2009年8月29日土曜日

ガンダムとY150

 2009年8月29日、午前中から都内へと向かった。大井町からりんかい線に乗り、東京テレポートで下車。目指すはお台場なのだが、真逆の方向へと歩いてしまった。その事実に気づいたのは東京ビッグサイトを通り過ぎてからであり、軌道修正を試みようにも方向感覚が無いので、無意味にビッグサイトを一周してしまった。暑い日差しの中脚も疲れたので、国際展示場からゆりかもめに乗った。その混み様から乗車制限されているという台場。それ故にりんかい線を使ったのだが、降車する分には制限などないので、始めからゆりかもめで向かっていれば良かった。

 船の科学館を過ぎれば目的の物が見えてくる。そう、等身大ガンダムである。大して動くわけでもなく、ただ等身大というだけなので、始めは興味がなかったガンダム。しかし、それも8月31日までともなると見たくなってしまったのだ。
 台場から歩く人の量は多い。老若男女様々な人がガンダムへと向かっている。普通の人でもガンオタは少なくないので、想像よりは暑苦しくなかった。
  予想以上の時間をかけて目撃したガンダム。間近で見ると18mはやはりデカイ。馬鹿なものを作ったものである。とはいえ、等身大を作るとしたら、当たり障りのない初代ガンダムを選択するのは利口なところである。やれアッグガイだのパーフェクト・ジオングだのと、性格の捻くれた奴らに答えていたらキリがないからだ。ちなみに私の希望はザクタンクである。
 ガンダムの股の下を潜るのに多くの人が並んでいた。それをしたからと言って何になるわけでもないので、私は傍観。屋台が多く並んでいたので、広島焼きを食べたのだが、キャベツばかりで値段に相応していない内容だった。残念な想いで空腹を満たしていると、ガンダムが首を動かし始めた。やはりどうでも良い事だ。とはいえ、撮り甲斐のある被写体である事に違いなく、望遠と魚眼で堪能させて頂いた。
  帰り際、潮風公園のゴミ箱を見るとペットボトルが溢れていた。実に都会的な光景である。
 あえて船の科学館からゆりかもめに乗り、無事に座る事も出来た。前には若いカップルが座り、季節がら少女は生脚をはだけている。脚フェチとしては気になるところで、フォルムは悪くないがもう少し毛の手入れをした方が良いだろう。まぁこれだけ間近で見ない事には気にならない程度だが。

 次の目的地は横浜だ。みなとみらい線で中華街へ行こうと電車に乗り込むと、電車は逆方向へ進んでいった。何も考えずに出発直前の電車に乗ってみれば、この様である。大人しく次の停車駅で乗り換えて、元町中華街へと向かった。

 久々に来た中華街。こうして見ると、外国人が想像する中国を街にしている様な感を受けた。単に本土が徐々に現代的になってきているだけかもしれないが。
 魚眼を装備していたのだが、オブジェ的な物が想像以上に少なく、魚眼を活用する場に悩んだ。それでも何枚か撮影した後、山下公園から歩いてみなとみらいへと向かった。
  さすが横浜、この辺は実にアート的で歩いていても一向に飽きない。但し男一人で立ち寄る場所はない。もちろん、私が場違いなだけという事は自覚している。

  一つ目の目的はY150の巨大グモ”ラ・マシン”。むしろそれしか興味がないので、どうにかタダで見れないかと歩いていたら、サークル・ウォークから見る事が出来た。17時の公演まで15分ほど。サークルウォークから眺める貧乏人たちに紛れて待っていると、夜間割引券(¥1,200-)の存在を知った。このまま遠目に見ているのは惨めだし、遠目に見るラ・マシンは1,200円の価値があると思い、入場する事を決意した。

 結構な人だかりだが、撮影する分には望遠があるので問題ない。ビデオ撮影している人もいたが、この人たちは帰ってからそれを見るのだろうか。そうして見ていると、どうにも間近で撮りたくなってきた。ラ・マシンの接近に伴って、後退する見学客。その乗じて最前列へ向かい写真を撮っていると、ラ・マシンが水を吐き出した。これはこれで楽しいのだが、水からカメラを守る事に必死だった私。
  ラ・マシンに満足した私は、海のエジプト展を見にパシフィコ横浜へ。しかし時すでに遅し。最終入場が17時と、実に子供だけに的を絞った公開時間に肩を落とし、私はただただ立ち去るしかなかった。

  食事を摂りながら陽が落ちるのを待つ。最後の目的はコスモワールドの撮影である。この為に小さい三脚とリモコンも用意してある。そこでの撮影に満足した私は、そのまま帰らず税関方面へと歩いた。どうせなら夜景も撮っておきたいからだ。

 最後に横浜市開港記念会館を撮り、日本大通りから電車に乗って帰宅。かなりカメラ三昧で有意義な一日だった。

2009年8月15日土曜日

日原鍾乳洞

 2009年8月15日、朝8時5分に家を発ち、小田原厚木道路で厚木西まで抜け、厚木で飲み物の調達とガソリンの補給をした。国道129号から八王子バイパスに乗り、9時40頃には国道16号から国道411号へと移りあきる野方面へ。しかし、これは大失敗。国道411号へ移ってすぐ、延々と渋滞が続いていた。道幅は狭く、追い越し出来ない箇所も多い。余裕を持った計画にした筈なので、地道に追い越しつつ前へと進んだ。距離にしたら7km程だろうか、この渋滞の源は東京サマーランドだった。そもそも東京サマーランドが何処にあるのかも知らなかっただけに、全くの予想外。夏にこの辺を走る際は、この道は避けなければならない。

 東京サマーランドを過ぎれば流れは順調で、10時35分、東青梅のコンビニで一服した。お腹が空いていたものの、12時頃に鳩の巣で食事を摂りたかったので我慢した。県道45号で奥多摩方面へ行こうとしたが、この45号に入った瞬間渋滞。何処まで続くか分からないが、道幅が狭ければアウトなので、国道411号で奥多摩を目指す事にした。軍畑の辺りから混み始めてきた感はあったが、部分的な渋滞ばかりなうえ、すり抜けもし易い広さだ。渋滞のピークは御岳であり、そこを過ぎれば快適なものだ。鳩の巣で目を付けていた店が見当たらず素通り。他で食事を摂ろうと思いつつも、気づけば奥多摩に着いてしまった。駅周辺ではバイクの停め場所にも悩むので、日原鍾乳洞周辺で食べれるだろうと思い先へ進んだ。
  日原鍾乳洞へと続く県道204号。この道中には廃村・倉沢があるだけに、集落など無いと思っていた。しかし途中には大沢があり、一番奥の日原にすら結構な民家があった。
 県道204号は車幅が狭く、車が2台走れる場所は多くない。休日で混んでいる事もあり、交通整理がいる程の渋滞。日原鍾乳洞の直前では、駐車場の空き待ちの渋滞が起きていたが、ここで黙っていてはバイクの意味が無いので尋ねたところ、すんなり行かせてくれた。こうして12時10分に到着。
  両サイドに切り立つ岩肌が大迫力である。食事を摂りたいところだが、とりあえず鍾乳洞へ。こういう場所へ来ると必ずいるのが、寒がっている人々。ホントに浅はかな奴らである。
 国内有数の鍾乳洞なだけあって、中はかなり広い。しかしそれだけだ。広いだけに歩き易く、道筋は複雑で、まるで巨大迷路の中にいる様である。鍾乳洞初体験の方には楽しいかもしれないが、他を見た人間からすると退屈な鍾乳洞である。
  鍾乳洞入り口より下流に食堂があったのは知っていたが、バイクは上流に停めてある。上流に駐車場があるぐらいなのだから飲食店もあるだろうと思ったが、閉鎖された建物があっただけだった。奥多摩湖湖畔で食べれば良いと思い、13時10分に日原鍾乳洞を発った。

 出発してすぐ、交差待ちの渋滞が発生。バイクだけ先に行けないか尋ねたところ、駄目だと言う。バイクと車なら交差出来る広さなので、何故駄目なのかは分からない。とにかく駄目なのだ。反対側から来る車の少なさに苛立ちを覚えつつ、20分は待たされただろう。どうにか前に進めたものの、私の前にはワンボックス。日原の集落など反対車線とすれ違う場面になると大苦戦である。頼むから車幅の広い車は、奥まで来させないでくれ。
  県道204号沿いにある倉沢のバス停付近にバイクを停車。ここから県道沿いを少し登ったところに、倉沢のヒノキへと向かう階段がある。片道15分の登り道。傾斜は緩やかで、多くの人が登っているのか歩き易い。倉沢のヒノキから先は道が2つに分かれている。左は道の様な道ではない様な。少し歩いてはみたが、たぶん得るものはない。右の道を5分ほど歩くと廃村・倉沢である。しかし、そこには既に建物は無かった。唯一の家屋は、倉沢まで最後まで住んでおられた方の住居のみ。近くには墓石もあり、死してもなお倉沢と共にある感じがした。そんな想いも気にせず唯一残された家屋に踏み込むような性格はしていないので、上から家屋を眺めただけで退散した。確かにここの景色を見ていると、離れたくない気持ちが分からなくもない。まぁ不便な事は間違いないが。
  14時30分に倉沢を発った。行きに気になっていたのが、白妙橋で頭上にあったトロッコ。これをどうにか見れないかと、大沢で道を逸れてみた。どうにもトロッコ方面へ向かっている気はしないが、上へ上へと走っていると集落を発見。これはこれで味わい深く、満足したのでトロッコは諦めた。後で調べたところ、現役の無人トロッコらしいので、どちらにせよ見れなかっただろう。ちなみに、少し時間が押していた為、大沢の大増鍾乳洞には寄ってこなかった。
  国道411号へ戻るため走っていると、目の前に巨大なプラントが現れた。行きには全く気づかなかった場所である。これが廃墟なら凄いと思ったのだが、これは既に奥多摩駅裏で。そんな場所にこんな巨大な廃プラントが残っている筈もない。そう思い素通りしたが、帰って調べてみると廃プラントだった。これは年内に電車で奥多摩へ出直す必要がある。
  ガムを噛んでいたせいか空腹感は消えていたので、ひたすら奥多摩湖湖畔を走り県道206号へ。少し登った先の駐車場で人々が景色を眺めていたので寄ってみると、そこからは良い感じで奥多摩湖が見えた。かといってノンビリもしていられないので先へ。
 長い道のりを走っている内に、自分の進んでいる方角が分からなくなった。檜原村で道が分岐していたのだが、標識を見てもどちらが目的地方面だか分からない。ここで地図を確認するべきだったのだが、なんとなく五日市方面へ向かってしまった。これが大きな誤りである。本来なら上野原へ抜け相模湖経由で宮ヶ瀬湖へ行く予定だったのだが、”上野原”というポイントを覚えていなかった。あきる野で長い渋滞に掴まった際に現在地を確認したところ、南へ向かう筈が東へ来てしまった事に気づいたのだが、引き返すのもかったるい。かと言って、このまま進むのはかなりの遠回り。答えは簡単そうなのだが、これも道の状態によって変わるものだ。曲がりくねった道を戻るより、このまま八王子に出た方が早いと思って進んでみたが、五日市に入るまでは逃げ場の少ない渋滞で後悔した。

 県道33号から県道32号、県道61号から県道47号と進み、次は県道48号と思いつつも、気づけば相原駅まで来ていた。国道16号にはスンナリと行け、次なる国道413号には確実に乗るべく慎重に走った。国道413号に乗れば津久井町まで一本である。安心できたところで、津久井湖の手前でコンビニに寄りオニギリを3つ食べた。やはり私の旅において、食事の重要度というのが低い。
 県道513号で宮ヶ瀬湖へ。宮ヶ瀬湖にぶつかった瞬間、鬼の様な渋滞が待っていた。花火狙いの渋滞である。私の目的も宮ヶ瀬湖の花火なので、この渋滞に紛れた。しかし猶予はないので、反対車線の車が少ないのを良い事に強引な追い抜き。虹の大橋に至っては、反対車線を逆走しっぱなしである。多くの四輪車をブッチギリ、19時前には湖畔園地の駐車場に到着。撮影の準備をし、花火の上がる19時半を待ち望んだ。
 花火が上がり始め、撮影を開始する。最大の敵は煙である。「花火を取るなら海上花火が良いだろう」そう学び、花火が終わるのを待たずに会場を後にした。この花火客が一斉に帰り出したら、とてもじゃないが何時に帰れるか分からないからだ。他にも同じ事を考えている人々がおり、花火途中にして駐車場へと歩いている。「なんとも風情を大事にしない奴らよ」と、自分を棚に上げつつも思っていた。
駐車場を出ると、そこには多くの路駐者がいた。なんとも惨めな姿である。そこで気づいたのが、彼らの強引なUターンである。花火に見切りをつけ帰り出そうものなら、強引なUターンによる無駄な渋滞が起き兼ねない。路駐が何処まで続いているか分からぬ以上、このまま県道64号を進むのは危険と感じ、不本意ながらヤビツ峠を越える事にした。

 外灯の無いヤビツへの道のり。私の前に車が走っていたので後をついていったのだが、道を譲られてしまった。しばらくして別の車に追いついた。今度は譲られぬ様に距離を置いて走る。しかしこれも、頂上まで後少しというところで譲られてしまった。道が良くなったのを機に、私が距離を縮め過ぎてしまったからだろうか。
 ヤビツからの夜景は絶景である。しかし、展望台から写真を撮ろうとすると木々が邪魔な事を知ったので、アッサリと展望台を立ち去った。20時50分には国道246号へ出て、後はひた走るのみ。決して燃費の良い道のりでは無かったので、かなり不安はあったものの、無事に地元のスタンドまで辿り着けた。1ℓ辺り26kmちょい。あれだけアップダウンしながらもこの燃費なら悪くない。
 何故か自宅に帰るのがかったるく、近所のコンビニで休憩を摂った。自宅に着いたのは21時40分。結局時間に追われた旅だった。

2009年8月12日水曜日

富士山周りをツーリング

 2009年8月12日、朝6時に友人宅に着き、ツーリングへ出発。コンビニで飲み物を調達し、まずは三国峠を目指した。登っている最中、少し霧に覆われたものの、峠を越えれば快晴だったというのは良くある話だ。
 峠を下れば富士山が見えてくる。その光景次第でテンションは相当変わる。この日の景色は絶景で、今にも登山客が見えそうな勢いだった。
  展望台で一服した後、山中湖北岸沿いに走る。合宿シーズンなので初々しい女子中高生がウヨウヨしていないかと思ったが、合宿中なだけにプラプラしている筈も無かった。
 道の駅”富士吉田”で再び一服。富士急ハイランドを過ぎた辺りから河口湖南岸沿いを走ろうとしたが、道を間違え県道714号を走っていた。進路を補正し河口湖西岸へ出て、西湖の南岸を走る。早めに出発しただけあり、渋滞と言うほどのものには巻き込まれていない。
 県道710号から国道139号に出たら、東へと戻った。7月に行った紅葉台を訪れる為である。前回より天気は良いので、その景色も格段と良いものだろう。紅葉台まで車で行ける事は知っていたが、激しいダートは予想していなかった。友人はオフ車だから良いものの、私は性能が全く逆のアメリカン。少しでも平坦な箇所を選んで走り、無事に紅葉台に到着。ここから歩いて三湖台へと向かった。
  三湖台からの景色は期待通りで、青木ヶ原樹海の広さに圧倒される。今回は広角レンズを持っていたのだが、それでも補えない広さである。富士山はもちろんの事、南アルプスも見えて大満足。ここに比べれば劣る紅葉台からの景色も、この天気のお陰で素晴らしいものだった。
  国道139号に戻ったら、県道71号を南下。不気味と言われる青木ヶ原樹海も、日中は木陰を作ってくれるので嬉しい存在だ。気持ちよく県道71号を走っていると、謎の牛を発見したので急遽立ち寄った。立ち寄ったと言っても、ただ牛を見ただけである。飲食店の所有物らしいが、肝心の店についての詳細はチェックしなかった。誠に申し訳ない。

 このすぐ近くで気になったのが”富士聖地”と呼ばれる場所。白光真宏会の敷地なのだが、一般人も入れる様な。興味深いので向かってみたところ、唯一発見できた宝山口は通常閉鎖されており、諦めて先へと進んだ。なお、白光真宏会のホームページを見れば、キチンと細かいアクセス方法も載っている。


 富士ミルクランドで暫く休憩。ジェラート食べたあと富士宮焼きそばを食べようとしたところ、”鱒バーガー”と”いもっこ”が気になった。どちらも惹かれるが、”鱒バーガー”は未だ作っていなかったので、”いもっこ”を食した。要はジャガバターなのだが、芋が甘くて上手かった。

 白糸の滝付近で県道72号に入り、国道469号を東へ。腹が膨れたせいか睡魔に襲われた。単身なら何処でも休むが、友人と一緒では眠る事も出来ない。とりあえず最後の目的地である丸火自然公園を目指すが、入り口が分からず素通りした。軽い休憩の後、御殿場へ向けて走る。走り易く気持ち良い国道469号も、遅い四輪車に遮られては台無しである。
 御殿場市内に到着し、なんとなく日光無線へ。この辺では有名なラジコンの店である。特に買う気は無かったが、まぁ巡礼という事で。
 そのまま箱根へと上がり、久野林道へ逃げたのだが、ここでまた睡魔。あと少しで自宅なのだが、その少しが危ないレベルなので休憩。

 14時前には酒匂川を渡り、友人とはそのまま解散。真っ直ぐ帰れば良いものの、古本屋で立ち読みをし、それから帰宅して昼寝。小田原と比べ心地よい暑さだった富士山周辺。しかし、日差しの強さは格段に強く、私の両腕は朱に染まった。色は違えど、まるで両腕を失う直前のテリーマンである。

2009年8月10日月曜日

利島で終わった伊豆七島

 2009年8月8日、20時44分の電車に乗り浜松町へ。新橋で山手線に乗り換え浜松町へと一駅戻り、22時過ぎには竹芝桟橋に着いた。都内に入ってから、やけに目につく浴衣の女性。嬉しいながらも疑問だったが、その答えは竹芝桟橋にあった。納涼船だかの乗船券が、浴衣だと1,000円割引になるらしい。まぁ連れて行く相手のいない私には、全く関係ない特典だ。

 元々は小笠原諸島を狙っていた夏休み。空きがなかった為に妥協に妥協を重ねたのが、今回の伊豆七島である。そう私が妥協せざるを得なかった通り、竹芝桟橋は混んでいた。
 まずは乗船券を受け取らねばならないのだが、どうやらWEBで予約した際の明細をプリントアウトしなければならなかったらしい。しかし予約番号は控えてあったので、それを伝えて身分の証明できるもの(運転免許証)を見せて完了。
 乗船を待ちわびる人の行列。訳も分からず指定席の行列に並んだ。みな予約して乗るのだから、自由席など無いだろうに。というのは早とちりであり、その答えは乗船した先にあった。踊り場やらデッキやらにレジャーシートを敷き、雑魚寝する無数の人々。ムーンライトながらの現状を聞いた時も驚いたが、こんなタコ部屋的な世界が、この先進国・日本に存在する事が信じられなかった。そんな中、私は倍の値段である一等室へ悠々と向かう。育ちの違いというか、人としての質の差である。
  23時に竹芝を出航。喫煙所で一服し、デッキへ夜景を撮りに行った。東京タワーが見え、レインボーブリッジを潜り、伊豆諸島へと旅立つ。なんとも優雅なものではないか。
 やる事をやったら早々と船室へ。日の出を撮るため4時には起きたいし、そもそも退屈なので床に着いた。同室にお子様連れの家族がいたので、消灯が早かったのは都合が良かった。
 それにしてもこの船。雑魚寝もそうだが、24時を過ぎても通路ではチビッコが騒がしく、風紀的に最悪である。既に竹芝桟橋で思った事だが、小笠原諸島に一度は行きたいので後一回は我慢するが、それ以降は二度と利用したくない。次に伊豆諸島へ行くとしたら、下田からか飛行機にしよう。
  8月9日、4時前に目覚めて日の出を撮りにデッキへ行った。しかし雲に覆われ日の出は見れず。薄暗い中、船は大島に着いた。ここから先、利島と新島は天候によって上陸不可になる。後で聞いた話だが、前日、台風8号の影響で西からの波が強く、ちょうど西側に桟橋のある新島は船が着けなかったとか。
  6時半、時間通り利島に到着。宮塚山だけで出来ている様な小さな島”利島”。その島らしい島っぷりに惹かれたものの、集落より上の部分はガスに覆われていた。海上の空には青空も見えるのに、何故ここだけ雲でもないガスがかかっているのだ。
 ダイビングショップ兼民宿のお迎えを受け、ショップに立ち寄ったあと民宿で朝食を摂った。それから1時間程してドルフィンスイムに出航。島を一周したもののイルカはおらず、「自然の生き物なんてこんなものさ」とホエールウォッチングの教訓を思い出していたが、二週目に入って間もなく、イルカは埠頭のかなり近くにいた。特に潜行する訳でもないので、私はウェットスーツを着ずにダイブ。そこにはクラゲがウヨウヨいて、正直イルカどころではなかった。おそらくだが、肌を露出している事がクラゲを呼び寄せてしまったのかもしれない。まぁ刺されなくて何よりだ。
 「イルカと一緒に泳ぐ」そんな素敵な事にはならなかったが、それでもかなりの至近距離で4頭のイルカを見る事が出来たのだ。日常では想像もできない体験である。

 一旦ショップへ戻り、ダイビングの支度をして再度海へ。台風の影響でうねる中、潮の止まったポイントへ向かう。そうしていざ潜行と思いきや、私は嘔吐した。この荒波のせいか、予想もしなかった船酔いである。他のダイバーとガイドには潜ってもらい、私は船の上で寝転がっていた。寝不足、消化不良、一人だけ素人である緊張、要素はイロイロ考えられるが、とにかく船酔いである。
 一本目のダイブが終わった後、ショップに戻って昼食を摂った。陸に上がればこっちのものだが、これも半分程しか喰えず、日焼けがてら横になっていた。

 1時間以上の休憩の後、二本目のダイブへ。港内でのダイブという意見もあったが、亀が見れるかもしれないという事で、桟橋と桟橋の間のうねりの無いポイントへ向かった。桟橋を一本越えるだけなので、港からの距離は非常に短い。
 8ヶ月ぶりのダイビング。ライセンスを取って初めてのダイビング。足を引っ張らないか非常に不安である。潜行直後は呼吸が乱れたものの、一度勘を取り戻してしまえばこちらのものである。何も起きなければ・・・。
 途中でガイドが立ち姿勢で停止したので、私は浮上するものと勘違いして浮上。ただでさえ沈むのは苦手なので、これが焦り第一弾。それがキッカケだったのか、右足のフィンが取れそうなのに気づいた。なんとか直そうとしたら足が吊りそうになったのが、焦り第二弾。足を吊らせる事なくフィンを直す事は出来たのだが、呼吸は乱れ、体力は余計に消耗し、もう上がりたい気分だった。船に戻れば船酔いの再来。とにかく装備を外し、姿勢を楽にして何とか耐えた。
度の付いていないマスク。
けっきょく濁っていた海。
特に見所の無かったダイブ。
 初めてのボートダイブの感想は、ずばり”最悪”である。冬の沖縄でヌクヌクと潜っていた頃が懐かしく感じた。とはいえ相手は自然である以上、コンディションの善し悪しにケチは付けられない。とりあえず本日の教訓を挙げると、
・酔うからボートダイブはしない
・まず器材をある程度は揃えよう
・記憶を取り戻す為の講習を受けよう
・体が覚えるまで継続的に潜ろう
こんなとこだろう。しかしお金のかかるレジャーなので、来年、いや再来年ぐらいになってしまうかな。来年はキャンプ道具にお金をかけたいし。
  後片付けも終わり、17時前には民宿へ。荷物を置いて数分休んで、何も無い利島の南部へと歩き出した。

  利島には平地などなく、前述した通り宮塚山だけの島である。桟橋のある北側にしか集落はなく、他は椿畑とか、とにかく人は住んでいない。そんな島をグルリと回ろうと西側から攻めたのだが、やはり何もない。

  1時間程して南部唯一の見所”南ヶ山園地”に着いた。ここの展望台からは御蔵島すら見えるらしいが、このガスった天候では式根島まで見えただけでも感激だった。


 南部唯一の見所”南ヶ山園地”、ここはその展望の善し悪しで全てが決まる。まだ新しい雰囲気のある場所ではあるが、人の踏み入れた雰囲気がかなりしない。それもその筈、展望の良い箇所は1ヶ所だけで、他にもベンチはあるが何も見えない。
  時間&天候的に諦めた宮塚山山頂へのトレッキングも、登山道入り口をチェックしたところ、人の通った気配がまるでしない。ガスに覆われた天気と重ね、かなり寂しい気持ちにさせてくれた。

 島東部を歩いて宿へ向かうも、こちらの方がガスが濃い。”ガス””ガス”と何度も書いているが、その正体がこれではないかと思わされる箇所を3,4度見かけたからだ。陽も落ち始め、誰もいない畑の土から上がる煙。炎が上がる程ではないものの、明らかに地面で火が燻っていた。これが人為的なものなのか、自然の為せる業なのか、恐らく後者なのだろうと思い、ただただ見守るだけだった。
 ちなみに、島東部にも展望の良い場所がある。だが、ここからの景色はそれこそガスに覆われ、死後の世界にでも来た気分にさせてくれた。
 19時15分頃、民宿に帰ってきた時には完全に暗くなっていた。こんな天気なので、星を見る事も出来ない。 夕食を食べた後シャワーを浴びて、MacBookを開いたもののインターネットに接続できるわけではない。それどころか、Softbankが駄目なのか、iPhoneに限って駄目なのか、携帯も圏外である。ただ実際、民宿の人は携帯を持っているし、ホームページだって持っているので、環境がまるで無いわけではない。

 何もない島ではあるが、天気が良ければそれなりに楽しめるだろう。天気の良い日に、午前は1ビーチダイブ、午後は集落と島の散策、そんな計画だと良いかもしれない。下田〜神津島〜式根島〜下田、そんな旅をする日があれば、天気次第では利島に立ち寄っても良いかと思う。

 8月10日、2時半頃に一度目が覚めた。外から少し激しい雨の音が聞こえる。この雨雲が無事通り過ぎ、4時間後には新島へ出航だと思いつつも、そう信じきれない自分がいた。どうにかネットに繋いで天気予報を見れないかとiPhoneを開くと、たまに反応の良い時があった。友人からのメールに返信するにも、室内を右往左往して電波の入りが良い場所を探しまわった。北側(港側)が開けていると電波の入りが良い事に気づいたのは、5時頃一階ロビーに下りた時の事だった。
 この先が心配で二度寝をする気にもなれず、テレビを点けてみた。幸いにも天気予報が頻繁にやっている。そして伝える。台風9号の出現を。四国南部に現れたそいつは進路を東に向け、私の日程を舐めていくかの様だ。とはいえ天気は変わり易いもの。新島へ渡ってしまえばどうにかなるのではないか、とこの時は思っていた。

 朝5時半を回っても、迎えのガイドは来なかった。6時にならねば船の運航状況は確定しない。むしろ欠航する勢いの雨なので、半ば諦め気味で部屋で待っていた。
 寝坊してきたガイドに言われた台詞は「一階で待っていてくれれば・・・」的なものなのだが、むしろ私は5時から一度はロビーで待っていたのだ。
 利島港待合室に着き、新島行きの乗船券を受け取った。個人的には「行ってしまえばどうにかなる」というノリである。しかし、そんなノリを打ち崩すような情報をよこすガイド。私が悩み出すと「お客さん次第ですから」と返される。この先もイロイロ予約している以上、計画を変えるのも楽ではないので、新島へ行ってしまおうと思ったわけだ。
 いろいろ考えた末、新島と大島の宿をキャンセルし、このまま東京へ帰る事にした。熱海や下田へ渡る手もあるのだが、船が出せるか否かは誰にも分からない。そうして乗船券を買ってみれば、次の選択肢があったらしい。一つは、このまま朝の便に乗って神津島へ行き、その船に乗ったまま東京へ向かうというもの。乗船時間はとにかく長い。もう一つは朝の便が帰ってくるのを待って、昼頃乗り込むもの。昼に乗れるかどうかは怪しいものである。
 最終的な結論は、このまま神津島方面の大型客船に乗り、それに乗ったまま竹芝桟橋に帰る方。理由はそれなりにあるが、一番の理由は「お前らウザイ」である。こちらが何かを決めれば余計な情報を渡し、悩んで助言を求めると「それは御本人次第ですから」と見捨てる。確かに決断するのは本人なので良いのだが、とにかく急かしやがる。「どうしますか?」「どうしますか?」って、俺の決断次第だと言うなら黙るか立ち去れ。
 もう一度は訪れても良いかと思っていたが、今はむしろ沈んで欲しい。
  船は6時半に利島を出航し、新島へと向かった。雨脚も新島に近づくにつれ穏やかになり、少し晴れ間が見えた程だ。縦に長く、高低差のある新島。この島をレンタサイクルで一周しようという計画は、少し無理があったかもしれない。モヤイ像もある事だし、いずれ訪れたい島である。
 元は新島と地続きだった式根島に至っては、かなりの晴れ間が見えていた。利島で強雨を味わった私と、この式根島の天気に浮かれた観光客とでは、台風9号に対する危機感がかなり違うのだろう。
  式根島を出航するに辺り、かなりの遅延があった。理由は知らないが30分以上遅れての出航。神津島に向けて出航すると、激しい揺れと雨が襲って来た。少し気持ち悪くなり、上等席へのキャンセル待ちを予約した。そう、私は行きに散々馬鹿にした指定無しの二等席=雑魚寝組である。
 新島に着いた頃、雑魚寝組がかなり減っていたので、神津島に着いてから船内通路に場所を取れば良いと思っていた。しかし、いざ神津島で場所取りに向かうと、私と同じく神津島まで乗ってそのまま東京に戻ろうとする人が、既に多く乗船していた。もちろん神津島でも急増。もはや大型客船は”避難船”と呼ぶに相応しい状態なので、私を含む乗客たちを”難民”と表そう。
 10時20分頃、船は神津島を出航した。この時すでに式根島の欠航は確定。まぁこの調子で置き去りにして欲しいものである。私の掴まる蜘蛛の糸は、既に定員オーバーなのだ。
新島を出て利島へ向かう途中、雨がかなり激しくなった。手すり側に座る若者たちは必死にバリケードを作り、家族連れの団体は必死に床を拭く。私は自分の荷物が守れれば良いので、少し濡れたレジャーシートを折り畳み、その上に荷物を置いただけ。台風を前にした雨に対してデッキで休んでいるのだから、抵抗したところでイタチごっこである。
 しかし、その努力が報われたのは2組の団体だった。私の知る限り、それから雨水の浸入があったのは一度だけ。3匹のコブタの内、1匹だけが狼に負けてしまったのだ。

 必死に生きる雑魚寝組の世界で、私は幸せなど感じられないと思っていたが、半ケツ・生脚・透けPと、なかなか目のヤリ場に困る世界だった。
 悔しいかな、船は帰りも利島に停まった。「島が沈んだ」ぐらいのイベントが欲しいものである。
  徐々に増えてきた難民は、大島で爆発的に膨れ上がった。これまでとは比較にならない人数が乗り込んで来ていたが、デッキで雑魚寝する人数に変動はほとんど無かった。大島を出てキャンセル待ちも発生。これは指定席のほとんどが大島組に取られていた事を意味する。大島組は乗船客の数が多い事もあり、キチンとした乗客率が高かった。
 我が輩は狼に負けた豚である。そんな豚にも人の心はあり、自分のスペースを譲ったり、レジャーシートを譲ったり、それなりに親切心は見せていたつもりである。が、それらの行為が難民共への慰みに変わる時が来た。
 キャンセル待ちの発生である。しかし後は竹芝を残すのみ。一等だと追加料金5,000円を超えるので、一度は諦めたのだが、残りの時間を立ちっぱなしなのは辛く、場所を譲ってあげた難民共の前で疲れた様子も見せられないので、結局指定席を取りにいった。悩んだ分タイムリミット寸前。行ってみれば特二等が空いており、追加料金3,000円未満で乗客へと昇格である。
 雨も風もない、自分のスペースが確実にある、充電だって出来る。3匹のコブタ、最後に勝つのはやはり1匹だけである。そしてそのコブタこそ、”豚野郎”と蔑まされるに相応しい。
 大島から竹芝までの所要時間は4時間程。18時到着予定である。iPhoneも充電完了、Macbookも使い放題、これならいくらでも時間を潰せる。安心して眠る事も出来、快適な時間を過ごして予定通り到着。残り2日分の船についても欠航の連絡があり、予約していたものについては、キャンセル料もなく全て白紙となった。

 行きと同じく新橋乗り換えで地元へ帰り、途中でモスバーガーに立ち寄った。何気に本日最初の食事である。20時40分には自宅に到着。そして洗濯。台風9号が訪れる前に、少しでも乾かしたいものである。

 予期せぬ台風により大幅に変更を加えた今回の計画。新島と大島に立ち寄る事が出来なかったものの、一種のクルージングを味わったと思えば悪くもない。新島・式根島・神津島、海から見るにいずれも魅力を感じる事ができた。唯一訪れたのが伊豆七島一の退屈さを誇る利島なのは残念だが、いつか他の島々を訪れる為の下見に来たと思えば、それほど不満もない。