2011年1月4日火曜日

老化という現実

 あれは元旦に大山へ登った時の事です。あまりに現実的すぎて、イロイロと考えさせられました。

 とある公衆便所での事です。私が用を足してると、どこぞの爺様が怒鳴っているではありませんか。それは女子便所で自分の婆様を怒鳴っているのです。どうやら婆様が・・・何と言いますか、少し緩んでしまったようですね。
 私の婆様もそうだったのですが、こうなると家族は大変です。特にツライのは爺様でしょう。生涯連れ添った相手がヤレヤレな感じになってしまうのですから。
 でもですね、どんなに怒鳴っても連れ添っているわけです。それが愛なのか何なのか知りません。もし愛だとすれば、夫婦の絆の深さを感じます。それだけの絆を私に築けるのでしょうか。
 そしてもっと現実的に、自身の頭が緩む事への恐怖を感じました。

 そして電車内。電車が駅に着いて間もなく、婆様が自分の下りる駅だと気づいたようです。慌てて下りようとする婆様ですが、歩くペースからしても間に合いそうにありません。そして挟まれました。
 まぁ電車のドアですから、すぐに開いて婆様も怪我なく歩いて行きました。流石に挟まれた時には近寄ろうとしましたが、そうなるだろうと思っていたのだから、予め自分がドアを押さえる様にしていれば良かったと、自分の物足りなさを反省です。
 しかしこれも、老いるという現実を目の当たりにさせられました。

「老い」

 それは止めようのない現実です。願わくば、そうなる前に幕を閉じたいものです。でもそんなのは分かりません。私みたいなのに限って長生きしてしまうのかもしれません。
 そんな現実を突きつけられた元旦。今年で私も37歳。今の内から頭も体も鍛えとけって事なのでしょうか。

 年末ジャンボ1万円が当選した大晦日とは裏腹に、深く考えさせられる元旦でした。

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