2010年3月21日日曜日

芦ノ湖、北から南

 2010年3月21日、昨日の黄砂が舞う晴れとは違い快晴である。小田原駅7時発のバスに乗るため、友人2人は朝早く起きて遠方から来るので、私が遅刻をするわけにはいかない。5時半に起床し支度を済ませ、6時20分には家を出て自転車で小田原駅まで行った。

 無事に集合できたので、コンビニで御飯を買っていざ出発。流石にバスは空いており、最後尾の席を陣取って優雅に過ごした。
 仙石原までの料金は980円。時間通り7時40分に到着し、ここから乙女口までバスで行こうとしたが、バスは当分なかった。これは私の下調べミスである。
 仕方なく徒歩で乙女口へ向かった。途中に公衆便所は2ヶ所あるので、必ず用を済ませておこう。

 8時16分に乙女口に到着し、いざ乙女峠への登山道へ。普通の山道ではあるが、やたらと木の根がむき出しになっているのが目に付いた。
 足場が岩場になると、かなりの惨状を目にする。あまりにも倒木の量が多いのだ。まだ倒れたばかりなのだろうか、終いには登山道が崩落していた。これは脇に反れて回避し、9時8分に乙女峠に到着。乙女茶屋の寂れ具合が気に入ったが、本日は距離が長いので立寄りはしなかった。とはいえ、総合的に見て休憩は多かった。3人とも喫煙者なので喫煙タイムを欲し、かつ皆が末っ子なので我侭なのである。
  延々と続く尾根道。傾斜は緩く快適に進めるのだが、次の目標地点である丸岳は見るからに高かった。しかし進んでみると近いもので、9時33分にNTTの中継所下に着いた。頂上だと思ってノンビリしていたが、頂上はこのすぐ先。9時46分に頂上へ到着し、これはこれで休憩を摂った。

  見晴らしは抜群である。友人たちに今回のコースと終着点である箱根町を指し示すが、我ながら気の遠くなる距離である。いざとなれば桃源台に逃げるのも手である。


 10時19分には富士見台に到着。南には芦ノ湖、北には富士山と御殿場市街の見える絶景ポイントである。たぶん県道401号から横道に入れば、車でも来れるのではないだろうか。
  10時半には長尾峠に到着。何もない場所である。長尾峠を過ぎて間もなく、箱根スカイラインとの並走が始まる。この尾根道は箱根スカイラインおよび芦ノ湖スカイラインとの並走である為、常に車の音が聞こえるので、虚しさすら覚える。
  11時13分に富士見ヶ丘公園に到着。ここもまた心地良い場所ではあるが、天気は良くても風が冷たく、開けた場所では肌寒かった。
 ピークを越え三国山が眼前に現れたと共に、かなり下の方に湖尻峠が見えた。湖尻峠まで下りて三国山を登る。もはや絶望しか感じなかった。私の忠告はさておき、あえてトレッキング・ポールを持ってこなかった1名は、既にバテ気味である。まぁそれについては自業自得というものなので、特に気にはしなかったのだが。
 階段の続く三国山登山道。体力を奪う階段だけでも辛いのに、山頂と勘違いさせる地形が続くのがまた辛かった。
 どうにか山頂に着いたのが13時の事である。途中で御夫人3人組を抜かしたのだが、ここから徐々に彼女らの煽りを受ける事になる。

 もうアップダウンはコリゴリである。幸いにも、ここから山伏峠にかけては急激なアップダウンは無かったと思う。今度はあの頂上へ行くのか、と思えば山腹を迂回して歩く感じだ。

 14時、友人の1人が登り易そうな岩を見つけた。本日の詳細をまるで聞いていなかった為、山登りと聞いてボルダリングの準備だけはしてきたのである。それを見ながら休憩をしていると、後ろから御夫人3人組の声が聞こえてきたので出発。
 すぐに景観の良いレストハウス周辺に出たので、また休憩。けっきょく御夫人3人組に追いつかれてしまった。なんとも情けない末っ子3人組である。
  あとは海ノ平を目指すのみ。見た感じ後は下っていくだけと思っていたが、何気に登らされていた。広々とした道でピークを越えたと思っていたら、そこが海ノ平。時刻は15時である。16時までに箱根に着けば良いだろう。

 海ノ平から箱根町は、近いようで遠い。何故かアップダウンを繰り返し、終いには下り階段の連続。予想以上の長さに途中で一度休憩を入れてしまった。
 道の駅"箱根峠"の屋根が見えて一安心。15時45分に道の駅"箱根峠"に到着し、ここで食事を摂った。
  16時に道の駅を出発。ここからは車道沿いを歩いて箱根町を目指すのだが、友人の一人が膝に限界を感じたので、箱根やすらぎの森入口のバス停からバスに乗る事にした。幸いにも7分程でバスが来たので、関所跡まで楽々と移動。今回のコースは道の駅"箱根峠"がゴールだと思えたし、車道を歩くのなんて興味はないので、問題なし。
 関所跡に到着し、この辺で温泉に浸かってからバスで小田原駅へ直行しようとしたが、予定していた旅館が日帰り入浴を時刻的に終了していた。
試しに箱根町バス停へ向かってみると、国道が渋滞しており普通のルートでは帰るのに時間がかかる事を知った。幸いにも箱根湯本駅および小田原駅への直行バスが臨時で出ていたので、これを利用。お陰で30分で箱根湯本駅に着く事が出来た。ここから小田原駅へも順調で、18時に小田原駅に到着。

 出来れば箱根の温泉に浸かってきたかったが、箱根湯本駅で下車するには時刻が遅いので断念。その代用案が万葉の湯であった。風呂に入り、ビールを飲み、軽く食事を摂り、そして眠くなる。しかし翌日は皆が仕事である。20時には万葉を出て、小田原駅で解散。

 すっかり遅くなってしまったが、衣類やら靴やらの洗濯は翌日に回したくない。一通り片付けを済ませてコインランドリーへ。これで漸く落ち着けた。

2010年3月19日金曜日

鍋割山で鍋喰らう

 2010年3月19日、平日の休みなのでゴミ処理場へ行ってきた。予想外にもボーリングの玉は引き取ってもらえず、余計な物を積んだまま鍋割山登山へと向かった。
 友人2人を拾い、表丹沢県民の森へ。林道なだけにカーブが多く、その度にボーリングの玉がドアに打撃を与えていた。しかしこれは、ティッシュの箱をスペーサーにする事で解決。
 軽く迷ったものの到着し、9時55分には登山を開始した。

 西山林道に出て沢伝いに歩き、二俣に着いたのが10時45分。二俣で木橋を渡るのだが、沢自体は浅い。そんな落ちても大したダメージの無い川に対し、不安定な木橋を慎重に渡る姿は、意外と情けなかった。一人では気づかぬ発見である。
 しばらくは緩やかな坂を登り、次の木橋があるミズヒ沢を渡れば登山道に突入。ここで11時10分。沢から逸れると傾斜は急になり、山登りの開始である。

 林の中を登りきれば尾根道へ。この尾根道がイヤラシく、山頂かと思えばまだ先があり、また山頂かと思えば先があり、天気が良いとそんな思いをさせられる。しかし今日の天気は違う。完全に雲の中である。登れば登るほど視界は狭まり、展望なんぞまるで望めない。
 道が草に挟まれ頂上らしくなってくると、期待度も高まった。そうしてついた場所は、未だ山頂にあらず。次のピークが山頂である。12時8分、霧の向こうに薄らと山小屋が見えた時は、本当に嬉しかった。
  鍋焼きうどんが有名な鍋割山荘。これが美味い。山小屋で作ったとは思えぬほど美味い。具材の味と卵が、実に良いトロ味を作っている。
 そんなこんなで休んでいたら、けっこう時間が経っており、下山を開始したのが13時22分。
  ちらほらと雪っぽいのが降る中、尾根道を歩いて大丸を目指す。ここで我々は奇跡を見た。雪が降ったのか、上を見上げると白く染まった枝々があった。よく見ると、枝々に無数の細かなツララが出来ており、風に流され横に伸びている。樹氷と呼ぶべきか樹霜と呼ぶべきか、あらゆる条件が重なって作られた芸術。もう皆して興奮しまくりの、写真撮りまくりである。
 大丸から二俣へと下り始めると、そんな綺麗な光景ともおサラバだ。景色は開けているようなのだが、雲の中なので真っ白な世界。まるで成仏したかのようである。
細い山道をひたすら下る。周りが真っ白なだけに、足を踏み外せば延々と落ちていきそうな雰囲気である。
 ショートカットをする人が多いのか、道が多岐に分かれて混乱する事が何度かあった。それでも道はすぐに合流するので、惑わされないようにしよう。

 16時2分に二俣に到着。ここからは来た道を戻り、16時27分に駐車場に着いた。人と登る登山も楽しいものである。そして、人にペースを合わせる分、普段より疲労が少なかった。


 表丹沢県民の森を出発し、本厚木の大型アウトドア専門店WILD-1へ。東名高速道路から国道246号に下りて間もなく、カーナビの電源が落ちた。ナビの故障か、ならば車のエンジンをかけ直してみようと思ったが、渋滞の中という事もあり目的地まで耐えた。すると今度は、スピードメーター類の電気が暗くなってきた。何故かブレーキを踏むと電気が消えてしまう。ガソリンメーターも予定を遥かに超えた少ない値を示しており、アクセルを踏んだ時のエンジン音も不安を感じさせた。
 それでも何とかWILD-1に到着。エンジンをかけ直してみるも、もはやかからず。それでもヘッドライトやら何やらは点灯したので、バッテリーの異常ではないらしい。どうしようも無いので保険屋に電話し、結局レッカーで地元まで運んでもらう事になった。

 WILD-1に着いたお陰で、レッカー車を待つ間に退屈しなかったのは幸いである。店の中は欲しい物だらけで夢の中、駐車場に出れば故障した車という現実。このまま店内で過ごしたい気分だった。

 我々を置いて車は先に地元へ帰った。残された我々は徒歩で本厚木駅へ。結構な距離なのでバスを使おうとしたが、時刻表を見てガッカリ。
 モロにアウトドアな格好をした人間が3人、若者とスーツ姿の方々で賑わう夜の本厚木を練り歩く。
 夕飯を済ませて、小田急で地元へ帰還。着いたのは9時半過ぎと、結構な時間までプラプラする一日となってしまった。

2010年3月13日土曜日

雨山で遭難寸前

 2010年3月13日、5時30分に起床し6時20分には自宅を発った。仕事の日は7時の起床でも愚図るのに、こういう時は別物である。
 空を見ると大半が雲で覆われているものの、雲は高く山々の山頂が見える。天気予報も曇り時々晴れ的な予報をしているので、たぶん雨には見舞われないだろう。
 
新松田駅前から6時55分の富士急バスに乗って寄へ。久々に雨の降らない週末なので、丹沢方面へ向かう人も何人か見れた。
 7時16分に寄に到着し、川沿いを北上開始。そこには驚くことに河津桜が並んでいた。もう完全に見頃を過ぎたと思っていただけに、なんとも嬉しい出だしである。
  さらに道中で廃車を発見し興奮。写真ばかり撮っていて、なかなか足が進まない。
 7時52分に寄大橋のある稲郷に到着。何やらオレンジ色の方々が大勢いた。後で知った事だが、鹿の間引きをする猟師さん達らしい。
 キャンプ場を通り過ぎて、8時57分に登山道入口に到着。写真を撮りながらとはいえ、結構な距離である。
  雨山峠へはひたすら寄沢沿いを登っていくので、夏でも気持ちが良いだろう。
 最初の沢越えは難関に感じたが、すぐ下流に橋があった。全体的に橋の数は少ないので、どう渡るかは自分の勘が物を言う。時には沢に倒木が一本だけ架かっており、どうしたものかと悩んだが、冷静に石づたいに渡った。
  そうして登っていくと、徐々に残雪が増えてきた。雨山峠に近づくにつれ増えていく残雪。雪の積もった細い道は、足を滑らす事を恐れさせてくれた。

  道標が点々とあるので迷う事はなかったが、雨山峠まで残り400mから先で迷った。道が多岐に分かれ、いずれも進もうと思えば進めそうな雰囲気だからだ。それに惑わされず、主流沿いを進もう。

 そうしていると傾斜がドンドン急になる。雪で分からぬが実際はどんな道になっているのか疑問な傾斜だ。しかし先駆者の足跡が続いていたので辿ってみたが、尾根直前で足跡は消え滑ったような跡だけがあった。確かに尋常ではない傾斜だが、ここまで登ってしまったので枝を掴んだり、ガッチリ雪を踏み込んだりして登りきった。しかしそこは尾根道と呼ぶには細すぎた。むしろ道ではない。どうやら先駆者は、滑っておりて正しい道へと戻ったのだろう。しかし、それはそれで危険な傾斜である。道標が見えたので、その方向に向かいつつも、ついでに上へと上へと登っていった。
 9時50分、こうして雨山峠を通過する事なく雨山への尾根道に到着。肉体的にも精神的にも疲れたので、もはや雨山峠はどうでも良い。
  細い尾根道、強い横風、疲れた体。山頂はまだかと登り続けていたら、木の道標があったのでこれを山頂と思い休憩を撮った。10時13分の事である。ここでサンドイッチを食べて一服。
 そこから歩いてすぐに雨山山頂があった。10時30分に到着。木々が少し邪魔だが、寄と山々が一望できた。
  進行方向に同じくらいの高さの山が見える。次の目的地である檜岳だ。やはり一度下らされ、再び山頂へ向けて登る。急な傾斜ではあるが、そのぶん距離は想像よりは短かった。普通なら。
 登っている最中、左手に作業員の姿が見えた。さらには木に赤い道標が付いている。あちらが登山道かと思い、強引に進路変更。結果としては誤りである。
 新しい登山道でも作っていたのだろうか。お陰でまた余計な体力を使ってしまった。

 11時02分に檜岳に到着し、オニギリを1ヶ食べ、一服して出発した。ベンチは多いものの、景観は西側に少し望めるぐらい。今回のコースは、全体的に景観の良い場所が無い。

 檜岳山頂を出発すると、広々とした雑木林が続いて何処でも歩けてしまうので、道を見失ってしまった。正しくは尾根を歩いていくのだが、逆の尾根を歩いたり涸れ沢の様な場所を歩いたりして疑問を抱いていた頃に、木製の階段を発見して謝っていないと思ってしまった。
 そこから先の道も、どうにも登山道と呼ぶには荒れ過ぎていた。終いには倒木で道が塞がれ、強行突破をしようとしていたが、ここで稲郷で見かけた猟師の方が声を掛けてくれた。私の歩いていたのは獣道で、猟師の方がいるのが作業道。登山道は私より2本上の尾根道だったらしい。この方に会わなければ完全に遭難である。疑問に思ったら立ち止まり、時には引き返す事も大事である。

 強引に尾根道へ戻り、先へ進んで11時46分、伊勢沢ノ頭に到着。地図には名称の載っていないピークである。さらに先を進んで行くと、林業の方々っぽい人達が休憩を摂っていた。こんな所まで仕事で来るなんて、私には耐えられぬ職種である。ただこれは秦野峠が近いとも取れるのか。そう思いきや、そこから先は急勾配の下りが延々と続いた。進路を外れてしまい立ち止まって正しい道へと戻るのを、何度した事か。
  12時20分に秦野峠に到着してホッとしたが、ここから林道秦野峠まで20分かかった。激しいアップダウン、両サイドを鉄条網に挟まれた狭い道、とにかく楽しいところが何もない。

 林道秦野峠で残りのオニギリを食べ、シダンゴ山方面へ進行開始。一応道標にも、小さく高松山と書いてあった。
 出発してすぐに右手に登山道を発見、したものの道を枝で塞がれていた。ここは強行突破をしたが、とにかく急な登り坂。また間違ったかと思いながらも登り続けた先に、シダンゴ山と高松山への分岐を発見した。
  ここからもアップダウンが続く。横風は強いわ、景観は望めないわで、退屈な道中。足は痛いが進むしか他ないので進み続け、13時半、鉄塔があったのでここで休憩。試しにiPhoneの機内モードをOFFにしたら電波を拾ったので、GPSで位置確認をしてみたが、周りに何も無さ過ぎて参考にならなかった。
 鉄塔から15分程で西ヶ尾に到着。何もない山頂である。そういえば、西ヶ尾の道中で本日越えた山々を見れる場所があった。まぁその程度である。

 高松山への道中には2つの道標がある。一方には道標の裏に小さく高松山と書かれているだけだったので、この山の存在が疑わしく思えた。
  14時22分に高松山山頂に到着。景観は山北方面が少々見える程度だが、広々して頭上の開けた山頂は気持ちが良い。10分ほど休み、最後の下山を開始した。
 これまでに比べれば歩き易い傾斜で、15時に尺里峠に到着。この近くの第六天(最明寺史跡)から高松山と富士山が見えるらしいが、今日の富士山は雲に隠れているので省略した。

 尺里峠から下り始めてすぐ、何かを飼育しているのか何かしらの施設があった。流石に不法侵入はしなかったが、道中から転落したトラックを発見。これはたまらず写真を撮りに近づいてしまった。まだまだ楽しそうな施設な気がする。
  やたらと廃車の止まった民家。古い校舎の高松分校。男子便器だけでなく和式便器もドアが無くて丸見えの、ニーハオ的トイレ。集落ならではの雰囲気は味わえたのは良かったが、ここから町までがとにかく遠い。気が遠くなるほど遠い。この人たち、なんでこんなところに住んでいるわけ?
 しかも、高松集落から尺里までの道中は、まるで見所がない。山ゆりの滝というのがあったが、どうでも良い。車と同じ道を歩かされるだけに、無駄に蛇行していて長い。登山道を用意してくれ。
 尺里の家々が見えて一安心。川沿いの菜の花が綺麗である。高速道路の下に綺麗な公衆便所あったので入ってみると、便所の真ん中に大量の大便が落ちていた。嗚呼・・・あと二歩ってとこだったかな。ここで力尽きてしまったのだな。

 高松山入口のバス停までもう一息。本数が少ないので、一本逃したら先が長い。そう心配しつつ道へ出たら、バスの後ろ姿が見えた。不安的中である。
 16時40分に高松山入口バス停に到着。先ほど見たバスは38分発。幸いにも、土日は49分というバスもあった。これで新松田駅に戻り、川音川沿いの駐輪場からバイクで帰宅。

 9時間20分の山登り。2009年の大室山を超える所要時間である。しかし、丹沢主稜縦断はこんなものではない筈だ。