2008年9月27日土曜日

初めての塔ノ岳

 2008年9月27日、朝6時半に起床した。手早く準備して出発したものの、渋沢方面の山には雲がかかっていた。天気予報を信じるならば雨が降る事はないだろう。中止にしたいl気持ちはあったが、それではあまりに軟弱なので、そのまま向かう事にした。

 国道246号から県道706号へと入った。まだ朝なだけあって、半袖にGジャンでも心なし肌寒い。この周辺からのハイキングには、バイクにせよ自家用車にせよバスにせよ、県立秦野戸川公園が拠点となる。渡りはしなかったものの、そこにある風の吊橋は立派な物で、近場にこんな素晴らしい場所があるとは思ってもいなかった。
 県立秦野戸川公園に着いた際、警察官と話している男性が目についた。「一体何をしたのやら・・・」と飽きれていたが、私も同様に警察官のお世話になった。登山者カードの記入を促していたのだ。わざわざ促すだけあって、確かに登山客の量は多かった。
  7時50分に県立秦野戸川公園を発ち、鍋割山方面へと歩を進める。舗装された道を歩いていくと、まるで他人の家へ侵入するかのように細い道へと突入する。早速山道らしくなったかと思いきや、あっさり未舗装の林道へと出てしまう。
 傾斜の緩やかな林道が延々と続くので、まるで体力を削られない。流石にここまで緩やかだと逆に不安になってしまい、8時40分、ベンチのある場所で一服がてら位置を確認した。県民の森へと向かうゲートとの交差点を過ぎて間もなく、勘七ノ沢沿いの道になると二俣の駐車場は目前だ。しかし、ここで路頭に迷う。さらに奥へと続く林道はあるものの、ロープが張ってあり通行禁止の様に思える。そもそも私はハイキングに来ているわけで、もっと細い道を歩いてもおかしくないのである。後から来た登山客も迷っているのか、それとも私が迷っているのを楽しんでいるのか、先に進もうとしてくれないのでロープを越えて林道を進んだ。すると直ぐに道標が見えて、道が正しかった事を知る。
  ここからも大して急な傾斜は無く、林道をひたすら進む。道にはしばしば水が流れており、贅沢を言わなければ水には困らない林道ではあるが、何と言っても疲れない為、水場の世話になる事も無い。

 ミズヒ沢に着くと、道標から「鍋割山まで2.4km 所要時間1時間30分」と読み取れる。ここまで歩いた距離が5.3km程に対し、1時間半で来ているのだ。どんなに急でもこれは大袈裟だろうと思っていたが、その道標は現実的なものだった。
 沢沿いに少し登ると、いよいよ本格的な山道となる。急な傾斜がひたすら続き、一気に私の体力を奪っていった。登れど登れど実際にはまるで距離を稼げていない。途方に暮れていたら展望が開けてきたので、ようやく頂上付近かと思えば、そんな事はない。山頂までこの悔しさを何度か味わわされ、階段状になった道はドンドン私の体力を奪い、さらには周りは雲に覆われる始末。「もう鍋割山で終わりにしよう」と思いつつ、なんとか10時20分には山頂に到着した。この2.4km、立ち止まる事は多々あれど、休憩は全く取っていないのに1時間かかってしまった。
  朝食を食べていない事もあり、おにぎりを2つ食べて一服する。雲に覆われた鍋割山山頂も、時には雲が流れて秦野市が一望できた。否、それどころか南西に海が見えているので小田原市まで見えている。晴天だったら、どれ程の景色が拝めた事だろうか。
 山頂に着いた事だし、「もう鍋割山で終わりにしよう」という気持ちをどうすべきか検討しなければならない。来た道を引き返すならまだしも、先へ進んで二俣分岐から下るとなると、二俣へと出て緩やかな林道を下っていく事になる。出来ることなら同じ道は通りたくないので、そうなると金冷シから下るルートだが、そこまで行くなら塔ノ岳に行ってしまえという感じだ。この雲の中で塔ノ岳へ行ったところで、何が見られるわけでもないが、まぁ白い世界で震えていようではないか。

 10時35分に鍋割山を発った。もはや山頂から山頂へと渡るだけなので、あまり起伏がないことを祈った。実際それほどの起伏はなく、あっさり二俣分岐に到着。ここから塔ノ岳まで1.5km。雲も意外と流れてくれて、塔ノ岳を避ける理由は見つからない。
 大丸からかなり下って、金冷シの分岐に到着。塔ノ岳まで残り600m。余裕ではないか。と思ったものの、最後の200mぐらいだろうか、ひたすら階段を登らされる。これはかなり厳しかったが、11時35分、塔ノ岳山頂に到着。なんだかんだで1時間かかってしまった。
  山頂に着くと、いきなり鹿が2頭いた。登山客はかなりいるのに、のんびり食事を摂っている鹿たち。山道では人前に現れないクセに、山頂ではヤケに呑気なものだ。
 山頂からの景色は素晴らしい。雲がかかっているのは非常に残念だが、東から南まで半端ではない展望だ。さらには西に富士山が見える筈なのだが、残念ながら雲に隠れていた。
 これだけの街並が一望できるのだ、是非とも夜景も拝んでみたい。機会があれば、山頂の尊仏山荘に一泊して夜景を堪能したいものだ。
  11時50分に塔ノ岳を発ち、金冷シまで戻って大倉方面へと下った。秦野市街を正面に見ながら徐々に下っていくのは爽快だ。しばらく行くと階段地獄が待ち受ける。鍋割山同様、こちらもかなり整備されており、道が階段状になっているのだ。
 12時10分、花立山荘に着くと看板に”しるこ 300円”の文字が見えた。甘酒も豚汁も惹かれたが、お汁粉好きとしては汁粉を優先するしかない。よくよく見ると”カップ”とも書いてあった。あの3ヶぐらいパックで200円以下で売られている汁粉が、1ヶ300円で売られているのだろう。しかしここは値段よりも、今ここで汁粉を食べる事に意味がある。そういうわけで、早くも花立山荘で休憩を取った。

 花立山荘から少し下れば、木に囲まれ景観を楽しめなくなる。こうなると退屈な階段地獄との闘いである。iPodを忘れてきた事は大失敗だった。
  13時02分に駒止茶屋で一服し、途中の分岐で大倉高原山の家へと向かい、13時38分、顔を洗って休憩。ここまで来ると後30分程の距離なのだが、iPhoneをいじり出したりと、完全に山に対して飽きてしまった。ヤル気ゼロでダラダラと惰性で下りて、14時15分、ようやく県立秦野戸川公園へと戻ってこれた。
 山頂からの景色は素晴らしかったが、とにかくあの階段地獄は好めない。どちらかと言えば二度と登りたくない山である。
 疲れた脚を癒すため、県道706号の途中から抜けてスーパー銭湯”湯花楽”へと向かった。温泉ではなく銭湯なだけに、こういう通りすがりでない限り来ようとしないだろう。
料金は土日祝日850円に加え、貸タオルが300円。銭湯の分際で微妙に高いのが気に入らない。それを除けば悪いのだが、特筆すべきところもないので、再び来るとは思えない。唯一気になったのが、寝転がってお湯に浸かれる寝湯なのだが、一応全身が浸かる程度には湯がはってある為、陰部をタオルで隠すとなると湯にタオルを浸けねばならない。それはマナー的にどうかと思うし、かと言って私の”まっくろくろすけ”を晒すのも人様にしては迷惑なので、のんびり浸かる事は出来なかった。

 約6時間半の登山の疲れが、そう簡単に抜ける筈もなく、湯花楽を後にしてプラプラ寄り道しながらも4時過ぎには自宅に着いた。

2008年9月23日火曜日

豪雨の中部ツーリング その3

 2008年9月22日、岡崎は快晴だった。6時45分にホテルを発ち、岡崎城へ向かう。二輪車は無料で駐輪できて嬉しい限りだ。
 園内の建築物は綺麗で、横には乙川も流れているので、公園としての完成度は高い。城の裏手のお堀には水が流れていないが、それはそれで植物が生い茂り吸い込まれそうだった。徳川家康の像を見た後、大型車用の駐車場から一般車用の駐車場へ下りようとしたが、結構迂回しなければならなかったのは改善して頂きたい。
  岡崎ICから東名高速道路に乗った。世間は平日、通勤時間帯のせいか交通量が多い。昨日の豪雨の成果か、単に周りの流れによるものか、チキンの私に100km/hで走る事が苦ではなかった。美合PAは近すぎるので立ち寄らず、7時45分、赤塚PAで休憩。朝からミソカツ丼ときしめんのセットを食べ、今日一日分のエネルギーを蓄えた。PAのクセにコンビニと吉牛がある赤塚PA。月曜日なので「キン肉マンII世」の立ち読みを怠ってはいけない。
 三ヶ日ICで下り、竜ヶ岩洞へ行こうと表示に任せて国道362号に乗ったが、私の記憶と方向が違う。料金所を過ぎて直ぐ左に入るべきだったのか?しかし西気賀からの奥浜名湖が綺麗だったので良しとしよう。気賀から県道320号へ移った。ここまでは表示があったので良かったのだが、井伊谷の交差点で方向が分からなくなった。私が見落としたのかもしれないが、遠回りさせられた感じがしていただけに、この不親切さに嘆いた。
  9時20分、竜ヶ岩洞に到着。洞窟内は広く、かなり洞窟内を探検している気分になれた。水が豊富なのも飽きさせない利点だ。最大の目玉は、落差30mの”黄金の大滝”なのだが、無理に見ようとすれば濡れること間違いなし。迫力がある事は確かだ。開場後間もないこともあり、貸切状態だった。そのせいか、今年になって見た=生涯見た鍾乳洞の中で最も素敵な鍾乳洞だった。

 国道257号をひたすら南下すれば浜松城に着く筈なのだが、これがまた混んでいた。片側一車線の細い道路なのだが、意地で追い越しまくって浜松へと向かう。一方通行がやたらと多い浜松城周辺で迷いつつ、10時30分、どうにかこうにか浜松城の駐車場に辿り着いた。コンコルドというホテルの手前を入っていくのがポイントだ。敷地が広く日本庭園の綺麗な浜松城公園。しかし天守は小さかった。浜松市街を一望する為に登っても損はないと思うが、今回の旅は平等に何処の城にも入城するつもりはない。園内マップをロクに見てない事もあり、方向感覚を失って迷いながらも、どうにか駐車場に到着。相変わらずの一方通行に苦戦しながら、国道152号線に乗る事が出来た。
  一度だけ東から西へ走ったことがあるのだが、静岡県はバイパスが多くて非常に助かる。とはいえ、その勢いで目的地を過ぎてしまっては意味が無い。掛川バイパスに乗る前に、表示に従って掛川市街および掛川IC方面へ逃げたのだが、これは少し先走り過ぎた。国道1号線一般道を行くつもりだったのに、何やら山の方へ行ってしまった。大した害はなく、線路の下を潜ってそれなりに進むと、北北東の方向に城が見えた。それに向かって走って行くと、街並の一部が現代的な城下町風になっていた。到着である。

  高台にある美しき掛川城。その周りに立ち並ぶ黒レンガの家々。これぞ私の求めた城下町である。城下町風のエリアは極限られているが、それでもこの姿勢が嬉しい。「掛川市街を一望してもねぇ・・・」という事で城には入らなかったが、私がこれから進む方向の雲行きが怪しい事は確認できた(結局、僅かに小雨に遭った程度だったが)。


 小夜の中山をトンネルを潜ると、何かが私の頭を過った。この辺で一度、国道1号から逸れる予定だったのだ。地図を見て、道を引き返し、下道へと降りた。目的地は諏訪原城跡と金谷駅である。
 地図を見る限り、意外と敷地の広そうな諏訪原城跡。とりあえず順路に沿って歩いてみたが、結構距離があった。起伏が緩やかなのは助かったが。まぁ何と言うか、城跡と言われなければ単なる山の一部である。とても城があったとは思えないが、お堀の跡だけは見応えがある。石垣こそ無いが、深く掘られた複数のお堀が山の中に存在する事が、実に不自然で面白かった。とはいえ他に見所はなく、観光客もいやしない。かなり放置状態だったが、これで良いのか諏訪原城跡?
 続いて、SLが走る大井川鉄道の金谷駅へ向かった。運が良ければSLが見れるかと期待していたが、運悪くというか下調べをしていなかっただけあり、SLは見れなかった。是非ともSLに乗りたいので、今度は電車で来るとしよう。

 それでは国道1号線に戻って、駿府城跡を見に静岡へ・・・行く予定だったが、たかが城跡の為に都会の中を走るのは懲り懲りなので、相良牧之原ICへと向かった。どうせ大井川鉄道に乗る時に、静岡まで新幹線で来る事になるのだ。今回の旅行で無理矢理行く必要は無い。

 13時22分、相良牧之原ICから東名高速道路に乗った。牧之原SAで鶏の唐揚げを食べ、一服し、長い高速走行への覚悟を決める。掛川を発って間もない頃から風が強かったので、高速道路だとなお影響を受けた。適度な速度のトラックを見つけては、後ろについて快適に走行していた。利用者の多い東名高速道路なだけに、80km/h〜90km/hで走る大型車がゴロゴロいるのは非常に助かる。
 日本平PAで一服し、「次は富士川SAで休憩」と思っていたが、意外と疲れていなかったので走り続けることにした。しかし、私のペースメーカーが富士川SAへ突入してしまい、新たに代わりを見つけなければならなくなった。たまに左に寄り過ぎて、路肩の水たまりを踏む新たなペースメーカー。そのせいか、はたまた超小粒の雨が降っているのか、ヘルメットのシールドに水滴が付いていく。ふと気づくと、細かなジャブの連発が、意外と私の視界を遮っている事に気づいた。愛鷹PAまで残り2km、内心かなり恐い思いで走っていた。
 沼津から先になると走行車の数は減り、ペースメーカーは見つけにくくなった。チキンながらも少しは成長したようで、独力で90km/h〜100km/hを出し続けた。足柄SAで休憩を取るつもりだったが、ここまで来ると見知った土地だ。鮎沢PAも通り過ぎて、終点の大井松田ICを目指した。御殿場IC以降やたらと走行車の速度が速く、また80km/hで走るチキンの私に戻ってしまった。
 山北の辺りだろうか、景観の開ける場所があった。富士川SAを過ぎた直後も、物凄く景色が開けていた。この2箇所、私としては心底恐かった場所だ。北海道で高速道路に乗った時に気づいた事だが、近くに物体が無いと吸い込まれそうになる。距離感が掴みづらいのだ。富士川SA付近からの景観は素晴らしいものだったので、是非とも、助手席で堪能したいものだ。

 15時56分、大井松田ICを下り、ガソリンを満タンにして、16時16分、自宅に到着。走行距離1163kmに及ぶ旅は無事に終わった。3日間の平均燃費は1リットル辺り28.2km。流石バイクである。
 バイクを洗い、日帰り温泉で疲れを癒しても、19時には自宅で夕飯を食べていられる。静岡市を飛ばしたのは正解だった。

豪雨の中部ツーリング その2

 9月21日、朝5時40分に目覚めた。金沢城公園の開園時刻が7時なので、身支度を整え精算を済ませた。しかし、やけに料金が高い。店員に告げると、どうやら他の人をパック料金にしてしまったらしい。それでも私が9時間パックにしていたのは、受付用紙みたいので明らかではないか。対処方法が分からないらしかったが、とりあえず私に金をよこせ。後は店の問題だろう。受付時の店員も知能指数が低そうだった上、来ている客も頭悪そうなのが多かった。私にはこういう下品な空間は合わない。これなら車中泊とか野宿の方が全然マシだ。と書きつつも、旅先でネットが使えて充電も出来る事は、非常に助かった。

 外に出ると雨だった。おかしい。2日目に雨が降るのは太平洋側だけの筈だったから、先に北を攻めるコースにしたのに。仕方なく雨具を装備し、6時20分に出発。金沢城公園付近の有料駐車場に車の如くバイクを停め、徒歩で向かうが入場口が分からない。南東の入り口である石川門口は、兼六園側から道路を越えて行くのだった。
 園内を見渡す限り石川門口が最も見栄えが良さそうなので、アッと言う間に退散。兼六園に至っては一歩も足を踏み入れていない。北海道の旭川並に都会だった金沢。こちとら雨の中カッパを着て歩いている状態なので、またの機会に金沢は味わうとしよう。
  金沢西ICから北陸自動車道に乗ると、当然の事ながら右手には日本海がチラチラと見える。それに感動する以上に、雨の中の高速運転がかなり応える。8時10分、安宅PAで休憩を取った。尼御前SAからは先が長いので、再び休憩を取った。加賀を越え福井県に入れば天気が変わると思っていたが、雨は一向に止まず、8時50分、雨の降る越前丸岡城に到着。

  小ぶりながらも美しい形をした越前丸岡城。入場券売り場は城の少し下にあり、そこを抜けなければ城の姿をを目にするのは難しかった。濡れたカッパを着ている以上、入場する気は毛頭ない。しかし城の姿だけは見たい。潔く300円を払い、僅か30秒程の道を歩いて写真を撮り、颯爽と立ち去った。


 国道8号線から横に反れて福井城跡を目指すものの、自分の位置が分からない。そろそろ福井大仏の筈と思いiPhoneとツーリングマップルを照らし合わせると、確実に近かった。ふと見上げると、私の今いる交差点の名が「大仏前」。「灯台下暗し」とはこの事か!暗いのは下より上だったが。
 福井城跡も既に通り過ぎていた。片側だけ並木の道があったが、あれがまさかお堀とは気づかなんだ。道を一本奥に行くと、確かにそこにはお堀があった。石垣の上にあるのは城ではなく現代的な県庁。福井県庁も大した事をしたものだが、これはこれで見栄えが良い気がしたので、個人的には好きである。
  福井ICから北陸自動車道に乗り、10時40分、北鯖江PAで一服だけした。11時15分には杉津PAで一服。敦賀市を目前にして、遂に雨から開放された。
 かの信長・秀吉・家康が一同に会したという金ヶ崎城跡。とはいえ、城跡と名付けられた部分の何処に城があったのか想像もつかない。それらしい城跡を求めて山中を歩くが、結局見当たらず断念した。ちなみに、ここから見る景色は素晴らしく、敦賀港の美しさが良く分かる。
  港沿いを西へ向かって間もなく、急な登り道があった。どうにも嫌な予感がしたので減速したが、この橋はアーチ状になっており、手前がスピードを出しやすい道なだけに、気づいた時には車が飛んでいてもおかしくはない。いや、真剣に。
 松なぞに興味はないが、一応、気比の松原を見に行った。松原というだけあって、松ばかりである。
 国道152号をひた走り、どうにかこうにか三方五湖に到着。本来は電車で来るつもりだった敦賀だが、この三方五湖を見る為にバイクを出動させたのだ。152号を走っている時から先の雲行きが怪しい事は懸念していたが、久々子湖の畔で雨がパラパラと降り出し始めた。それでもレインボーラインの入り口まで来たが、三方五湖を十二分に楽しむには、さらにケーブルカーに乗る必要がありそうだ。天気は悪いは、時間的にも余裕が無いわ。この旅の最大の目的ではあるが、またの機会という事で、雨から逃げるように敦賀へと引き返した。
 その決断も手遅れで、激しく雨の攻撃を喰らう。金ヶ崎城跡の駐車場で、カバン類と靴のカバーは外してしまった。敦賀の天気を覚えているだけに、守る事より逃げる事を優先してしまう。敦賀ICから北陸自動車道に乗った後も、雨の攻撃は軽いながらも続いた。「滋賀県に入れば・・・」と甘い期待を寄せていたが、結局止んだのは賤ヶ岳SA。「雨の中でPAに寄っても意味が無い」という理由で刀根PAに寄らなかった事もあり、かなり疲れた。

 長浜ICで降りて長浜城豊公園へ。古い街並みがあるらしく、それを見たような見てないような・・・ともあれ、14時30分に長浜城豊公園に到着。白さが際立ち美しい長浜城、綺麗に整備された豊公園、目と鼻の先には琵琶湖。素晴らしい場所である。とはいえ、今日のノルマは陽が落ちるまでに彦根城〜岐阜城〜犬山城〜小牧城〜清洲城と周る事。もはや無理なのは分かるが、結果が出るより先に諦めたら、そこで全てが終わってしまう。
 一服して長浜城豊公園を発とうと思ったが、大粒の雨を感じたので煙草は断念。急いで彦根へと向かうが、これが逆に仇となったのかもしれない。雨は土砂降り、雷は瞬き、道路は渋滞。そして雨具はカッパのみ。琵琶湖沿いを走る"さざなみ街道"は、私にとっては地獄だった。どうにか彦根に着いたものの被害は甚大。ようやく完全装備にしたが、カバンの撥水機能も若干破られたようだ。
土砂降りの中、それでも予定を諦めない私。彦根城の駐車場にバイクを停め、せめて外観だけでも写真を撮ろうと思ったが、敷地内に入ることそのものに金が必要だった。傘は無いのでヘルメットとカッパを装備した私には、これ以上進む勇気は無い。二の丸の入り口だけを写真に収め、「せめて岐阜城だけは片付けよう」と思いながら彦根ICを通った。

 待ち受けていたのは更なる地獄。鬼畜の様な土砂降りの名神高速道路。長浜までの間でカッパは臨界点に達していたのに、遂には雨具を抜けて浸透してきた。死ぬ思いで伊吹PAに到着し、行く先の天気をチェックすると愕然とした。もはや目指すは岡崎だ。元々は「彦根〜敦賀」「静岡〜愛知〜岐阜」をそれぞれ電車で巡る1泊2日の計画だったのだ。だからこれらの計画をいずれ実行すれば良い。

 とうに走行距離は200kmを越えており、本来なら彦根でガソリンを補充する予定だったが、機会を逃して名神高速道路に乗ってしまった。とはいえ、昨日の燃費を考えると、今日は高速走行が多いだけに、養老SAまでは余裕な筈だ。養老SAまで3kmを過ぎた頃、バイクは勢いを無くし、遂には停止した。この土砂降りの中、ガス欠である。少し立ち往生はしたものの、予備タンクのお陰で養老SAには辿り着いた。走行距離315kmに対し、補充したガソリンは12リットル。改めて計算すると、無くなるべくして無くなった感じかな。
 養老SAで真っ先にGSへ向かってしまった為、休まず地獄の名神へと戻った。但し、財布の中を整頓する数分間、屋根のある場所に居座らせてくれたGSの従業員には、とても感謝しております。
 大垣もやはり土砂降り。いや、本降り程度か。どうにか鬼畜な雲は抜かしたようだ。と思いきや、岐阜羽島IC付近で、前もロクに見えない様な豪雨に襲われた。愛知県に入ると雨も小粒になっており、17時05分、尾張一宮PAに到着。温かい缶コーヒーを飲みながら一服していると、SA/PAに関するアンケートの回答を問われた。いやいやいや、貴方が知る筈もないが、私は彦根から地獄を味わってきたのだよ。そういうのは"ずぶ濡れのカッパ男"ではなく、軽装備のドライバー達に尋ねろよ。気を悪くして尾張一宮PAを発とうとすると、大粒の雨が当たる音がした。追いつかれたのか!?すぐに追い抜かし、小牧JCTで東名高速道路へ。ようやく聞き慣れた道路に入れて安心した。
 大雨洪水注意報の名古屋市は、雨も小降りで快適だった。17時50分、かなり小雨の東郷PAでノンビリ休憩。と言っても店内には入らず。今日はカッパを常時着用と決めたと同時に、建物内には一切入らない事を決めていたのだ。だから食事も一切摂っていない。東郷PAでもアンケートの協力を頼まれた。この時には気分が良かったので回答。お礼にウェットティシューを貰って大喜び。では出発とエンジンをかけた瞬間、また大粒の雨が降り出してきた(すぐに抜けたけど)。
 東郷PAを発って間もなく、完全に陽が落ちたので私の走行速度も70km/hに落ちた。弧を描いた無数の道が輝く豊田JCTの美しさに惹かれ、路肩にバイクを停めたくなったものの、先のガス欠の時とは状況が違うのだ、そのような非常識な事はせずに先へと進んだ。岡崎ICで降り、18時40分、東岡崎駅付近の"ホテルグリーンリッチ徳川園"に到着。本日の宿である。

 "徳川園"と名乗りつつも、個人の趣味が強く反映された置物が多々置いてある。まるで調和の取れていない空間ではあるが、これはこれで面白いから良し。無線LANも有線LANも使えるし、ユニットバスも付いているいるから良し(ウォッシュレットが無いのは残念だが)。
 まず干すべき物を干しながら、湯を溜める。風呂で疲れを癒したら、洗うべき物をホテル1Fのコインランドリーに持っていく(たぶん業務で使っているのを開放しているだけだと思う)。洗濯の合間に、(たぶん)近場の中華&焼肉の店に出前を頼む。予想より早く、電話してから15分で来てくれた。届けに来てくれたのは、店主と思われる中年の方。明らかに街の飲食店な臭いをかもし出している。では問題の味だ。
 まずはチャーハン。塩と胡椒の加減は良い。玉子の焼き具合など求めはしない。ただグチョグチョだった。とうぜん使ったのは炊いてある飯だろう。水分が全く飛んでおらずグッチョリしている。それに加えて油も飛んでいない。15分で届いただけの事はある。正直なところ、「これ料理?」と言いたい。しかし、これが旅の味である。火の通りが弱いチャーハンは、猫舌の私には丁度良い熱さだった。
 注文したのがもう一つ、それは野菜スープ。とにかく熱い。信じられないほど熱い。とてもチャーハンと同時進行は出来なかった。チャーハンを食べ終えた頃、洗濯終了10分前となり、野菜スープはそのままにして部屋を出た。洗濯物を乾燥機に投げ込んで部屋に戻ると、スープはどうにか食せる熱さになっていた。常に火を通してあるスープに、野菜を炒めて投げ込んだのだろう。かなり油が浮いている。チャーハンといいスープといい、かなりコレステロールが高そうだ。
 本日最初で最後の食事という事もあり、キチンと平らげた。味に五月蝿いわけではないし。悪い点ばかり挙げたが、これぞ"旅の味"だと思う。"お届けガスト"という手段も用意されていたが、中華を選んで本当に良かった。

豪雨の中部ツーリング その1

 2008年9月20日、神奈川県に台風13号が訪れた。朝3時に出発しようとしていた私は、台風に立ち向かう事を覚悟していたのだが、結局目覚めたのは5時。家を出たのは5時半で、既に雨すら降っていない。この日この時の為に雨具をフル装備揃えたので、残念なような嬉しいような。
  山中湖へ抜けるのに三国峠を通ると、小山町だか御殿場市だかが一望出来た。霧に覆われるイメージしかない三国峠だが、台風後なだけにかなりクリアだ。山中湖側も同様に、雲がかかっているクセに景観はハッキリしていて、これまた別物に感じる。正直なところ、これで帰っても良い気分だった。
 そうも言ってられないので、御坂峠を越えて一宮御坂ICから中央自動車道へと乗った。境川PAで一服した後、8時10分、双葉SAに到着。朝食を食べていなかったので、五平餅を一本食べた。八ヶ岳PAでも一服をし、9時54分、諏訪高島城に到着。チキンな私の限界速度が80km/hなだけに、高速道路では周りの車に気を使って疲れた。
  諏訪高島城は小じんまりとしていた。しかしながら、お堀があって庭園も綺麗なので、城としての魅力を凝縮した感じだ。ただ、この城をメインに旅行したらガックリするだろう。
  それをフォローするかの如く美しい諏訪湖。晴れたり曇ったりの天気だったが、諏訪湖は晴れていて幸いだった。その後は諏訪大社・・・と行くべきなのかもしれないが、万治の石仏だけ見て諏訪市を後にした。
  道の駅"小坂田公園"に軽く立ち寄り、塩尻で国道19号から県道25号に乗った。走行距離が222.2kmになったので、山形村でガソリンを補給。高速を走ってきただけに、7.91リットルしか減っていなかった。ここのGSの従業員さんの印象が非常に良かったので、誰の目にも留まる事はないが、ここで感謝の意を表そう。

 道の駅"風穴の里"で一服して間もなく、雨が降り出した。通り雨にも感じるが、確かに雲は多いので雨具を完全装備する。期待に応えずすぐに止んだが、また何時降るかも分からないので、そのまま安房峠道路を越えた。ツーリングマップルに"あんき屋"という店が乗っていたので、ここで飛騨牛を食する事にした。値段もそれなりで、量もそれなり、良い物で腹を満たすには金がかかるということか。ただ、肉は確実に美味い。私の経験が浅いだけかもしれないが、あんなに食べやすい牛肉は初めて食べたかもしれない。
 店を出て一服していたら、バイクの鍵が見当たらない事に気づいた。焦る私に声を掛けてきてくれた見知らぬライダー。相手は私の事情など知らないので、あくまで雑談である。嬉しいのだがタイミングが悪すぎる。愛想良くしたつもりではあるが、明らかに私は挙動不審だった。誠に申し訳ない事をしたが、こちらもかなり焦っていたのである。幸い鍵は見つかり、雨具を脱いで出発した。

 国道158号を走っていると、"飛騨大鍾乳洞"の看板が現れた。あまり時間に余裕はないのだが、後々になって行きたくなると困るので立ち寄っといた。入洞料は1,000円と高い。但しこれは、"大橋コレクション"というミュージアムの観覧料付きだ。決して悪いものではなかったが、私の時間を割くほどではなく、とっとと鍾乳洞に突入した。
  一週間前に不二洞に行ったばかりだったが、飛騨大鍾乳洞も負けじと素晴らしい。洞内は広く、見所も多い。観光地としては立派である。
 さらに、高山市が"昔の街並み"とやらを売りにしているらしいので、わざわざ市街を通る事にした。確かに古めかしい建物が多く並んでいて良い感じだ。無理な話ではあるが、その古風な家に混じってコンビニ等の現代的な建物が入ってしまうところが残念なところだった。
 そんな感じで寄り道していたら、道の駅"ななもり清見"に着いたのが15時15分。下道を使えば白川郷は絶望的だが、東海北陸自動車道なら24kmの距離だ。ひたすらトンネルの続く自動車道をひた走り、片側一車線しか無かったが後ろから来た車には即座に道を譲り、どうにかこうにかトンネルを抜けきったと思ったら、白川郷は雨だった・・・。
 雲の高さがとにかく低く、確かに雨が降ってもおかしくはない。料金所を抜けて直ぐに雨具をフル装備したが、雨は降ったり止んだりだった。白川郷と言っても、私が訪れたのは萩町集落と思われる。多くの観光客で賑わい、カッパで歩くには場違いな雰囲気だ。有料駐車場にバイクを止めようとしたら、二輪車は停められない旨を告げられた。それでは何処に停められるのか尋ねると、答えがハッキリしなければ、方言に加え年老いているせいで単語そのものがハッキリしない。元々こんなに時間の取れる場所とは思っていなかっただけに、パッと見てサッと立ち去るつもりだったので、路肩にバイクを停めては写真を撮って立ち去った。どうせ五箇山の菅沼合掌集落でも同じ様な光景が見れるのだろう。
菅沼合掌集落には、集落を展望できる駐車場がある。しかし、「エレベーターが17時で止まってしまう為」という理由で、集落付近の駐車場を案内された。この辺になると雨も結構パラついていたので、のんびり立ち寄る気はまるで無い。合掌集落など、要は古ぼけた他人の家があるだけなのだ。もはやそんな思いなだけに、菅沼合掌集落は写真を一枚撮っただけ。相倉合掌集落に至っては割愛した。

 16時50分、五箇山ICから東海北陸自動車道で福光まで行った。国道304号から県道27号に移り、なんとか若干薄暗い程度の時刻に金沢城跡に到着した。いや、到着とは言えない。バイクを何処に停めて良いか分からず、敷地内も入れる時刻が分からなかったので、近くのホテルに泊まろうとした。が、満室もしくは高くて断念。城から離れてしまうが、当初予定していた通り野々市町で一夜を過ごす事にした。
 まずはスーパー銭湯"極楽湯"で疲れを癒す。寝湯の効能はイマイチ分からないが、私には寝転がれた事が何よりの救いだった。珍しく50分ほど居座って、近くのネットカフェ"自由空間"へと足を向けた。私が使う必要は無いが、シャワーがあるので単に寝るだけの個室が欲しい時には最適な場所である。
 カツ丼とペペロンチーノを食べ、旅行記を書き、翌日に備えて寝ようとしたが、なかなか寝付けず2時過ぎまで起きていた。

2008年9月13日土曜日

秩父の先には群馬があった

 2008年9月13日、朝4時に起床した。ようやく眠れたのが3時頃だと思うので、1時間程しか寝ていない。それでも支度を整え、4時50分に家を発った。
 地元でガソリンを満タンにし、小田原厚木道路を使って厚木まで抜けた。国道246号から国道129号へ入って間もなく、一度目の休憩。というか、ここから先を走るのは初めてなので、ルートの確認だ。

 国道16号で八王子に出た。予想以上に栄えた街である。中央自動車道を潜って間もなく、コンビニの駐車場でルートを確認した。それにしても駐車場の狭いコンビニで、この競争の激しい御時世、何故このコンビニが生き残れているのか不思議だった。
  コンビニで休憩したにも関わらず、道の駅"八王子滝山"を発見したので立ち寄った。ゴミ箱のある道の駅"八王子滝山"。それだけにゴミが溢れかえっていた。家庭ゴミでは無さそうだったが、ゴミだけを捨てに来る人も目撃できた。ゴミ箱が無いのは非常に不便に感じるが、こういう現状を見てしまうと、やはり全面撤去するしかないと思える。

 ここまでは快適に来れたのに、県道29号に入ってからは信号に捕まりまくり。しばしば路肩に止まっては地図でルートを確認していた事もあり、意外と時間を喰ってしまった。
 それでも東青梅を無事に抜け、県道28号へと移る。ここから先は自然に囲まれ心地よい。日が昇ってきたのでジャケットを脱いだものの、それでは少し肌寒いほど心地よい土地だ。と、快適な気分を味わっていたら、道を間違え軍畑に出てしまった。被害は少なく直ぐに戻れる距離だったが、ここで尿意を覚えた。高台にある軍畑駅は素通りしてしまい、かといってコンビニがあるとも思えない。で、まぁ立ちション。

 名栗村の長閑さに酔いしれていると、突如山の上に巨大な白い物体が見えた。「あれは何か?あそこを通るのか?」そう思いつつ道を走り、見る角度が変わると、巨大な物体は増殖した。これ全て、鳥居観音の一部である。救世大観音・三蔵塔・平和観音、これらの巨大な物体が山の上にそびえ立っていたのだ。今回は寄っていられないとしても、いつかハイキングに来たいものだ。

 「あとは下って秩父へ到着」と思っていたら、「関東平野を一望!」的な看板を見てしまい、進路を反れてしまった。そこは関八州展望台。看板はチラ見だったので1.6kmで着くと感じたが、どう考えてもそんな高い場所に到達しそうにもない。実際16kmの見間違えだったが、朝早く出て時間に余裕があったので、そのまま進む事にした。正丸峠を越え、刈場坂峠へと登り、関八州展望台へ向かう。
  てっきり広い駐車場のある人気スポットだと思い込んでいたのだが、そこにあったのは見落とし易そうな道標と石柱のみ。あとは5分ほど足で登らなければならない。とはいえ、あまり人が来たような地形をしていない。そして景色も、なんと書こうか・・・。霧がかかっていたせいで平野は見えなかった。しかし、晴れていたとて手前の山々は結構邪魔だろう。かなりの手間ではあったが、行かないままにするよりはマシなので、これはこれで悔いはない。

 刈場坂峠へと戻り、今度は木野峠へと向かう。木野峠を下り始めて間もなく、横転したライダーがいた。とりあえず駆け寄るが、こういう時に何をしたら良いか分からない。とりあえずバイクに脚を挟まれていたので、バイクを起こすのを手伝い立ち去った。いや、一応バイクは走りそうだったし、何をして良いか分からなかったし。

 国道299号へ出て直ぐ、道の駅"あしがくぼ"で休憩。これまでも散々見かけたが、ライダーがかなり停まっていた。
 秩父市へ向かう道中、名栗村に次いでまた山の上に異様な建造物を発見した。位置的に松風山音楽寺だろうか?秩父ミューズパークは立ち寄りたかったが、今回は橋立鍾乳洞を優先した為、コースから外れてしまった。
  道の駅"ちちぶ"でルートを確認し、橋立鍾乳洞へと向かった。私が唯一行った鍾乳洞は、高知県の龍河洞。そのイメージで訪れたら、かなりのギャップに肩を落とした。入洞料は200円と安い。しかし、借りたヘルメットは生乾きの臭いがして冠れるものではなく、洞内は狭く短く、そして、これといった見所がない。良く言えば天然である。「あるがままの姿を味わえ!」という事なら、これは正しい姿だ。しかし退屈なものは退屈だった。
  道の駅"あらかわ"に立ち寄ると、お腹がくだってきたのを感じた。そこでウンコ。道の駅とは、本当に便利な場所である。
 鉄道車両公園に寄ろうとしたが、国道140号沿いに無いどころか看板すら見当たらなかったので、通り過ぎてしまった。時間的に少し急ぎ足になっていた事もあり、ここは引き返さずそのまま前進。何と言っても雷電廿六木橋と呼ばれるループ橋が見たいのだ。そのループ橋、滝沢ダムが背後にあった事もあり、かなり迫力満点。まぁグルリと廻っているだけで、単なる道なのだが。
  中津川大橋の手前から県道216号へと入った。そこから6km程で一つの集落が見えて、少し驚いた。「こんな所にも人が・・・」と思えたが、この辺は道も整備されているし、中津川の釣り客もいるだろう。さらに奥には"ふれあいの森"というのもあるので、不思議という程ではない。それ以上に不思議なのが、小倉沢である。
 上野大滝林道と金山志賀坂林道の分岐点。私は予定と間違って、金山志賀坂林道八丁峠へと向かってしまった。ただ刳り貫いただけの様なトンネル。トンネル内部の岩肌は、凸凹していながらも水によって滑らかになっていて不気味だ。こんな人気の無い山奥で、不気味なトンネルに嫌気が差していたら、一つの集落が現れた。日窒鉱山である。
  現代らしさがまるで見当たらない建物。その背後の山腹に、ドカっと構える工場の様なもの。雰囲気は廃鉱な気がするが、「安全第一」など細かい所で現代の匂いがする。「借金を払えなくなった者が送られるのはこういう所か」と勝手に想像し、写真を撮るのもビクビクしてたが、家に帰って調べてみると、これはこれで生きた鉱山らしい。まぁ生きた鉱山なら、私の推測もあながち間違いではない気がするが、純粋にここを故郷とする方々に申し訳ないので撤回しよう。

 ともあれ、荒れた道・滑らかな岩肌・古びた鉱山、初めて通る者には嫌な感じである。登りに登って「またトンネルだ!」と嫌気が差したが、そのトンネルは綺麗に整備されていた。トンネルを抜けると直ぐに駐車場があり、ライダーが何人かいた。そこから見る山々も美しいが、霧がかかっているのが残念だ。
 延々と山を下り、遂に国道299号に出たと思ったら、すぐ右手に"山梨県","小鹿野町"と書いてある。自分の居場所が分からなくなり、国道を目の前にしながら地図を見た。ここでようやく、私が林道を間違っており、かつ不二洞とスカイブリッジが群馬県にある事を知った。

 恐竜ネタを推している神流町。"恐竜センター"とやらもあり、それなりに金をかけている感はあるが、一番の目玉と思える恐竜の足跡が、岩壁にポツポツと付いているだけなのはインパクトが弱かった。
  その先にある上野村は、完全に成功している。総称して天空回廊と呼ぶのだろうか。BBQができ、コテージもある"まほーばの森"・美しく巨大な吊り橋"スカイブリッジ"・関東一の鍾乳洞"不二洞"。日帰りでも宿泊でも楽しめる素晴らしい場所である。
 国道299号を走っていると、交通誘導員がいたので素直に従い左折してみた。遥か高みに橋らしきものが見えるが、まさかアレではあるまいと思っていたら、ソレが"スカイブリッジ"だった。まほーばの森は大勢の客で賑わい、ビックリ。スカイブリッジはとても綺麗で、高さも充分すぎる。高所恐怖症という程ではないが、この高さにはチトびびる。入洞料600円の"不二洞"に入ると、待ち受けていたのは真っ直ぐに伸びた人工的なトンネルだった。まるで秘密基地にでも行くような気分だ。洞内はとても歩き易く、多数の鍾乳石には仏教に因んだ名称が付けられていて見所がハッキリしている。関東一なだけあり、観光客にかなり優しい環境だ。実に秩父の橋立鍾乳洞とは対照的だ。
 14時15分、天空回廊を後にした。ちなみに、ここまでの走行距離は約230km。

 来た道を戻り、金山志賀坂林道の登り口で一時停車。軽くメモを書いていただけなのだが、そこへ見知らぬ中年男性が声をかけてきた。私と同様にアメリカンのバイクに乗る男性は、道を尋ねてきただけなのだが、とうぜん私が詳しく分かる筈もない。しかし、そこからバイク関連の雑談となる。こういう触れ合いが旅の良さではあるのだが、私は帰り道が長いのだ。なんとしても三国峠から"夕日に映える山中湖"を見たいのだ。なんとか話を切り上げようとしたが、その隙が見当たらない。20分経ってしまっただろうか?ようやく空気を読んでくれたので、私は颯爽と峠を登り始めた。下る前に放尿を済ませ、山々の写真を一枚だけ取った。「追いつかれてはならない。もう話に付き合っている余裕は無い。」と急いだつもりだったが、排気量の差も空しく追いつかれて声を掛けられてしまった。今度は愛想を振りまく気はまるで無い。全身からオーラを発し、会話も強引に終わらせ、そそくさと出発させて頂いた。

 登ってきた時は不気味に感じた道も、一度通ってしまえば恐いものはない。とはいえ、あの滑らかなトンネルだけは嫌いだ。
 陽が傾いてきているのを感じつつ、中津川大橋に到着。15時54分のことだ。大峰トンネルを潜り、さらに2つのトンネルを過ぎて、有料なだけに6.6kmの長さを誇る雁坂トンネルに突入。外気が涼しいだけあって、トンネル内を延々と走るのは寒い。そして疲れている上に寝不足だ。どうにかトンネルを抜けると、2km先に道の駅"みとみ"がある事を知り、もう一息頑張って休憩した。
 そこからは国道140号を走り続けて甲府までノンストップ。流石に山梨市に入ると暖かくなってきた。
 17時30分、甲府市の曽根丘陵公園に到着。ここから銚子塚古墳が一望できないかと期待して来たのだが、残念ながら期待は裏切られた。しかし、休日の家族連れなどには、とても良い場所と思える。
 西の空が曇っている事もあり、陽が沈んだように見えるが、まだ若干の明るみが残っている。なんとか三国峠に間に合わないかと思ったが、精進湖へと抜けた頃には絶望的だった。

 9月ともなると夜の富士五湖周辺は気温が低くなりだすのは、短期住民だっただけに知っていた。しかし、本来は15時前には富士五湖を巡っている予定だった為、厚着の用意はしていなかった。
 目も肉体も疲れ、体は冷えきり、尻も痛い。富士五湖道路で早く帰ろうにも、高速を維持する自信はまるで無い。三国峠で自分のペースを維持しようにも、気温の低さに加え霧が発生してしまったら気力が尽きてしまいそうだ。結局、篭坂峠を大型車の後を追ってノンビリ走り、国道246号を迷惑にならぬ程度に頑張って飛ばして、20時15分に自宅に着いた。

 本日の走行距離は429.8km。燃費は1リットルあたり20.98km。かなり蛇行したアップサイドを繰り返しただけの事はあり、宜しくない燃費だ。
 楽しかったが、かなり無茶な計画だったのは反省せねばなるまい。ちなみに、今回はサイクリング用のパンツを追加して履いていったのだが、なかなかどうして、かなり尻の痛みを軽減してくれたように思える。