寄ってみると、そこからは良い感じで奥多摩湖が見えた。かといってノンビリもしていられないので先へ。
長い道のりを走っている内に、自分の進んでいる方角が分からなくなった。檜原村で道が分岐していたのだが、標識を見てもどちらが目的地方面だか分からない。ここで地図を確認するべきだったのだが、なんとなく五日市方面へ向かってしまった。これが大きな誤りである。本来なら上野原へ抜け相模湖経由で宮ヶ瀬湖へ行く予定だったのだが、”上野原”というポイントを覚えていなかった。あきる野で長い渋滞に掴まった際に現在地を確認したところ、南へ向かう筈が東へ来てしまった事に気づいたのだが、引き返すのもかったるい。かと言って、このまま進むのはかなりの遠回り。答えは簡単そうなのだが、これも道の状態によって変わるものだ。曲がりくねった道を戻るより、このまま八王子に出た方が早いと思って進んでみたが、五日市に入るまでは逃げ場の少ない渋滞で後悔した。
県道33号から県道32号、県道61号から県道47号と進み、次は県道48号と思いつつも、気づけば相原駅まで来ていた。国道16号にはスンナリと行け、次なる国道413号には確実に乗るべく慎重に走った。国道413号に乗れば津久井町まで一本である。安心できたところで、津久井湖の手前でコンビニに寄りオニギリを3つ食べた。やはり私の旅において、食事の重要度というのが低い。
県道513号で宮ヶ瀬湖へ。宮ヶ瀬湖にぶつかった瞬間、鬼の様な渋滞が待っていた。花火狙いの渋滞である。私の目的も宮ヶ瀬湖の花火なので、この渋滞に紛れた。しかし猶予はないので、反対車線の車が少ないのを良い事に強引な追い抜き。虹の大橋に至っては、反対車線を逆走しっぱなしである。多くの四輪車をブッチギリ、19時前には湖畔園地の駐車場に到着。撮影の準備をし、花火の上がる19時半を待ち望んだ。
花火が上がり始め、撮影を開始する。最大の敵は煙である。「花火を取るなら海上花火が良いだろう」そう学び、花火が終わるのを待たずに会場を後にした。この花火客が一斉に帰り出したら、とてもじゃないが何時に帰れるか分からないからだ。他にも同じ事を考えている人々がおり、花火途中にして駐車場へと歩いている。「なんとも風情を大事にしない奴らよ」と、自分を棚に上げつつも思っていた。
駐車場を出ると、そこには多くの路駐者がいた。なんとも惨めな姿である。そこで気づいたのが、彼らの強引なUターンである。花火に見切りをつけ帰り出そうものなら、強引なUターンによる無駄な渋滞が起き兼ねない。路駐が何処まで続いているか分からぬ以上、このまま県道64号を進むのは危険と感じ、不本意ながらヤビツ峠を越える事にした。外灯の無いヤビツへの道のり。私の前に車が走っていたので後をついていったのだが、道を譲られてしまった。しばらくして別の車に追いついた。今度は譲られぬ様に距離を置いて走る。しかしこれも、頂上まで後少しというところで譲られてしまった。道が良くなったのを機に、私が距離を縮め過ぎてしまったからだろうか。
ヤビツからの夜景は絶景である。しかし、展望台から写真を撮ろうとすると木々が邪魔な事を知ったので、アッサリと展望台を立ち去った。20時50分には国道246号へ出て、後はひた走るのみ。決して燃費の良い道のりでは無かったので、かなり不安はあったものの、無事に地元のスタンドまで辿り着けた。1ℓ辺り26kmちょい。あれだけアップダウンしながらもこの燃費なら悪くない。
何故か自宅に帰るのがかったるく、近所のコンビニで休憩を摂った。自宅に着いたのは21時40分。結局時間に追われた旅だった。
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