2008年12月30日火曜日

冬の沖縄ダイビング

 2008年12月27日、今年最後の旅行は沖縄となった。旅行と言ってもスキューバーダイビングのライセンスを取るのが目的なので、観光する余裕は無いだろう。
 11時45分、自宅を出てバスに乗り駅へ。長Tに薄手のジャケット1枚。流石に寒いが、これから行くのが沖縄なだけに、荷物になるような物は着て行きたくない。
 13時半頃に羽田空港に着き、一服した後早々に搭乗ゲートへと向かった。14時40分の飛行機は15分遅れ、さらに離陸も遅れた感じがした。昨日の酒が残っているとも思えないが、やけにトイレが近い。一度尿意を覚えると、すぐ漏れそうになるほど近かった。こんな調子では実習が不安である。

 那覇空港に着いたのは18時前。これからモノレールに乗るぞという時、ダイビングスクールから電話があった。急用が出来たとの事で、本日の学科講習は中止となった。
 旭橋で降り、宿泊先のルートイン那覇へと向かった。荷物があるので寄り道は無しだ。国際通りまでは距離があるので、近場で夕食を摂ることにした。ホテルの近くで人気がありそうな"亀かめそば"に向かったが、売り切れのため終了。出た。最悪である。残りの3日間で、この店を選ぶ事は二度と無いだろう。選択肢は多くないので、近所の食堂"しろま"でソーキそばと生中を注文した。私が一人で外食してアルコール類を注文するのは、生涯初めてだったりする。これが旅行の魔力だろうか。軟骨の入った薄味のソーキそばは、値段は手頃だが、量は少なめ。お腹は空いていなかったし、昨日もたれた胃には丁度良かったかもしれない。
 "しろま"の雰囲気は、ホント町外れの食堂といった感じ。夕飯時なのに酔っ払った老夫婦がいたり、そもそも客が少なかったり、まぁ流行っている雰囲気は無かったが、ローカルな感じで良いのではないだろうか。

 ホテルへ戻り、棺桶より狭そうな風呂に浸かり、明日に備えてくつろぐ事にした。しかし、ここで明日からの予習をすればまだしも、iPhoneでソリティアをやり続けてしまった私。これならば周辺を散策でもするべきだった。
 その後は手持ちのラップトップに苦戦。アダルトDVDを動画ファイルに変換してあったので、これで旅先でも安心(?)と思っていたのに、スペック不足でマトモに再生できない。BIOSの設定を変えたり、VLCをダウンロードしたりと頑張ってはみたが、私の努力は実らず24時を過ぎていた。

 2008年12月28日、とある1人の人間が巨大化するにつれ、世界のサイズも広がっていく。私はその非常事態を止めようと警告音の鳴る中を駆け回るのだが、その警告音が目覚ましの音だと気づいたのは6時15分の事だった。
 朝食のビュッフェは種類に乏しく、とりあえずサラダ中心で腹六分程度に留めた。

 8時になると宿泊先の前にスクールの迎えが来た。学科を後に回し、海へと直行である。私1人に対しインストラクターは2名。1名は新人で本日が初らしいが、ド素人の私にとっては関係ない。むしろ私含めて3人という人数が、先輩後輩的な身近な雰囲気にさせてくれて、とても気楽に教わる事が出来た。

 場所は奥武島。幸いにも天気は良く、長T1枚でも寒くはなかった。水の綺麗さが一目見るだけで分かった。
 小さい頃から素潜り経験があるだけに、泳ぐことにも潜ることにも抵抗はないのだが、重いタンクを背負ってバランスを取るのは難しかった。午前中はそれなりに深い呼吸を維持し続ける事が出来たつもりだったが、午後、昼食で食べたオニギリ3個が、それなりに応えた。水圧で胃が圧迫されたせいか、軽くもたれて呼吸が苦しい。そこで慌ててはなおさら呼吸が乱れるので、終始冷静を保とうとしたが、正直途中で帰りたかった。
 そんなハプニングはあったものの、初のスキューバーダイビングは素敵なものだった。これは確かに楽しい。水の汚い地元でも我慢して、定期的に続けていきたいものだ。

 帰りに天ぷらを買って車中で食べる。おやつの時間に天ぷら。実に沖縄らしい生活ではないか。もずくの天ぷらは意外にも美味しかったが、今回は見送ったハッシュポテトの天ぷらも気になるところだ。

 スクールに戻って学科講習。泳いだ後に学科など、寝てくれと言っているようなものではないか。とはいえ、実際に体験した後では知識の入り方も違うので良いのだが。
 旅行前に予習していた事もあり、テスト〜復習〜テスト〜復習で終わり。途中で眠くなったものの、良いタイミングで一服させてくれたので、なんとか居眠りせずに済んだ。

 18時半には宿泊先に到着。一休みした後、近くのファミマへ夕飯を買いに行った。胃の調子と明日の事を考えると、コンビニで適量を選ぶのがベストと感じたからだ。
 なかなか疲れているので、ホテルでダラダラとしていたが、気づけば24時を過ぎていた。

 2008年12月29日、この日の出発は7時45分。それにも関わらず二度寝してしまい、目覚めたのは7時過ぎだった。朝食は軽く済ませ、身支度をサクサク整えて、時間通りにホテルを出発。

 本日のスポットは砂辺。波打際から入るので、素人の私にはシュノーケルが使いづらい。元々これが嫌いで、素潜りの時はシュノーケルを使っていなかったのだ。
 今日は教わる事はほとんど無い。どちらかと言うと海を堪能する事に重点が置かれている。とはいえ、いくつかの課題は行われたが、ホバリングはどうにも難しかった。
 気温も水温も暖かく、透明度も高い。2日とも環境に恵まれて、私のダイバー人生は幸先が良い。ダイブを2本終えて、スクールで器材の洗浄を教わった。後は書類手続きをして13時半頃には終了。
 海の底という未知の世界は、期待していた通りに神秘的な世界だった。昨日の分でも書いた通り、継続して潜っていこうと思う。それにはまず、未払いの住民税を納め、ある程度の器材は揃えたいところだ。
 まさかの観光時間が取れたので、おもろまちからゆいレールに乗り首里へと向かった。歩いて首里城公園へと向かったものの、その建物は期待していた程ではなかった。何がって大きさ?とても広いイメージを持っていたのだが、なんか肩透かしな感じだ。北京の故宮を訪れていなければ、もっと感動できたかもしれない。
とりあえず所々に生えている木々が、実に南国的というか、不可思議に絡み合っていて素晴らしかった。

  ここから国際通りへ向かうには46番のバスに乗る。と事前にチェックしていたものの、丁度良い時刻では無かったので、そのまま歩く事にした。見知らぬ街は、徒歩で味わうのが一番良い。
 15時を過ぎた頃、天気予報が言ってた通りに雨がパラつき始めた。国際通りに辿り着いた頃には、それなりに強くなってきており、コンビニで傘を購入。流石に疲れたので、ドトールで休憩を取った。
 国際通りは、正直言って楽しくなかった。目的も無ければ、単身だからかもしれない。土産物屋と飲食店が多いので、まぁ楽しみ方次第だろう。日本一ふざけたTシャツ屋(自称)という店がやたらと目についたが、最悪のセンスである。こんなTシャツ、雑巾程度にしかならない。それと相反して素敵なセンスを誇るのがHabuBox。御当地物のTシャツだろうと、デザインは何処に出しても恥ずかしくない物、むしろ何処よりも優れている物を提供する姿勢が必要だ。というわけで、HabuBoxではTシャツを2着購入。
  那覇バスターミナルに着けば、隣には旭橋の駅がある。しかし、それに気づいたのは後の話。壺川方面へと歩いてしまい。気づいたのは駅が見えてから。ただでさえ疲れているのに、この失態。軌道を修正して旭橋駅へと向かい、宿泊先に着いたのは17時10分。道のりだけで8km。ダイビングの後だというのに、なんともはや歩いてしまったものだ。かなり汗をかいていたので、ホテルに着いた直後にシャワーを浴び、再び外へと出た。

 18時に間に合うよう、タクシーに乗って浦添市の勢理客に向かった。インストラクターの方が飲み会に誘ってくれたのである。基本的に飲まない私としては、タクシーに乗ってまで飲みに行くのは感心できなかったが、折角の誘いだし、間違いなく現地の料理が食べられるだろうと思い、参加に至った。
 そして悔いは無かった。かなり楽しかった。これがダイバーというものだろうか。それとも中部〜関西系の方々ばかりだったせいか。半数は初対面だというのに溶け込みやすく、実に楽しい飲み会だった。そして料理も美味。

 21時半頃ホテルへと戻り、コインランドリーで洗濯を開始。乾燥機に入れてから気づいたのだが、洗剤はフロントで購入との事(40円)。特別気になる汚れがあったわけでもないので、そのまま続行。もう少し分かり易くして欲しいものだ。
 酔いを冷ましながら旅行記を書き、湯船に浸かった。とりあえず今回の沖縄で、やり残した事はない。また再来する事を前提に。

 2008年12月30日、一度は6時半に起きたものの二度寝して、7時に床を出て朝食を食べに行った。荷物を持って散策するのもなんなので、9時40分頃まで部屋でダラダラと過ごしていた。
 昨日買った傘はホテルに寄付し、小雨の中を歩いて旭橋へと向かう。10時4分のゆいレールに乗って那覇空港に向かっただけあり、13時の飛行機までは時間があった。

 暇つぶしに雑誌を買おうと本屋へ向かったが、Mac Peopleもファミ通XBOX360も無い。Macに360、どちらも少数派向けの雑誌なので当然か。そこで目についてしまったのが、劇画マッドマックスという雑誌。金を払って読む価値は無いのだが、友人が漫画を書いている筈なので久々に購入した。しかし、そこに彼の絵は無く完全に無駄金を使ったことになった。どうやら別社向けのネームを書いている為、休みを頂いているらしい。そうなるとこの雑誌には用が無いので、ザッと目を通してゴミ箱へ捨てた。

 お腹は空いていなかったが、折角の沖縄なのでA&Wで昼食を食べた。搭乗手続きも早いとこ済ませ、とにかくソリティアで時間を潰す。幸いにも飛行機の遅れは酷くなく。17時半には自宅に着く事が出来た。

2008年11月22日土曜日

絶景の檜洞丸

 2008年11月22日、朝6時に起きた。見事なまでの秋晴れである。これで今年最後の山登りに行けると思いながらも、寒さに負けてダラダラと支度をし、出発したのは7時過ぎ。
 かなり厚着をしたつもりだったが、しょせん上半身だけである。日が昇り始めて間もないだけに、日陰に入るとかなり寒い。国道246号から丹沢湖方面に入ると、東側の山々が大きな影をつくり、丹沢湖に着く前に帰りたくなった。
 道中、朝陽を浴びて黄金に輝く銀杏(?)の美しさに見とれたが、寒くて写真を撮る余裕はなかった。こうして、幸先不安ながらも8時半には西丹沢自然教室に到着。畦ガ丸に登りにきた時とは違い、かなり多くの車が停まっていた。紅葉による集客率とは凄いものである。
 温かいコーヒーを買おうとしたが、自販機は受け付けてくれなかった。時間制なのか良く分からない。分かっている事は、肉体は山に登って温めろというわけだ。

 西丹沢自然教室からさらに奥へと進む。すると右手に檜洞丸への登り口が発見できる。見る限り単なる枯れた沢にしか見えないが、それでもそれが入口だ。
  山道は緩やかで、落ち葉を踏みつつ木々を見ながら歩くのは悪くない。しかし、鼻水が止まらない。右手に沢が見えると、その白さに驚いた。雪なわけではないし、周りの緑と比べると、とても不自然に感じた。道を進むにつれ、徐々に沢へと近づいていく。不思議に思いながらも、もう鼻をかまずにはいられない。鼻をかむため少し休み、間もなくゴーラ沢出合に出た。先ほど不思議に思った白い沢も、こうして河原で白い石を見る分には自然である。
  ゴーラ沢出合から階段を登り、傾斜は厳しくなる。鼻かみ休憩は取りつつ、徐々に山を登っていった。檜洞丸まで残り2kmのところで煙草を一服。ここで手持ちのティシューが底をついた。これはこれで、かなり帰りたい気分にさせてくれたが、もう登るしかない。
 間もなくして展望台に到着。時刻は10時。ようやく木々に邪魔されず富士山を見る事が出来た。さすが秋の空、文句無しの美しさである。ここだけが見所かと思ったら大間違い。この先もしばしば景色が開け、美しい富士山が拝めた。
 山頂まで0.8kmの道標からだろうか。登山道が木道と階段が続く様になった。800mと聞くと短い様だが、山道だとかなり長い。200mほど進むと石棚山やユーシンロッジ側の分岐となる。ここは勿論、左手に進み檜洞丸へ。
 ちなみに鼻水は止まっていない。相変わらず流れ落ちる様に垂れてきていた。こうなれば鼻息で飛ばすだけである。飛ばすだけ飛ばしてタオルで拭く。汚いか?では、どうしろと?山に登るという事は、野生に還るという事。綺麗事ではやっていけないのだよ。
  11時6分、遂に檜洞丸山頂に到着。気候は涼しくても、汗はタップリかかされた。風邪がぶり返している気もしたので、早々に下りたいところだ。おにぎりを3つ食べ、一服して、11時20分には山頂を発った。
  檜洞丸山頂から犬越路へ向かおうとすると、まず度肝を抜かされる。その高低差、その展望の広さ、鼻水垂らしながら登った甲斐があったというものだ。東から西まで180度の展望が開け、色鮮やかな山、山、山。澄んだ空は富士山の向こうに日本アルプス(?)まで見せてくれている。この感動があるから、山に登ってしまうのだ。

 犬越路までの道のりは、最初は楽しいものだろう。山頂の一本道を歩く為、左右の景色が開けているからだ。崖に近い傾斜を下るのも新鮮だ。しかし、それも長く歩いていれば飽きる。そして肉体的に堪える。12時20分、いくつ目のピークだったか数えていなかったが、腰を落として一服。一歩間違えば転落するような道を歩くため、もう少し楽しめそうなのだが、やはり鼻水が私の気分を害している。

 13時、ようやく犬越路の避難小屋に着いた。ここからの下りも傾斜がキツい。これまでの崖の様な傾斜ではなく、普通の山道としての傾斜なので、かなり膝に堪える。しばらく行くと枯れた沢へと出る。これもコースの一部らしい。歩きにくい沢を下っていくと、右手に登山客が見えた。彼らの方にも道があるのか?その道は歩き易い道なのか?そう思いながらも沢を下ろうとすると、彼らが声を掛けてきてくれた。ツアコンなのだろうか、丁度道が逸れる場所らしく、そのまま沢を下ってしまう人も少ないないとか。
  あまり変わらぬ道を下っていく。沢に出ると平坦で楽なのだが、それも長くは続かない。短い鉄橋を数本渡れども、それではまだ道のりには遠い。道が舗装され、立派な鉄橋が見えれば、用木沢出合はすぐそこだ。
 13時55分、用木沢出合に到着。ここには車が2〜3台停められる。大室山と加入道山に登るなら、ここを起点にするのが良いだろう。
 用木沢出合から西丹沢自然教室までは、普通の道路を歩いていく。気温が丁度良く、体が冷えるのを抑えてくれた。14時20分に西丹沢自然教室に到着。とりあえずトイレで鼻をかみ、用を足し、煙草に火をつける。もう帰るのも面倒くさい。
帰り支度をしていると、犬が一匹近づいてきた。餌が欲しいのは伝わってくるのだが、生憎何も持っていないので、私には頭を撫でて謝ることしか出来なかった。
 段差が邪魔をして、バイクを停めた場所から後退で出れず、強引にバスの駐車場方面へと抜けた。それは良いものの、今度はチェーンが張ってあり、バスが出るのを待つか、幸いすぐそこに居るバスの運転手に断ってチェーンを外すか悩んでいたら、バスの出発を待っていた登山客の方がチェーンを持ち上げてくれた。身も心も疲れ果てていたせいか、こんなに心からお礼を言ったのは、人生初かもしれない。

 前を走る車は遅いは、国道246号は渋滞だわで、ノンビリと走らざるを得なかった。むしろそれで丁度良かったのだが。鼻水をすすっている内、胸やけがしてきた。こうなるとオシマイである。吐きそうになりながらも、気持ち悪さを堪えつつ、16時前には帰宅。
 風呂を沸かしながらバイクを片付け、荷物は部屋に放ったらかしてノンビリ入浴。そしてすぐさま布団に潜り込んだ。どうやら熱は出てないらしい。これだけ肉体を酷使したのだ。平地での生活に支障などあるまいて。

2008年11月2日日曜日

伊勢原の大山

 2008年11月2日、朝6時半には起きたものの寒くて動きたくない。空は晴れているが、寒いものは寒い。家でゴロゴロしていたいのが本音だが、なんとか体を動かし、準備を整え、8時前にはバイクに跨がり家を出た。
 休日のこの時間だけに、国道1号の上りは空いていた。下りは箱根を目指す観光客たちだろう。既に流れが遅くなりつつある。大磯で県道63号へと移り北上。長T・薄手のパーカー・Gジャンを着ていたものの既に寒くて、帰りたい気分だった。
 東名高速道路を潜って間もなく、一面が田んぼで景色が開けた。西側には富士山が、そして北側には目指す大山が。綺麗な三角形をしており、そして何よりも大きい。軽い気持ちで出かけただけに、この高さには不安を感じたが、それ以上にテンションが上がってきた。
 県道611号を登っている間に太陽が本格的に照り始め、だいぶ暖かくなってきた。もう引き返す理由はない。後は進むだけだ。
  見事なまでに観光地化された大山。伊勢原市にケーブルカーがある事はおろか、こんな場所がある事すら、今年になるまで知らなかった。既に駐車場待ちの車が並んでおり、時期的なものか人気の高さを伺わせた。
 駐車場から先は一筋の階段が延々と続いており、両サイドには土産店やら飲食店が建ち並ぶ。高知の龍河洞付近と似た様な感じだが、大山の方が濃度は濃い。

 階段を登り続け、大山ケーブル駅に着いたのが8時54分。既に行列が出来ており、9時の便は勿論の事、9時20分の便にも乗れるか怪しい感じだったので、予定外だが阿夫利神社下社まで歩く事にした。
 道は男坂と女坂に分かれており、男坂は鬼畜の様に段差のある階段が激しく続く。しかし私は男である。男なら男坂を選ぶしかあるまい。女坂を選ぶと途中に大山寺があり、ここからケーブルカーに乗る事も出来る。それに比べ男坂では、負け犬にあるのは引き返す事のみ。一度足を踏み入れたら、もう登るしかないわけだ。それにしてもこの大山、神道的な山かと思っていたら、ちゃっかり寺もあるのか。
 女坂と合流すると阿夫利神社下社は目と鼻の先だ。そこには綺麗な階段と社が待っており、食べ物にも困らない。9時半に下社に到着し、ここで一服。男坂でかなりの体力を奪われたのにも関わらず、ここから先が本題というのは厳しいものがある。
  最初に待ち受けるのは急な石段。そこを越えても基本的には階段状の道が延々と続く。人気が高いらしく周りは登山客だらけ。子供連れや年配の方々が多く目につくが、そんな生易しいコースではない。
 9時55分に十二丁目に着いて休憩。目指す山頂は二十八丁目である。十三丁目の辺りで景観が望めた。なかなか素晴らしい景色である。しかし山頂はまだ先だ。これ以上の景色がどんなものなのか、非常に興味がある。
  二十丁目にある富士見台からは、富士山が見える。霞がかった富士山と、雲から頭を付き出す山々。なんとも幻想的ではないか。山頂からは富士山がチラリと見える程度なので、ここでタップリと堪能しておこう。他の登山客の迷惑にならない程度に。
 10時25分、二十三丁目で休憩を取った。時間で見ると大した事ないが、傾斜が急なだけあって、体力はかなり奪われている。鳥居を潜れば山頂はすぐそこだ。10時40分、大山山頂に到着し、驚くべきはその景観。周りの山より高いだけの事はあり、見える範囲も半端ない。塔ノ岳からの景色も凄かったが、まさかそれを越える景色が拝めるとは。
 大山山頂に山小屋はあれど、宿泊施設はない。日の出を狙うならやはり塔ノ岳か、大山なら早朝登山と行ったとこだろう。
  朝食がシリアルだけだった事もあり、かなりお腹は空いていた。山小屋で冷め気味の焼きそば(400円)と豚汁(500円)を購入した。この場所で物を買って食べる事が出来るのだ、何も文句は言えないのだが、私のだけか豚汁に豚肉がまるで入っていないのは少し許し難い。
 山頂には阿夫利神社本社があるが、足を留めて見る程のことはない。人も多い事だし、11時前には下山を開始した。
  下りはまぁいつもながら退屈なので、iPodの登場。見晴台へと続く雷ノ峰尾根も、やはり階段状の登山道だった。
 11時45分には見晴台に到着して一服。悪くない景色だが、山頂からの景色を見た後ではどうでも良い。
  見晴台から阿夫利神社下社までは30分程の距離だ。傾斜はなだらかで、とても歩き易い。大山山頂を目指すなら、見晴台側から登った方が楽かもしれない。
 二重の滝付近で巨大な大木が倒れていた。山に登れば何処でも見れる光景だが、倒れた木々、変なところから生えた木々、とにかく様々で、自然の偉大さを感じる事で自分の小ささを知る。

 12時10分、阿夫利神社下社に到着し、今度こそケーブルカー。あれほど苦労して登った道も、ケーブルカーなら片道5分。12時40分には駐車場に到着し、その頃車で来た方々は、駐車場待ちの大渋滞に遭っていた。

 この日の予定では、ここからさらに相模湖方面へツーリングへ行く事にしていた。時刻的に微妙だが、いざ相模湖へ。季節が季節なだけあって、木陰に入ると寒さを感じるが、快晴の宮ヶ瀬湖を見てしまえば、それも吹き飛ぶ。宮ヶ瀬湖畔園地は大変賑わっていた。そんな中に下品なバイクが多数。暴走族である。八王子から下りてきたのだろうか。見た目もサウンドも、全てにおいて下品である。
 相模湖に向かいながら限界を感じ始めた。手はかじかみ、鼻水は垂れ放題。この辺は道が混むことが多いので、相模湖はチラリと見て、颯爽と津久井湖を目指した。
渋滞に巻き込まれながら三井大橋へと出て、津久井湖を眺める。かなり作業的である。出来れば16時から英会話のレッスンを受けたい為、津久井城跡を諦め、県道65号に乗って厚木へと南下した。
 とにかく寒い。どうしようもなく寒い。愛川町でコンビニに立ち寄り、熱い缶コーヒーで手と体を温め、先に備えた。15時15分には国道246号に出れた。とても微妙ではあるが、ここは諦めるより急ぐ方を選ぼう。東名高速で大井松田まで抜け、国道255号を南下。なんとか16時前には到着し、凍えながら2レッスン受けた。ちなみに、この芯から冷えた状態を、英語では「Cold to Born」と言うらしい。芯か骨かといった違いだけで、根本は同じである。

 自宅に帰って夕食を食べ、この冷えた体をなんとかする為、近所の日帰り温泉へ。混んでいたので湯が程よくヌルく、長湯するには丁度良かった。芯から暖まったところで、そのまま「Red Cliff」を観に行った。山登りも、ツーリングも、温泉も、映画も、何をするにも一人。相手がいないからといって立ち止まるのが嫌いなのだが、それでも一人で行動しすぎな気もした。

2008年11月1日土曜日

大井川鐵道で寸又峡

 2008年11月1日、7時55分の電車で小田原に出た。8時4分の新幹線に乗り、車内で朝食を摂ろうとも思ったが、何も食べずに過ごしてしまった。
 9時前には静岡に着いた。県庁所在地なだけあり栄えているが、浜松の方が勝っている様に感じるのは、私が双方を良く知っていないからだろうか。iPhoneを頼りに駿府公園へと向かった。この町には、それ以外に用がないから。なかなか大きなお堀。見るからに敷地の広さを感じさせる。立派な東御門を潜り、いざ公園を堪能しようとしたら、そこは大道芸大会の会場となっていた。大道芸を否定するわけではないが、今日はそんな姿勢で来た訳ではない。綺麗な公園で、のんびりと歴史を感じたかったのだ。気分を害したので、県庁別館に向かってみたが、展望室の入場は土曜日なせいか10時から。天気が良かっただけに残念だ。駿府公園を一望できないのも残念だ。しかし、驚く程の高さではないので、あっさり諦めることが出来た。
  洒落た建物が見えたので足を向けてみると、そこは静岡市役所だった。特に用もないので写真だけ撮り、KFCに寄って朝食を摂った。私にとって静岡という町は、ついででしかない。

 10時23分の電車で金谷へと向かった。同じ東海道線なのに、ローカル色を強く感じるJR東海。真っ直ぐに伸びた線路、かなり密接な住居、これはこれで良いものだ。
 10時53分に金谷に着き、いよいよ本題に入る。

 大井川鐵道のSLに乗るには、基本的に前々日までの予約が必要だ。当日でも乗れるようだが、時期によっては・・・紅葉の時季は満席必死なので、公式サイトで予約を取っておくのが良いだろう。私にしても、前々から席の空き具合を確認していたのだが、気づけば11月2、3週が満席。さらに気づけば、1週目の日曜も往路は満席。恐ろしいものである。今さらではあるが、往復SLより片方は一般車両でも悪くなかったかもしれない。でも各駅か・・・。
 もう一つの心配事は、座席の形。想像するに4人掛けのBOX席だろう。知らない人に囲まれ、窓際に追いやられたら落ち着けない。かといって、通路側では景色が楽しめない。私が窓際のところへ、子供2人を連れた大人が来たら大変だ。子供2人は窓際を求めるだろうに、そうなると私は通路側へ行かねばならない。それがたとえ指定席でも。いろいろ恐れはしたものの、結果は一組のカップルとの相席だった。私が被害を被る相手ではなくて良かった。
 車内では様々なアナウンスが生で流れる。時にはハーモニカを演奏したりと、旅を飽きさせないのだが、男の一人旅には無用の物だ。脚を組めないのが辛く、寝たり起きたりしながら90分の時間を過ごした。
  12時半に千頭に着き、バスに乗り換えた。千頭駅前の公衆便所の外見は石造りで、原始的なイメージが魅力的だが、中身は現代的なので安心して欲しい。
 バスは大井川沿いを進み、山間へと入っていく。その大半が細い道で、所々に交通誘導員が居ては、対向車の通行を止めていた。一般車両の観光客にはたまらないだろう。
 バスからの景色は絶景である。足を止めたいところだが、バスではどうしようもない。かといって車を路肩に停めたら、非常に迷惑な道幅だ。

 寸又峡に着いたのは13時過ぎ。かなり山奥に来たのに、そこには人が住み、大勢の観光客がいた。宿も困らない程度にあるが、1年を通じて収益を出せるぐらいには稼げているのか疑問に思うほど山奥である。
  寸又峡で私に与えられた時間は1時間。大井川鐵道を堪能するなら、最低でも1泊2日の予定を組んでおく事をお薦めしたい。
 土産物なぞ一切目もくれず、早足で夢の吊り橋へと向かう。この橋の中央で、若い乙女は恋の成就を願うと言うが、観光客だらけの今日という日にそんな乙女がいる筈もなく、そもそも吊り橋の真ん中で立ち止まられては迷惑だ。
 観光客が多いせいか、夢の吊り橋は一方通行に規制されていた。こうなると必然と飛龍橋も回らねばならない。90分と言われるコースを60分以内に回る為、早足で歩き続け、さらには夢の吊り橋の先にある300段以上の階段も急いで登り、飛龍橋へ歩きながら息を整えた。バスの出発する時刻の5分前に着いたのは良いが、我ながら旅行会社に負けない詰め詰めの予定を組んだものである。
  結局のところ寸又峡はどうかと言うと、素晴らしい場所である。大井川の水は美しく、紅葉もそれなりに始まっていて、かなり色鮮やかで美しかった。
 寸又峡は素晴らしいし、大井川鐵道で千頭より先に行ってみたいし、何と言っても秘境駅と呼ばれる尾盛駅に惹かれる。是非とも1泊2日のツーリングで再び訪れたい場所だ。

 行きといい帰りといい、私の特等席は最前列左側の一人席。ここだけは空いているって事は、それだけ独りで来る人がいないって事か。まぁ行きも帰りも異なる方向の景色が楽しめたので文句はない。
 この道中で興味深いのは景色だけではなく、奥泉駅前の公衆便所だろう。千頭駅前といい、何故こんなに原始的なデザインなのか知らないが、それはそれで新しい。外から女子便所が丸見えだったが、とうぜん扉はあるのだろう。

 15時5分に千頭駅に着き、予約していた15時23分のSLに乗った。今度は4人掛けBOX席を独り占めである。景色を堪能し、SLの汽笛に耳を傾ける。行きの時もそうだったが、地元の方々はSLを見ると手を振ってくれる。これは何とも嬉しいものではないか。一人旅の私にはどうでも良かったが。
 90分間景色を眺めているだけでも飽きはしなかったが、空腹に負け、新金谷駅の手前で、早く帰りたい気持ちだけが残った。駅弁の車内販売は完全予約制なのか、多少の余裕があるのか知らないが、帰りのSLであったのは土産物の車内販売のみ。もうどうでも良い。

 金谷駅から東海道線に乗り、掛川で新幹線に乗り換えた。掛川の町を歩きたい気持ちもあったが、既に陽は沈んでいたので断念。まぁツーリングで掛川城には行ったから、それだけでこの町の魅力の80%は満たしているだろう。
 19時には自宅に到着。濃かったのか薄かったのか、良く分からぬ旅だった。次に行く時は一人でバイク、もしくは女性と車か電車で、泊まりがけで来たいものだ。

2008年10月12日日曜日

鴨川までの日帰り房総

 2008年10月12日、自ら4時にセットしたアラームに起こされたものの、この時期になると少し寒いので起きたくない。「今日は家でゴロゴロしていたい」と思いはしたが、そうすると三連休を何もしないで終えてしまう。気が進まぬまま支度をし、朝食を摂って、5時20分には家を発った。
  まだ薄暗い中、西湘バイパスから国道134号へと走り抜けた。当然ながら前を見ていると、朝日が私を出迎えてくれた。そうか、私は今、太陽に向かって走っているのだ。そう思うとテンションが上がってきた。
 国道134号から鶴岡八幡宮方面へ入り、朝比奈ICから横浜横須賀道路に乗って、そのまま首都高湾岸線へ。天気は快晴で気持ちが良いものの、海岸沿いなだけあって風が強く、高速道路から吹き落とされるのではないかとビビり、チキンな走りを見せていた。それだけに横浜ベイブリッジなど死ぬ思いである。周りの景色を楽しむ余裕など無い。風に負けて海に落ちないよう必死にバランスを維持するだけだ。
 湾岸線でこの調子なので、東京湾アクアラインなど死にに行くようなものである。「横浜まで来たし、もう帰るか」とも思ったが、勢いで進んでしまった。
 初めて走る東京湾アクアラインは、延々と続くトンネルだった。これなら恐いものなどない。しかし、このトンネルが終わったらどうしよう・・・。そんなチキンな私の不安とは裏腹に、トンネルは海ほたるまで続いていた。
  7時7分、海ほたるに到着。お腹が冷えたのか、自宅で排便したはずなのに、また排便したくなった。缶コーヒーを飲み、煙草を吸い、海ほたるからの景色を堪能した。こんな所まで道を作ってしまう人類とは、何とも凄いものである。

 7時45分に海ほたるを発った。木更津まで伸びる東京湾アクアブリッジに恐怖したが、風は心地よい程度で済んだ。君津ICで降り、県道92号をひた走る。なんとも長閑な風景だ。房総スカイラインは緑に囲まれ、三枚着ていても少し寒かった。早くも尿意を覚えて辛くなってきた頃、道の駅”ふれあいパークきみつ”に到着した。8時33分、放尿を済ませ一服をし、早々に出発。君津ICを降りてからというもの道路はかなりガラガラだっただけに、かなり良いペースで進み、9時3分、鴨川シーワールドに到着。
  開園が9時だというのに、既に多くの人が入場していた。ただでさえノンビリ見ないのに、こうも混んでいては余計見る気が無くなる。そんな私の脚を止めたのが亀であり、蟹であり、マンボウであった。外から見た感じでは、どうって事ない水族館の様な気がしたし、魅せ方も昨今の水族館に比べれば若干劣る。しかしそれを補ってくれる程のマンボウであり、そして巨大なベルーガである。
 9時半からベルーガの紹介、10時からイルカのショー、10時半からシャチのショーと、異なった場所で行われる。時間的には良いのだが、人の流れ的にはかなり厳しいものがある。ベルーガは数分程で退席し、イルカのショーまでの間に熱帯魚系とペリカンの散歩を堪能した。
 名古屋の巨大プールを見てしまうと、プールのサイズ的に他の水族館には期待できなくなってしまう。しかし、それを補うほど素晴らしかったイルカ達の演技。シャチも見事に慣らしているのには驚いた。シャチが人を背中に乗せるほど気を許すなんて、ブラックジャックでもいるのか?
 素晴らしいショーではあったが、とにかく混んでいた。ベルーガ、イルカと人はどんどん集約されていき、シャチのショーにもなると酷い混雑だったので、シャチがジャンプ以上の事をするとも思えず、10時50分には鴨川シーワールドを後にした。
 ちなみに、私が帰る事には入場券売り場に長い行列が出来ていた。まぁシャチが見れる所は少ない上に、あれだけのショーだ。人気があるのは頷ける。

 長狭街道を走っていると、やたらとサイクリスト達が目についた。ゼッケンは付けているものの、ユニフォームが統一されていないので、勝ち負けを競う程のものではないのだろう。それにしても凄い量だった。一つの集団が切れたと思いきや、次の、そのまた次の、と集団が続々と走っている。サイクリストがこんなにいる事実、そして、それだけの参加者がいるにも関わらず、狭い長狭街道を普通に車が走っている事。こちらとしても長狭街道を封じられては困るのだが、サイクリスト達にはかなり危険である。ドライバーからすれば、かなり邪魔である。私としては、日本人がツールの常連として出場する日を待ち望んでいるので、彼らを応援したい。ちなみに、それだけの人が参加していれば、一人はママチャリがいても良いのではと思ったが、残念ながら見当たらなかった。但し、サイクリストらしくない体型の参加者はおりましたが・・・。

 多々山肌が抜き出しになっている鋸山に魅力を感じたが、金谷漁港へ真っ直ぐ向かった。11時45分に到着したものの、丁度フェリーが出た時刻だったので、12時30分の便に乗る事になった。久里浜までなので距離は短い。しかし、バイクを積んでも込み込み1,640円とは、フェリーの印象からすると安い気がした。
  金谷から久里浜まで35分。今日のコースからすると、東京湾フェリーで往復した方が安くて早くて楽だったと思えるが、出来るだけ同じコースを走らない事に意義があるので、これは今後の参考として覚えておこう。
 フェリーからの景色を楽しむつもりでいたが、久里浜までの短い距離で違った風景を味わえる筈はなく、ヨダレを垂らして眠ってしまった。

 久里浜からの道のりは混んでいた。さすが湘南である。下品なバイクのマフラー音もしばしば聞こえた。さすが湘南である。
 13時58分に城ヶ島灯台付近に着いたが、そもそも私は何をしに来たのだろうか?「海鮮丼が食べたかった」という理由はあったが、思い返すと他には無い。むしろ鴨川や金谷で海の幸を食べても良かったのではないのだろうか?
 ともあれ城ヶ島灯台。観光客は多かった。暴走族もいた。いつ見ても恥ずかしい単車であり、私服もセンスが無い。
  何気に朝食から何も食べていないので、梶ノ亭で三食丼を食べた。イクラとマグロとウニが乗って1,600円(味噌汁など付)と贅沢ではあるが、前日に焼鳥屋で4,000円支払っている事を考えれば安いものである。味については触れずにおこう。ある程度美味しいと、私の舌ではそれ以上判別ができないからだ。不味いものを出されれば「不味い」と判別出来るのだが。
  お腹も膨れた事で、京急油壺マリンパークに向かった。本日二度目の水族館は、城ヶ島から遠くない。
 空に雲がかかってきたせいもあり、鴨川シーワールドと比べると少し寂しげな気がした。特に迫力のある生き物はなく、唯一楽しみにしていたイワトビペンギンの周りには人が群がっていたのでパス。15時30分からイルカとアシカのショーがあるとの事で、早々に席を取りに向かった。
 室内に設けられたプールには、様々な小道具が置かれていた。稚拙な演劇を見せられるようで、昭和の臭いがプンプンした。開始時刻が近づくにつれ観客が集まり、遂には満席。ストーリーを織り交ぜたショーは、全く期待していなかった事もあり、かなり楽しめた。本当にスタッフには申し訳ない。”稚拙”と書いた小道具類も実に活きており、素晴らしい完成度である。感想を挙げていたらキリがないので簡潔に纏めると、そこには歴史と努力を感じる、他の水族館では味わえない油壺だけの魅力が詰まっていた。小生、実に感服したが、人混みに飲まれるのが嫌なので、一足早く退出してイワトビペンギンを見て、16時5分には発ってしまった。
 問題なのはここからである。折角暗くなる前に帰ろうと早めに発ったのに、延々と続く渋滞に飲み込まれてしまった。道は狭いがなんとか追い越し続け、羅将ハンの如く答えるならば、「100台から先は覚えていない」ほど追い越していった。逗子市街に着いたのが1時間後。なんとか18時迄には帰宅したかったのだが、国道134号から外れてしまい絶望的。自分の位置を掴む事より、追い越す事を優先し、鎌倉駅付近でようやく自分の位置を取り戻した。かなりイライラしながら煙草を銜えた。何よりも追い越す事を優先したいので火は付けなかったが、これだけでも少し落ち着けるのは新しい発見だった。随所随所で道は空くものの、藤沢なり茅ヶ崎なり近づくと再び混み出す。17時56分、相模川を越える前に陽は完全に沈んでしまった。
何を急いでいるかと言うと、父が家に帰ってくる前に帰宅したかったのである。父が先に帰れば、スクーターと車を車庫から出した上で、バイクをしまう事になる。何度か父に電話をしたものの、応答は無かった。しかしそれも、この時刻では諦める他ない。花水川を渡ったところで休憩し、一か八か西湘バイパスを使って一気に国府津まで走り抜けた。

 18時45分、帰宅すると車は外に出ていた。電話は繋がらなくとも、想いは通じていたのかと感激したが、父は着信すら気づいておらず、単に私が今日中に帰ってくる事を知ったから車を出していただけだった。まぁ結果としては同じ事なので、これはこれで有り難い気遣いだ。

 本日の教訓は「湘南なんてクソ」だ。湘南ナンバーが言うのも何ですが・・・。

2008年10月4日土曜日

不老山ピストン

 2008年10月4日、朝6時過ぎに起床した。窓からは青空が見えているが、体がダルい。まだまだ寝たくてゴロゴロしていたが、この快晴で出かけないと後悔するのは間違いない。荷物をまとめシリアルを食べて、7時過ぎには家を出た。
  すっかり秋なだけに、朝のバイクはそれなりに寒い。これで目的地が丹沢湖なのだから、余計寒い。永歳橋を渡って左手の落合トンネルを抜け、世附へと向かう。走っている最中、ふと左手を見ると、朝陽を浴びた世附大橋と丹沢が美しい光景を描いていた。
 世附キャンプセンターの前にトイレ付きの駐車場があったので、8時、ここにバイクを停めて不老山を目指す事にした。

 ここから徒歩で先へと進むわけだが、やたらと路肩に車が停車していた。釣り客なのか工事現場の労働者なのか、「40台は並んでいた」と言っても大袈裟ではない。暫く歩くとゲートがあり、一般車両の進入が妨げられる。このゲートの手前にも小さな駐車場があったが、路肩がこの調子なのでバイクを停めるスペースも無かった。
 ゲートを越え、さらに世附川沿いに進む。上の山駐車場から20分程歩いたところで、とても吊橋らしい吊橋が待ち受ける。ある意味、これが不老山ハイキイングの目玉かもしれない。
  この吊橋には渡らず、そのまま道沿いに200m進むと”夕滝”という滝があるらしい。400m先に滝のある気配は感じられなかったが、折角なので行ってみた。そして、これがまた素晴らしかった。
 通常、滝と言えば眼前に水の落ちる凄まじさを感じさせるイメージがあるが、この夕滝は魅せ方が違った。世附側を挟んだ先にある為、間近では見られない。しかし間近で見る必要は無い。山の頂上から流れ落ちているのではないかと思う程、高い位置から水が段々と流れ落ちているのだ。山の中を流れ落ちる一筋の滝、丹沢湖を訪れた際は、是非とも見て頂きたいスポットだ。

 吊橋へと戻り、いよいよ渡る。木とワイヤーで作られた吊橋は、一人ずつ渡るよう促しているだけあって、よく揺れてとても頼りない。緊張しながらも渡り終えると木々に囲まれた。道標はあるものの、どう見てもその方向に道は無い。何処へ進んで良いのかまるで分からぬ状態だったが、とりあえず直進してみると、右手に道らしき道があった。私の判断は正しく、木々に囲まれながらジグザグした山道を延々と歩き始める事が出来た。
  まるで人気のないハイキング・コースだが、途中で2人組の登山客が休憩していたので追い越した。さらに休まず進んでいると、川のせせらぎが聞こえた。右手下方に沢を眺めながら、細い山道を登っていく。ようやく沢が同じ高さまできたら、沢を越え、再び木しかない世界へと突入していった。水場と言えば、この沢と合流する場所だけしかない。但し山道は比較的緩やかなので、水分を取らずとも休まず歩いていける程だ。
 林道へと出て9時11分、世附峠に到着。御殿場市が見えるものの、霞んでいるのが非常に残念だ。秋になったとはいえ、まだ空気の澄み具合が足りなかった。さらに、朱く染まり始めた葉を楽しみに来たのだが、山中ではまだ葉は青々としていた。
  世附峠で10分ほど休み、不老山を目指す。途中から傾斜が急になるが、そこさえ抜ければ頂上は遠くない。9時41分、小山方面への分岐に到着。山々が見えるものの、ちょうど富士山の前に雲があって拝めなかった。不老山山頂まで残り200m。ここであまり休んでも仕方ないので歩を進め、9時48分に不老山山頂に到着。
  不老山山頂にはベンチとテーブルがあるので、仲間と食事を摂るには良いかもしれない。しかし私は一人だ。展望はまるで拝めないので、煙草を吸って立ちションをして、計5分程で早くも下山を開始した。

 山頂から棚沢キャンプ場方面へ下りる事も出来るが、それではバイクを取りに行くのが大変なので、来た道を戻り始めた。登りの際に世附峠で気になった”樹下の二人”。よく分からないが眺望が良いらしく、7分程の距離との事なので行ってみる事にした。傾斜は緩やかな道のりで、ススキに囲まれ眺望が開けていた。先に見える丘の上には檀(マユミ)の木が一本立っており、そこが蘇峰台こと”樹下の二人”だ。檀の木の下にベンチ、なるほど” 樹下の二人”というわけだが、私は一人だ。蘇峰台からは駿河湾まで見えるらしいが、分かるのは空気が霞んでいる事だけ。とはいえ、本日のコースで最高の眺望である。
  世附峠へと戻り、ひたすら下って11時24分、山の上駐車場に到着した。

 国道246号から新安戸トンネルの手前で左手に入って大野山方面へ向かう。案内板に従って、ひたすら、とにかくひたすら大野山を登って行く。道中にボクシングジムがあったのには驚きだった。さらに驚かされたのは、かなり高い大野山頂上にある牧場付近に、集落があった事だ。

 大野山山頂の展望台までは、車で行こうと思えば行けるのかもしれない。私は”まきば館”の駐車場に停めてしまったので分からないが、舗装された道路が続いているように見えたので、歩くのが嫌いな人は車で行ってみると良い。
 展望台へと歩き出すと、本日見た中で最も素晴らしい眺望が拝めた。あの登下山した苦労が、一気に否定された気分だ。とはいえ私も、山頂にいた大野山のハイキング客達の努力を侮辱しているようなものだが。
 間近で牛を見られたので、とりあえず目的は果たせた。しかし、この霞んだ空気。これが何よりの問題である。まだ季節的のものなのか、それとも汚染的なものなのか、後者だとすれば真剣に考えるべきだ。
 この大野山乳牛育成牧場。眺望が素晴らしく、牛が間近で見られても、特に客に媚びる姿勢は見られない。まきば館には何も無さそうで、唯一あるのが飲み物の自販機一台。そのラインナップの大半が瓶の牛乳とコーヒー牛乳なのは唯一の救いだ。とうぜん牧場に来たからには純粋な牛乳を選ぶべきだろう。ラベルを見る限り山北産らしいが、住所からではこの牧場産なのか否か私では区別がつかない。自販機で売っているだけあり、味も普通だ。まぁ牧場で牛乳を飲んだ事に意義があるのだが・・・。私が牛乳を飲み終えた頃、一組のカップルが牛乳の味を尋ねて来た。この時の私の回答が「まぁ、普通ですね」だ。もう少し気の利いた台詞は言えなかったのか、私は!「普通ですけど、この状況なら牛乳を選ぶしかないですよね」とか「お連れさんの乳と味比べさせて下さい」とか。疲れてたせいもあるのだろうが、これは反省すべき点だ。

 山北の”ラーメン ガキ大将”でニンニクたっぷりのコテコテスペシャルを食べ、14時には帰宅。英会話やら散髪やら、時間に追われていたので、休む間もなく洗車を開始。先週程ではないものの、山を登った以上、やはり疲れているものだ。

2008年9月27日土曜日

初めての塔ノ岳

 2008年9月27日、朝6時半に起床した。手早く準備して出発したものの、渋沢方面の山には雲がかかっていた。天気予報を信じるならば雨が降る事はないだろう。中止にしたいl気持ちはあったが、それではあまりに軟弱なので、そのまま向かう事にした。

 国道246号から県道706号へと入った。まだ朝なだけあって、半袖にGジャンでも心なし肌寒い。この周辺からのハイキングには、バイクにせよ自家用車にせよバスにせよ、県立秦野戸川公園が拠点となる。渡りはしなかったものの、そこにある風の吊橋は立派な物で、近場にこんな素晴らしい場所があるとは思ってもいなかった。
 県立秦野戸川公園に着いた際、警察官と話している男性が目についた。「一体何をしたのやら・・・」と飽きれていたが、私も同様に警察官のお世話になった。登山者カードの記入を促していたのだ。わざわざ促すだけあって、確かに登山客の量は多かった。
  7時50分に県立秦野戸川公園を発ち、鍋割山方面へと歩を進める。舗装された道を歩いていくと、まるで他人の家へ侵入するかのように細い道へと突入する。早速山道らしくなったかと思いきや、あっさり未舗装の林道へと出てしまう。
 傾斜の緩やかな林道が延々と続くので、まるで体力を削られない。流石にここまで緩やかだと逆に不安になってしまい、8時40分、ベンチのある場所で一服がてら位置を確認した。県民の森へと向かうゲートとの交差点を過ぎて間もなく、勘七ノ沢沿いの道になると二俣の駐車場は目前だ。しかし、ここで路頭に迷う。さらに奥へと続く林道はあるものの、ロープが張ってあり通行禁止の様に思える。そもそも私はハイキングに来ているわけで、もっと細い道を歩いてもおかしくないのである。後から来た登山客も迷っているのか、それとも私が迷っているのを楽しんでいるのか、先に進もうとしてくれないのでロープを越えて林道を進んだ。すると直ぐに道標が見えて、道が正しかった事を知る。
  ここからも大して急な傾斜は無く、林道をひたすら進む。道にはしばしば水が流れており、贅沢を言わなければ水には困らない林道ではあるが、何と言っても疲れない為、水場の世話になる事も無い。

 ミズヒ沢に着くと、道標から「鍋割山まで2.4km 所要時間1時間30分」と読み取れる。ここまで歩いた距離が5.3km程に対し、1時間半で来ているのだ。どんなに急でもこれは大袈裟だろうと思っていたが、その道標は現実的なものだった。
 沢沿いに少し登ると、いよいよ本格的な山道となる。急な傾斜がひたすら続き、一気に私の体力を奪っていった。登れど登れど実際にはまるで距離を稼げていない。途方に暮れていたら展望が開けてきたので、ようやく頂上付近かと思えば、そんな事はない。山頂までこの悔しさを何度か味わわされ、階段状になった道はドンドン私の体力を奪い、さらには周りは雲に覆われる始末。「もう鍋割山で終わりにしよう」と思いつつ、なんとか10時20分には山頂に到着した。この2.4km、立ち止まる事は多々あれど、休憩は全く取っていないのに1時間かかってしまった。
  朝食を食べていない事もあり、おにぎりを2つ食べて一服する。雲に覆われた鍋割山山頂も、時には雲が流れて秦野市が一望できた。否、それどころか南西に海が見えているので小田原市まで見えている。晴天だったら、どれ程の景色が拝めた事だろうか。
 山頂に着いた事だし、「もう鍋割山で終わりにしよう」という気持ちをどうすべきか検討しなければならない。来た道を引き返すならまだしも、先へ進んで二俣分岐から下るとなると、二俣へと出て緩やかな林道を下っていく事になる。出来ることなら同じ道は通りたくないので、そうなると金冷シから下るルートだが、そこまで行くなら塔ノ岳に行ってしまえという感じだ。この雲の中で塔ノ岳へ行ったところで、何が見られるわけでもないが、まぁ白い世界で震えていようではないか。

 10時35分に鍋割山を発った。もはや山頂から山頂へと渡るだけなので、あまり起伏がないことを祈った。実際それほどの起伏はなく、あっさり二俣分岐に到着。ここから塔ノ岳まで1.5km。雲も意外と流れてくれて、塔ノ岳を避ける理由は見つからない。
 大丸からかなり下って、金冷シの分岐に到着。塔ノ岳まで残り600m。余裕ではないか。と思ったものの、最後の200mぐらいだろうか、ひたすら階段を登らされる。これはかなり厳しかったが、11時35分、塔ノ岳山頂に到着。なんだかんだで1時間かかってしまった。
  山頂に着くと、いきなり鹿が2頭いた。登山客はかなりいるのに、のんびり食事を摂っている鹿たち。山道では人前に現れないクセに、山頂ではヤケに呑気なものだ。
 山頂からの景色は素晴らしい。雲がかかっているのは非常に残念だが、東から南まで半端ではない展望だ。さらには西に富士山が見える筈なのだが、残念ながら雲に隠れていた。
 これだけの街並が一望できるのだ、是非とも夜景も拝んでみたい。機会があれば、山頂の尊仏山荘に一泊して夜景を堪能したいものだ。
  11時50分に塔ノ岳を発ち、金冷シまで戻って大倉方面へと下った。秦野市街を正面に見ながら徐々に下っていくのは爽快だ。しばらく行くと階段地獄が待ち受ける。鍋割山同様、こちらもかなり整備されており、道が階段状になっているのだ。
 12時10分、花立山荘に着くと看板に”しるこ 300円”の文字が見えた。甘酒も豚汁も惹かれたが、お汁粉好きとしては汁粉を優先するしかない。よくよく見ると”カップ”とも書いてあった。あの3ヶぐらいパックで200円以下で売られている汁粉が、1ヶ300円で売られているのだろう。しかしここは値段よりも、今ここで汁粉を食べる事に意味がある。そういうわけで、早くも花立山荘で休憩を取った。

 花立山荘から少し下れば、木に囲まれ景観を楽しめなくなる。こうなると退屈な階段地獄との闘いである。iPodを忘れてきた事は大失敗だった。
  13時02分に駒止茶屋で一服し、途中の分岐で大倉高原山の家へと向かい、13時38分、顔を洗って休憩。ここまで来ると後30分程の距離なのだが、iPhoneをいじり出したりと、完全に山に対して飽きてしまった。ヤル気ゼロでダラダラと惰性で下りて、14時15分、ようやく県立秦野戸川公園へと戻ってこれた。
 山頂からの景色は素晴らしかったが、とにかくあの階段地獄は好めない。どちらかと言えば二度と登りたくない山である。
 疲れた脚を癒すため、県道706号の途中から抜けてスーパー銭湯”湯花楽”へと向かった。温泉ではなく銭湯なだけに、こういう通りすがりでない限り来ようとしないだろう。
料金は土日祝日850円に加え、貸タオルが300円。銭湯の分際で微妙に高いのが気に入らない。それを除けば悪いのだが、特筆すべきところもないので、再び来るとは思えない。唯一気になったのが、寝転がってお湯に浸かれる寝湯なのだが、一応全身が浸かる程度には湯がはってある為、陰部をタオルで隠すとなると湯にタオルを浸けねばならない。それはマナー的にどうかと思うし、かと言って私の”まっくろくろすけ”を晒すのも人様にしては迷惑なので、のんびり浸かる事は出来なかった。

 約6時間半の登山の疲れが、そう簡単に抜ける筈もなく、湯花楽を後にしてプラプラ寄り道しながらも4時過ぎには自宅に着いた。

2008年9月23日火曜日

豪雨の中部ツーリング その3

 2008年9月22日、岡崎は快晴だった。6時45分にホテルを発ち、岡崎城へ向かう。二輪車は無料で駐輪できて嬉しい限りだ。
 園内の建築物は綺麗で、横には乙川も流れているので、公園としての完成度は高い。城の裏手のお堀には水が流れていないが、それはそれで植物が生い茂り吸い込まれそうだった。徳川家康の像を見た後、大型車用の駐車場から一般車用の駐車場へ下りようとしたが、結構迂回しなければならなかったのは改善して頂きたい。
  岡崎ICから東名高速道路に乗った。世間は平日、通勤時間帯のせいか交通量が多い。昨日の豪雨の成果か、単に周りの流れによるものか、チキンの私に100km/hで走る事が苦ではなかった。美合PAは近すぎるので立ち寄らず、7時45分、赤塚PAで休憩。朝からミソカツ丼ときしめんのセットを食べ、今日一日分のエネルギーを蓄えた。PAのクセにコンビニと吉牛がある赤塚PA。月曜日なので「キン肉マンII世」の立ち読みを怠ってはいけない。
 三ヶ日ICで下り、竜ヶ岩洞へ行こうと表示に任せて国道362号に乗ったが、私の記憶と方向が違う。料金所を過ぎて直ぐ左に入るべきだったのか?しかし西気賀からの奥浜名湖が綺麗だったので良しとしよう。気賀から県道320号へ移った。ここまでは表示があったので良かったのだが、井伊谷の交差点で方向が分からなくなった。私が見落としたのかもしれないが、遠回りさせられた感じがしていただけに、この不親切さに嘆いた。
  9時20分、竜ヶ岩洞に到着。洞窟内は広く、かなり洞窟内を探検している気分になれた。水が豊富なのも飽きさせない利点だ。最大の目玉は、落差30mの”黄金の大滝”なのだが、無理に見ようとすれば濡れること間違いなし。迫力がある事は確かだ。開場後間もないこともあり、貸切状態だった。そのせいか、今年になって見た=生涯見た鍾乳洞の中で最も素敵な鍾乳洞だった。

 国道257号をひたすら南下すれば浜松城に着く筈なのだが、これがまた混んでいた。片側一車線の細い道路なのだが、意地で追い越しまくって浜松へと向かう。一方通行がやたらと多い浜松城周辺で迷いつつ、10時30分、どうにかこうにか浜松城の駐車場に辿り着いた。コンコルドというホテルの手前を入っていくのがポイントだ。敷地が広く日本庭園の綺麗な浜松城公園。しかし天守は小さかった。浜松市街を一望する為に登っても損はないと思うが、今回の旅は平等に何処の城にも入城するつもりはない。園内マップをロクに見てない事もあり、方向感覚を失って迷いながらも、どうにか駐車場に到着。相変わらずの一方通行に苦戦しながら、国道152号線に乗る事が出来た。
  一度だけ東から西へ走ったことがあるのだが、静岡県はバイパスが多くて非常に助かる。とはいえ、その勢いで目的地を過ぎてしまっては意味が無い。掛川バイパスに乗る前に、表示に従って掛川市街および掛川IC方面へ逃げたのだが、これは少し先走り過ぎた。国道1号線一般道を行くつもりだったのに、何やら山の方へ行ってしまった。大した害はなく、線路の下を潜ってそれなりに進むと、北北東の方向に城が見えた。それに向かって走って行くと、街並の一部が現代的な城下町風になっていた。到着である。

  高台にある美しき掛川城。その周りに立ち並ぶ黒レンガの家々。これぞ私の求めた城下町である。城下町風のエリアは極限られているが、それでもこの姿勢が嬉しい。「掛川市街を一望してもねぇ・・・」という事で城には入らなかったが、私がこれから進む方向の雲行きが怪しい事は確認できた(結局、僅かに小雨に遭った程度だったが)。


 小夜の中山をトンネルを潜ると、何かが私の頭を過った。この辺で一度、国道1号から逸れる予定だったのだ。地図を見て、道を引き返し、下道へと降りた。目的地は諏訪原城跡と金谷駅である。
 地図を見る限り、意外と敷地の広そうな諏訪原城跡。とりあえず順路に沿って歩いてみたが、結構距離があった。起伏が緩やかなのは助かったが。まぁ何と言うか、城跡と言われなければ単なる山の一部である。とても城があったとは思えないが、お堀の跡だけは見応えがある。石垣こそ無いが、深く掘られた複数のお堀が山の中に存在する事が、実に不自然で面白かった。とはいえ他に見所はなく、観光客もいやしない。かなり放置状態だったが、これで良いのか諏訪原城跡?
 続いて、SLが走る大井川鉄道の金谷駅へ向かった。運が良ければSLが見れるかと期待していたが、運悪くというか下調べをしていなかっただけあり、SLは見れなかった。是非ともSLに乗りたいので、今度は電車で来るとしよう。

 それでは国道1号線に戻って、駿府城跡を見に静岡へ・・・行く予定だったが、たかが城跡の為に都会の中を走るのは懲り懲りなので、相良牧之原ICへと向かった。どうせ大井川鉄道に乗る時に、静岡まで新幹線で来る事になるのだ。今回の旅行で無理矢理行く必要は無い。

 13時22分、相良牧之原ICから東名高速道路に乗った。牧之原SAで鶏の唐揚げを食べ、一服し、長い高速走行への覚悟を決める。掛川を発って間もない頃から風が強かったので、高速道路だとなお影響を受けた。適度な速度のトラックを見つけては、後ろについて快適に走行していた。利用者の多い東名高速道路なだけに、80km/h〜90km/hで走る大型車がゴロゴロいるのは非常に助かる。
 日本平PAで一服し、「次は富士川SAで休憩」と思っていたが、意外と疲れていなかったので走り続けることにした。しかし、私のペースメーカーが富士川SAへ突入してしまい、新たに代わりを見つけなければならなくなった。たまに左に寄り過ぎて、路肩の水たまりを踏む新たなペースメーカー。そのせいか、はたまた超小粒の雨が降っているのか、ヘルメットのシールドに水滴が付いていく。ふと気づくと、細かなジャブの連発が、意外と私の視界を遮っている事に気づいた。愛鷹PAまで残り2km、内心かなり恐い思いで走っていた。
 沼津から先になると走行車の数は減り、ペースメーカーは見つけにくくなった。チキンながらも少しは成長したようで、独力で90km/h〜100km/hを出し続けた。足柄SAで休憩を取るつもりだったが、ここまで来ると見知った土地だ。鮎沢PAも通り過ぎて、終点の大井松田ICを目指した。御殿場IC以降やたらと走行車の速度が速く、また80km/hで走るチキンの私に戻ってしまった。
 山北の辺りだろうか、景観の開ける場所があった。富士川SAを過ぎた直後も、物凄く景色が開けていた。この2箇所、私としては心底恐かった場所だ。北海道で高速道路に乗った時に気づいた事だが、近くに物体が無いと吸い込まれそうになる。距離感が掴みづらいのだ。富士川SA付近からの景観は素晴らしいものだったので、是非とも、助手席で堪能したいものだ。

 15時56分、大井松田ICを下り、ガソリンを満タンにして、16時16分、自宅に到着。走行距離1163kmに及ぶ旅は無事に終わった。3日間の平均燃費は1リットル辺り28.2km。流石バイクである。
 バイクを洗い、日帰り温泉で疲れを癒しても、19時には自宅で夕飯を食べていられる。静岡市を飛ばしたのは正解だった。

豪雨の中部ツーリング その2

 9月21日、朝5時40分に目覚めた。金沢城公園の開園時刻が7時なので、身支度を整え精算を済ませた。しかし、やけに料金が高い。店員に告げると、どうやら他の人をパック料金にしてしまったらしい。それでも私が9時間パックにしていたのは、受付用紙みたいので明らかではないか。対処方法が分からないらしかったが、とりあえず私に金をよこせ。後は店の問題だろう。受付時の店員も知能指数が低そうだった上、来ている客も頭悪そうなのが多かった。私にはこういう下品な空間は合わない。これなら車中泊とか野宿の方が全然マシだ。と書きつつも、旅先でネットが使えて充電も出来る事は、非常に助かった。

 外に出ると雨だった。おかしい。2日目に雨が降るのは太平洋側だけの筈だったから、先に北を攻めるコースにしたのに。仕方なく雨具を装備し、6時20分に出発。金沢城公園付近の有料駐車場に車の如くバイクを停め、徒歩で向かうが入場口が分からない。南東の入り口である石川門口は、兼六園側から道路を越えて行くのだった。
 園内を見渡す限り石川門口が最も見栄えが良さそうなので、アッと言う間に退散。兼六園に至っては一歩も足を踏み入れていない。北海道の旭川並に都会だった金沢。こちとら雨の中カッパを着て歩いている状態なので、またの機会に金沢は味わうとしよう。
  金沢西ICから北陸自動車道に乗ると、当然の事ながら右手には日本海がチラチラと見える。それに感動する以上に、雨の中の高速運転がかなり応える。8時10分、安宅PAで休憩を取った。尼御前SAからは先が長いので、再び休憩を取った。加賀を越え福井県に入れば天気が変わると思っていたが、雨は一向に止まず、8時50分、雨の降る越前丸岡城に到着。

  小ぶりながらも美しい形をした越前丸岡城。入場券売り場は城の少し下にあり、そこを抜けなければ城の姿をを目にするのは難しかった。濡れたカッパを着ている以上、入場する気は毛頭ない。しかし城の姿だけは見たい。潔く300円を払い、僅か30秒程の道を歩いて写真を撮り、颯爽と立ち去った。


 国道8号線から横に反れて福井城跡を目指すものの、自分の位置が分からない。そろそろ福井大仏の筈と思いiPhoneとツーリングマップルを照らし合わせると、確実に近かった。ふと見上げると、私の今いる交差点の名が「大仏前」。「灯台下暗し」とはこの事か!暗いのは下より上だったが。
 福井城跡も既に通り過ぎていた。片側だけ並木の道があったが、あれがまさかお堀とは気づかなんだ。道を一本奥に行くと、確かにそこにはお堀があった。石垣の上にあるのは城ではなく現代的な県庁。福井県庁も大した事をしたものだが、これはこれで見栄えが良い気がしたので、個人的には好きである。
  福井ICから北陸自動車道に乗り、10時40分、北鯖江PAで一服だけした。11時15分には杉津PAで一服。敦賀市を目前にして、遂に雨から開放された。
 かの信長・秀吉・家康が一同に会したという金ヶ崎城跡。とはいえ、城跡と名付けられた部分の何処に城があったのか想像もつかない。それらしい城跡を求めて山中を歩くが、結局見当たらず断念した。ちなみに、ここから見る景色は素晴らしく、敦賀港の美しさが良く分かる。
  港沿いを西へ向かって間もなく、急な登り道があった。どうにも嫌な予感がしたので減速したが、この橋はアーチ状になっており、手前がスピードを出しやすい道なだけに、気づいた時には車が飛んでいてもおかしくはない。いや、真剣に。
 松なぞに興味はないが、一応、気比の松原を見に行った。松原というだけあって、松ばかりである。
 国道152号をひた走り、どうにかこうにか三方五湖に到着。本来は電車で来るつもりだった敦賀だが、この三方五湖を見る為にバイクを出動させたのだ。152号を走っている時から先の雲行きが怪しい事は懸念していたが、久々子湖の畔で雨がパラパラと降り出し始めた。それでもレインボーラインの入り口まで来たが、三方五湖を十二分に楽しむには、さらにケーブルカーに乗る必要がありそうだ。天気は悪いは、時間的にも余裕が無いわ。この旅の最大の目的ではあるが、またの機会という事で、雨から逃げるように敦賀へと引き返した。
 その決断も手遅れで、激しく雨の攻撃を喰らう。金ヶ崎城跡の駐車場で、カバン類と靴のカバーは外してしまった。敦賀の天気を覚えているだけに、守る事より逃げる事を優先してしまう。敦賀ICから北陸自動車道に乗った後も、雨の攻撃は軽いながらも続いた。「滋賀県に入れば・・・」と甘い期待を寄せていたが、結局止んだのは賤ヶ岳SA。「雨の中でPAに寄っても意味が無い」という理由で刀根PAに寄らなかった事もあり、かなり疲れた。

 長浜ICで降りて長浜城豊公園へ。古い街並みがあるらしく、それを見たような見てないような・・・ともあれ、14時30分に長浜城豊公園に到着。白さが際立ち美しい長浜城、綺麗に整備された豊公園、目と鼻の先には琵琶湖。素晴らしい場所である。とはいえ、今日のノルマは陽が落ちるまでに彦根城〜岐阜城〜犬山城〜小牧城〜清洲城と周る事。もはや無理なのは分かるが、結果が出るより先に諦めたら、そこで全てが終わってしまう。
 一服して長浜城豊公園を発とうと思ったが、大粒の雨を感じたので煙草は断念。急いで彦根へと向かうが、これが逆に仇となったのかもしれない。雨は土砂降り、雷は瞬き、道路は渋滞。そして雨具はカッパのみ。琵琶湖沿いを走る"さざなみ街道"は、私にとっては地獄だった。どうにか彦根に着いたものの被害は甚大。ようやく完全装備にしたが、カバンの撥水機能も若干破られたようだ。
土砂降りの中、それでも予定を諦めない私。彦根城の駐車場にバイクを停め、せめて外観だけでも写真を撮ろうと思ったが、敷地内に入ることそのものに金が必要だった。傘は無いのでヘルメットとカッパを装備した私には、これ以上進む勇気は無い。二の丸の入り口だけを写真に収め、「せめて岐阜城だけは片付けよう」と思いながら彦根ICを通った。

 待ち受けていたのは更なる地獄。鬼畜の様な土砂降りの名神高速道路。長浜までの間でカッパは臨界点に達していたのに、遂には雨具を抜けて浸透してきた。死ぬ思いで伊吹PAに到着し、行く先の天気をチェックすると愕然とした。もはや目指すは岡崎だ。元々は「彦根〜敦賀」「静岡〜愛知〜岐阜」をそれぞれ電車で巡る1泊2日の計画だったのだ。だからこれらの計画をいずれ実行すれば良い。

 とうに走行距離は200kmを越えており、本来なら彦根でガソリンを補充する予定だったが、機会を逃して名神高速道路に乗ってしまった。とはいえ、昨日の燃費を考えると、今日は高速走行が多いだけに、養老SAまでは余裕な筈だ。養老SAまで3kmを過ぎた頃、バイクは勢いを無くし、遂には停止した。この土砂降りの中、ガス欠である。少し立ち往生はしたものの、予備タンクのお陰で養老SAには辿り着いた。走行距離315kmに対し、補充したガソリンは12リットル。改めて計算すると、無くなるべくして無くなった感じかな。
 養老SAで真っ先にGSへ向かってしまった為、休まず地獄の名神へと戻った。但し、財布の中を整頓する数分間、屋根のある場所に居座らせてくれたGSの従業員には、とても感謝しております。
 大垣もやはり土砂降り。いや、本降り程度か。どうにか鬼畜な雲は抜かしたようだ。と思いきや、岐阜羽島IC付近で、前もロクに見えない様な豪雨に襲われた。愛知県に入ると雨も小粒になっており、17時05分、尾張一宮PAに到着。温かい缶コーヒーを飲みながら一服していると、SA/PAに関するアンケートの回答を問われた。いやいやいや、貴方が知る筈もないが、私は彦根から地獄を味わってきたのだよ。そういうのは"ずぶ濡れのカッパ男"ではなく、軽装備のドライバー達に尋ねろよ。気を悪くして尾張一宮PAを発とうとすると、大粒の雨が当たる音がした。追いつかれたのか!?すぐに追い抜かし、小牧JCTで東名高速道路へ。ようやく聞き慣れた道路に入れて安心した。
 大雨洪水注意報の名古屋市は、雨も小降りで快適だった。17時50分、かなり小雨の東郷PAでノンビリ休憩。と言っても店内には入らず。今日はカッパを常時着用と決めたと同時に、建物内には一切入らない事を決めていたのだ。だから食事も一切摂っていない。東郷PAでもアンケートの協力を頼まれた。この時には気分が良かったので回答。お礼にウェットティシューを貰って大喜び。では出発とエンジンをかけた瞬間、また大粒の雨が降り出してきた(すぐに抜けたけど)。
 東郷PAを発って間もなく、完全に陽が落ちたので私の走行速度も70km/hに落ちた。弧を描いた無数の道が輝く豊田JCTの美しさに惹かれ、路肩にバイクを停めたくなったものの、先のガス欠の時とは状況が違うのだ、そのような非常識な事はせずに先へと進んだ。岡崎ICで降り、18時40分、東岡崎駅付近の"ホテルグリーンリッチ徳川園"に到着。本日の宿である。

 "徳川園"と名乗りつつも、個人の趣味が強く反映された置物が多々置いてある。まるで調和の取れていない空間ではあるが、これはこれで面白いから良し。無線LANも有線LANも使えるし、ユニットバスも付いているいるから良し(ウォッシュレットが無いのは残念だが)。
 まず干すべき物を干しながら、湯を溜める。風呂で疲れを癒したら、洗うべき物をホテル1Fのコインランドリーに持っていく(たぶん業務で使っているのを開放しているだけだと思う)。洗濯の合間に、(たぶん)近場の中華&焼肉の店に出前を頼む。予想より早く、電話してから15分で来てくれた。届けに来てくれたのは、店主と思われる中年の方。明らかに街の飲食店な臭いをかもし出している。では問題の味だ。
 まずはチャーハン。塩と胡椒の加減は良い。玉子の焼き具合など求めはしない。ただグチョグチョだった。とうぜん使ったのは炊いてある飯だろう。水分が全く飛んでおらずグッチョリしている。それに加えて油も飛んでいない。15分で届いただけの事はある。正直なところ、「これ料理?」と言いたい。しかし、これが旅の味である。火の通りが弱いチャーハンは、猫舌の私には丁度良い熱さだった。
 注文したのがもう一つ、それは野菜スープ。とにかく熱い。信じられないほど熱い。とてもチャーハンと同時進行は出来なかった。チャーハンを食べ終えた頃、洗濯終了10分前となり、野菜スープはそのままにして部屋を出た。洗濯物を乾燥機に投げ込んで部屋に戻ると、スープはどうにか食せる熱さになっていた。常に火を通してあるスープに、野菜を炒めて投げ込んだのだろう。かなり油が浮いている。チャーハンといいスープといい、かなりコレステロールが高そうだ。
 本日最初で最後の食事という事もあり、キチンと平らげた。味に五月蝿いわけではないし。悪い点ばかり挙げたが、これぞ"旅の味"だと思う。"お届けガスト"という手段も用意されていたが、中華を選んで本当に良かった。