2009年5月23日土曜日

バイクで山越え大井川

 2009年5月23日、朝5時に起床するところ、二度寝により30分が過ぎた。ある程度の支度は昨晩しておいたので、朝食を摂り出す物を出して6時半に出発した。二度寝した分がまんま影響している。
 飲み物を買うため小山町のコンビニに立ち寄った。富士山がチラリと見えたものの、天気予報通り未だ曇天だ。富士山スカイラインに入ると徐々に空が晴れてきた。なんとなく立ち寄った水ヶ塚駐車場では晴天で、富士山がハッキリと見えてテンションが上がる。
  水ヶ塚駐車場を出て富士宮へ下り始めて間もなく、雲の中に突入したのであろう。目の前は霧に覆われた。五分丈のTシャツにGジャン、時刻は8時前という事もあり、陽を遮られた世界で風を切るのは厳しいものだった。
  8時25分、富士宮市の”白糸の滝”に到着。空には晴れ間が見え、Gジャンを着ていては若干の暑さを覚える程だった。
 まず最初に見る事になるのが”音止めの滝”だ。豪快に流れ落ちる太い滝。三脚を使ってスローシャッターで撮ろうとするが、日差しが強すぎてオーバーしてしまう。
 先に進めば白糸の滝が見え、階段を下ればさらに間近で見る事ができる。無数の細い滝が流れ落ちる姿はその名を表しており、実に美しい。但し無数の水飛沫が宙を舞っている為、スローシャッターでは写真が白っぽくなってしまう場合があった。
 この2つの滝周辺は、観光地として力を入れている感が実に漂っており、それに頷けるほど美しい滝だった。

 9時15分、白糸の滝を後にして北上した。国道を走るつもりが県道を走り続けており、自分が人穴に入った事に気づく。この土地が人穴と呼ばれる様に、ここには人穴という洞窟がある。その由来を知っただけなら行く気にもなるのだが、最初に得た情報が心霊スポットとしてのものなので昼までも行きたくはない場所だ。
 “もちや遊園地”という場所が気になっていたのだが、傍から見る分にはどうでも良いものだと判明した。とはいえ、ここには”もちや二輪車会館”もあるので、いずれ纏めて訪れたい場所だ。
 国道139号を北上していると、右手に富士山が雄大な姿を現した。立ち止まりたいところだが、この先で同じものを見に行くわけだから、そのままバイクを走らせた。
  9時45分、”富士芝桜まつり”の会場に到着。駐車場に入る前に、係の方が残念な花の咲き具合を教えてくれた。親切な心配りである。
 GW後半は雨、その後も週末は天気に恵まれず、本日に至ったこの計画。花の咲き具合は先刻承知である。富士山がハッキリ見えているだけマシではないか。
 実際に見てみると、確かに残念かもしれない。青々としていても良い場所に感じたが、芝桜が咲き乱れた光景を想像すると、来年も来ざるを得ないと思った。

 小腹が空いたので何か食べようと思い目に付いたのが”信玄モッフル”。ワッフルの形をした餅なのだが、食べてみると1ヶ350円は高い気がした。餅を変形させた分、中のモッチリ感が殺されている。見た目には斬新かもしれないが、まるで角餅を越えられていない。

 10時30分、芝桜まつりの会場を後にし、本栖湖へと向かった。旧五千円札の”さかさ富士”を期待しての事だが、その条件を知らなかった事もあり、さかさ富士は見れず。しかし富士山は美しかった。さかさ富士の条件は湖面が静かである事。つまり、風が無く、ボートも浮いていない早朝がベストとの事だ。来年の富士芝桜まつりに訪れる際には、何よりもさかさ富士を優先した計画にしよう。

 本栖みちを通り下部に出ると、小さな吊り橋が見えた。立ち寄って写真を撮っていると、タイミングよく身延線が走ってきたが、距離はあるわ心の準備はないわで、ファインダーには収めたものの、ただそれだけの写真だった。
 解体途中の旧橋が印象に残る富山橋を渡り身延へ。ここから県道32号に入ろうとするが、ガソリンスタンドを探す事にした。白糸の滝から補給する機会がなく、遂にはここまで来てしまったが、ここから先はさらに期待できない。コンビニに立ち寄り缶コーヒーを買いつつ、スタンドの場所を尋ねた。少し北上する必要はあったが、これを逃す手は無い。

 県道37号に入り西へ。早川町でスタンドを発見したが、営業していた様なしていなかった様な・・・。県道810号に入って間もなく、雨畑湖のある雨畑に着く。静けさというより寂しさの漂う雨畑湖。この土地に宿泊したら何をして良いのか分からない。静かな事だけは想像できるので、まさに何もしたく無い旅には最適だろう。
  延々と道を走っていると、”見神の滝”という表示が見えた。結構な高さがあるので滝として見応えがある上、その前にある水車が良い味を出している。しかし、水は流れていても水車は回っていなかったのが残念だ。紅葉の時期に見ると良いかもしれない。
  ここからは地獄である。頻繁に曲がりくねっている上、舗装されていても石が転がっているので安心できない。しばしば土砂崩れの形跡も見られ、不安がいっぱいだ。こんなスピードの出せぬ状態で、山伏峠まで16kmの表示を見た時は絶望に襲われた。
  13時10分、危うく素通りするところだったが、山伏峠に着いた。かなり時間が押していたので徒歩で山頂を目指す様な事はしなかったが、写真だけは何枚か撮った。行く手には雲が見えていて不安である。

 山伏峠から井川へと下るが、やはり路面は最悪である。砂利にタイヤを取られる事もあり、気が気ではない。井川湖が見えようやく落ち着けるかと思いきや、道の幅自体は狭いままなので、湖に目を取られて危うい場面もあった。
  13時56分、井川大橋に到着。吊り橋のクセに2トン以下の車なら通れるという強者である。実際に車が走った姿を見てしまうと、徒歩では安心して渡れない。時間を節約するべく、渡らずに後にした。井川大仏も、徒歩5分の入り口まで来たが省略。何よりも見たいのは、奥大井湖上駅(井川線付き)と大井川鉄道のSLである。

 奥大井湖上駅を見逃すまいと、チラチラ横を見ながら細い道を進む。なんとも危険である。いくつかのトンネルを抜けた後、左側に駐車できるスペースを発見した。そのすぐ先から見えるのは、私の求めた奥大井湖上駅。何の為に存在するのか分からない奥大井湖上駅。その駅に降りた際、そこに誰も居なければ、次の電車が来るまで自分だけの世界なのは確実な駅である。但し、私の様に上から眺めている者がいる事は覚えておくと良いだろう。
 井川線が来るのが15時15分。これを待てば本日最終の千頭発15時23分のSLを逃してしまう。従って井川線は断念。今年の秋は奥大井湖上駅に立ちたいものだ。

 長島ダムの辺りで、やけに急勾配な線路を見かけた。その時はその程度の認識だったが、そこが井川線がアプト式である理由だという事は帰宅してから知った事だ。
  前回はバスの中から眺める事しか出来なかった奥泉の公衆トイレ、そして千頭駅へ向かう道中の景色を写真に収めつつ、15時10分、道の駅”奥大井音戯の郷”に到着。少し休もうと思ったが、未だSLの撮影場所を決めていなかったので、撮影スポットを探すべくSLより先行する事にした。ついでに次発のSLを見たのだが、蒸気機関車の後部が前を向くパターンっぽい。
 国道362号を走って撮影スポットを探すものの、徐々に線路から離れていった。撮影スポットなど見つかる筈もなく、SLに抜かされやしないか不安になる。下泉駅の手前で県道77号へ。私の下調べ不足だったのだが、千頭から県道77号沿いを走っていれば、大井川鉄道を見失う事は無い。
 下泉駅の先で良い場所があったので、一旦立ち止まった。まだ10分以上先行していたので、一駅先の塩郷へ向かう。以前SLに乗った時、塩郷の吊り橋がやたらと長く感じ、歩いてみたかったのだ。
  停めて良いのか知らないが、吊り橋付近に駐車できる場所があったのでバイクを停めた。若干時間に余裕があったので吊り橋を往復しようとしたが、前のカップルが遅くて断念。吊り橋の上でSLが来るのを待ったのだが、大井川の遥か上に架かる吊り橋である。道路よりも上に、線路よりも上に、しかも年期の入った木製の吊り橋。今まで渡った吊り橋の中で最もスリルのある吊り橋である。
 私の決めた撮影ポイントと多少ズレるが、人が交差できる場所でSLが来るのを待つ。すると5名ぐらいの団体が来た。流石に他の人が歩くと揺れを敏感に感じる。それが特に強いと思ったら、1名小走り気味ではないか。若さとはこういうものかもしれないが、貴様は阿呆だ。それは勇気でも何でもなく、ただ阿呆なだけだ。
 そうしていたらSLが来たので、早足でポイントへ向かう私。早足だし、距離は短いし、向かいから来る人はこれ以上前進する気配はなかったし、撮影を狙っていたもう一人の為に若干ポイントをズラしたし、私の行いは良しとして欲しい。

 16時7分、道の駅”川根温泉”で小休止。ここで本日20時からの英会話レッスンを諦めた。寄り道しないで帰れば未だしも、残りの目的地を諦めてまでレッスンを受ける必要もあるまい。
 県道64号で島田市街に出て、”蓬萊橋”へ。「世界一の長さを誇る木造歩道橋」としてギネスブックに認定された、大井川に架かる橋である。長さ897.422m、単身で早足気味の私でも、片道で約10分かかった。

 17時26分、蓬萊橋を後にし、吉田I.C.から東名高速へ。チキンな私が苦手とする高速道路である。高速道路に乗って間もなく、80km/h前後で走るYakultのタンクローリーを見つけたので、これに付いていく事にした。風の抵抗が弱く、精神的にも楽で良いのだが、少しばかし遅い。目的とする富士川S.Aの位置をよく把握していなかった事もあり、休まず走り続け、18時30分、富士川S.A.に着いた時はヘトヘトだった。
 清水I.C.の辺りから空は雲に包まれていた事もあり、沈みかけた太陽の光はほとんど届いていなかった。前回恐怖を覚えた大パノラマは、走っている最中に突然現れた事と、快晴だった事によるものかもしれない。それに比べれば、今回の景色は何とも退屈なものであった。
 出発しようと思った矢先、軽く便意を覚えた。便意の為に立ち止まるのも何なのでトイレに行ったのだが、財布とカメラはバイクに置きっぱなし。何事もなかったが、落ち着けず出し切った感は無い。

 19時20分、富士川S.Aを出たものの適度な速度の車が見つからず、単身トロトロ走って19時40分には沼津I.C.に到着。このまま高速を走り続けるぐらいなら、箱根を越えた方がマシだと考えたからだ。
 陽は完全に落ちており、箱根に向かえば向かうほど気温も下がる。それなりに慣れた道の筈だが、それでも存在を忘れていた函南町。
 道の駅で休憩を取ろうと思っていたのでエコパークは素通り。そして気づいたのが、箱根新道への分岐は、道の駅より手前にあるという事。休む場所を失い、尻の痛みを堪え、寒さに凍えながら、どうにか箱根新道を抜けた。この辛さに加え、ガソリンが切れる事への恐怖。南アルプスの悪路、それに対し東名高速、これらがどれだけ作用したか分かる筈もないので、沼津では給油せず箱根越えに挑んでいたのだ。

 箱根新道さえ抜ければ、何処でガス欠を起こしても問題ない。コンビニで一休みし、残り僅かな距離を走る。自宅の近所で給油をし、21時4分、自宅に到着。スタンドを出てすぐに雨がパラつき始めたので、頑張った甲斐があったというものだ。

 真っ先に風呂に入り、芯から冷えた肉体を温める。いつも思う事だが、1日にこんなに走るのは体に宜しくない。

2009年5月16日土曜日

江ノ電で鎌倉

 2009年5月16日、朝4時に帰宅した。5時20分頃には家を出ようと身支度をしたものの、流石に眠く諦めがちながらも布団に潜った。案の定完全に眠りに落ちて、起きたのは9時前。冴えない天気ではあるが雨は降っていないので、髪だけ整えて家を出た。

 最寄りの駅は鴨宮だが、あえて利便性の高い国府津駅まで自転車で行き、9時33分発の電車に乗り込んだ。藤沢駅で江ノ電に乗り換える。江ノ電に乗るのなど、小学生か中学生の遠足の時以来だ。
 民家の間を走る電車など、大雄山線を利用していた人間には珍しくもない。但し、江ノ島から腰越の間は車と同じ路面を走るので、これにはデカルチャーな驚きを覚えた。路面電車に驚いたというより、ギリギリ二車線の道路のど真ん中を走ってしまう事に驚いたのだ。なんとも強引ではあるが、そこが魅力的である。

 10時40分に長谷に到着し、大仏を観に高徳院へと向かう。途中で目についた長谷観音は素通りである。私は神仏を信じてはいるものの、頼るものとは思っていない。ましてや歴史にも興味はない。それだけに建築物として魅力が無ければ寄る気が起きないのである。
 長谷駅から10分ほど歩いただろうか、高徳院に着いた。当時は自分が小さかったせいか、私のイメージほど大仏は大きくなかった。
  大仏以外に興味は無いので早々に高徳院を後にし、このまま線路沿いを歩いて江ノ電の撮影スポットを探しながら鎌倉駅まで行こうかと考えたが、線路沿いを延々と歩ける様な道が無かったので、再び江ノ電に乗り込んだ。

 鎌倉駅西口を出てしまい、東口への通路を探すのも面倒だったので、JRの改札を潜る。そのまま東口改札を出ようとしたがSuicaが受け付けず駅員の所へ。入ったもののやはり出たい旨を伝えたところ「電車を利用しようとしたんですよね」と鋭いツッコミを受けた。それに対してスンナリと「ハイ」と答えた自分は、なんとも汚い大人である。
 人混みの小町通りを北上した。悪くはないが情緒に欠ける商店街。観光客が多すぎたせいかもしれない。
  鶴岡八幡宮に着いたものの、本宮で何をするわけでもないので遠目にだけ見て源平池へ。個人的には、こちらの蓮の葉を眺めている方が落ち着く。

  鶴岡八幡宮から東へ20分ほど歩けば、釈迦堂切通しに着く。巨大な岩盤の下を抜ける道。通行禁止になってはいるが、普通に利用されているようだ。このまま通り抜けたいところだが、それで何処に行く目的もないので、鎌倉駅へと引き返した。

  12時40分、鎌倉駅前のBECK’Sで軽く食事を摂った。本当に出先での食事の楽しみ方を知らない男である。



 14時10分に東逗子駅に到着。改札を出たのち踏切を渡り、そのまま直進していけば、神武寺と鷹取山に続く階段が現れる。最初は階段が続くものの、そこを抜ければ緩やかな山道となり辛くない。ハイキングコース入り口から10分程で神武寺に到着。かながわの名木100選の1つ”なんじゃもんじゃの木”と逗子八景の1つ”梵鐘”がある寺ではあるが、どちらも興味が無いし、実際に見ても惹かれるものが無かった。
  凝灰岩の道は緩やかにアップダウンを繰り返し、神武寺から20分ほどで鷹取山頂上に着いた。事前に調べて知ってはいたが、岩壁が無数に並ぶ高取山山頂。そこには多くのクライマーが老若男女問わずいた。一番大きな岩壁には階段で登ることもでき、その先には360度見渡せる展望台がある。これはかなり絶景である。

  山頂から追浜駅方面に降りていくと、5分程で巨大な磨崖仏が現れる。何の為にこの場所に作ったのかは知らないが、そこが魅力でもあり、本日のメインポイントだったりする。
  14時45分、磨崖仏から35分で東逗子駅に到着。当初は追浜駅に抜けて横浜を回って帰る予定だったが、鎌倉へ引き返す事にした。
  鎌倉駅で江ノ電に乗り換えた後、腰越で下車。江ノ島駅方面へ歩きながら、強引に街中を走る江ノ電を撮影した。
 龍口寺の五重塔を本堂と重ねて撮るものの、接近はせず。なんとも広く浅い観光である。
 後は何をするわけでもなく、江ノ島駅から江ノ電に乗って藤沢へ。東海道線下りはアクティー、平塚止まりの各停と続く。二宮の吾妻山に寄りたかったが、ここの魅力が引き出されるのは菜の花が咲く頃なので、アクティーに乗った。
16時39分、国府津駅に到着すると雨がパラついていた。ここでこの程度の雨なら許せなくもない。まぁ悪くない日帰り旅行であった。

2009年5月3日日曜日

電車で西日本 その4

 2009年5月3日、6時半に目が覚めたので昼食に適した店を探していた。小牧城と清洲城を見て早々と帰る。昨晩はそんなつもりだったが、折角の旅なのにそれは勿体ないのではないかと感じ始めた。
 名古屋港水族館、あそこに次回行く時は、是非とも異性とショーを堪能したい。となると他の天守か。身近な天守を探したところ、目についたのが大垣城と墨俣城。どちらも岐阜県大垣市である。昨日通り過ぎているだけに、また引き返すのは阿呆らしい。とはいえ清洲から遠いわけでもないので、行く方向で計画を修正した。
 そうこうしていたら7時30分を過ぎてしまったのでペースアップ。7時50分にはプランを仕上げて、8時5分にチェックアウト。退室直前には窓から犬山城をチラ見して、別れを告げた。

 犬山駅の階段を上っていると、前には一人の女子高生。他には誰もいない。この短さ、この状況、距離をあけておけば見えたのではと感じ、階段に上る前に状況を確認しなかった自分を呪った。 不純な思いを残しつつ、8時27分の電車に乗り小牧へと向かった。

 8時43分、小牧駅に到着。主となるのは東口かもしれないが、バスターミナルのある西口には噴水があり、このデザインが素敵だった。しかしバスの時刻が迫っていた為、撮影は断念。便が少ないので、一本逃したら計画が台無しになってしまう。
 バスが東口へと抜けた時、目の前に小牧城が見えた。後になって気づいた事だが、小牧城を見上げるならば、東側からがベストなのかもしれない。
  8時56分、小牧山南方にあたる犬山市役所前で下車し、対面の山を登っていく。天守まで片道10分とかからぬ距離だが、それなりに大きいので散歩するには良い場所だ。小牧城=小牧市歴史観なので、中に入るつもりは毛頭ない。天守だけ見て早々に下山。小牧山山頂にそびえる天守を撮ろうとポイントを探した。市役所の対面にあるAPITAの駐車場は4階にある為、高さ的には悪くない。しかし、それでも木々が邪魔して満足できる見え方ではなかった。南側が正面ではあるものの、撮影スポットとしては宜しくない。
 バスの便が少ない為、ここで朝食を摂る余裕がある筈だったが、予想に反してバスの便は少なくなかった。名古屋駅(名鉄バスセンター)行きの都市間高速バスが通っていたのである。日曜のこの時間という事で1時間に3本もあり、しかも名古屋駅直行。これのお陰で岩倉駅経由の計画から20分は前倒せた。

 名古屋駅で改札をくぐってからコインロッカーに荷物を入れようとしたが、コインロッカーの存在も分からず、電車もすぐにあった為、そのまま背負っていく事にした。
 東海道線に乗るためエスカレーターを上っていると、前に高校生ぐらいのカップルがいた。肩から下げたバッグがスカートを捲し上げており、ちょっとした角度で見えてしまうのではないかと思える程だ。むしろ、もう見えていてもおかしくない。
 電車に乗り座席についたところ、そのカップルも近くに立った。スカートの捲し上げられた左側を向けろと節に祈ったが、思いは届かず右側ばかり。しかし、このカップルが私と同じ清洲で下りれば、それは見る者と見られる者との運命なのだろうと感じた。されど人生とはそう甘いものではなく、清洲で下りたのは私だけだった。

 清洲駅から出ると、そこの空気は止まっているかの様に閑散としていた。GW中のため周辺の工場が休みだからかもしれない。物静かな線路沿いを歩くこと15分、清洲城への案内板はあるものの、他に見所のどころか城が近づいている気配すら感じさせない、実に退屈な道のりだった。
  こうして期待が薄まってきた頃に現れた清洲城は、なんとも素敵な城であった。狭い敷地の中に十二分の要素が詰まった清洲城。言うならば”お城付きの日本庭園セット”といったところか。丸ごと部屋に置いておきたい城である。

 城内には入らず、来た道を引き返した。11時13分の電車で大垣へ。流石に岐阜まで戻ってきた時は、とても変な気分だった。

 ムーンライトながらのお陰で、妙に聞き慣れている”大垣”。その大垣に遂に下りたが、けっこう栄えているではないか。とはいえノンビリと街並を眺めている余裕も、荷物をコインロッカーへ入れている余裕も無く、南口2番乗り場より11時55分のバスに乗り込んだ。これを逃すと次は1時間後だ。
 墨俣のバス停は、岐阜駅発の岐阜バスが折り返す地点でもある。一応チェックはしたのだが、今回は大垣駅〜墨俣を往復するコースを選んだ。
  墨俣のバス停から川沿いの道に出ようとしたら、寺町という寺が密集した地域に入った。特に興味がないので足は休めず、川沿いを墨俣城へ向けて北上した。桜の木が並ぶ道、桜が散ってもBBQを楽しめる土手、その川の向こうには長良川。なんとも素敵な環境だ。
 墨俣のバス停から10分ほどで大垣城に到着。正式名称が”墨俣一夜城歴史資料館”という事で、綺麗ではあるが中に入るほどではない。歴史に忠実に再現するならば天守は存在しないらしいのだが、あえて天守を建設したのは良い選択だったと思う。

 帰りのバスまで時間があるので、この変で食事を摂ろうとも考えていたが、実際はそこまで余裕がなく、13時2分のバスで大垣駅方面へ引き返した。
 ちなみに大垣駅方面のバス停だが、行きのバス停より200mほど大垣駅方面へ行ったところにポツリと標識が立っている。実に見落とし易いバス停だ。

 大垣駅までは行かず、2つ手前の郭町で下車すると、大垣城が非常に近い。天守以外に見所もなく、写真を一枚撮って立ち去った。これで良いのかと思うほど、短い時間で用が済んでしまった。

 大垣駅に着いたのが13時35分。遅くとも14時40分発の電車に乗れば良いので、安心して昼食を摂る事が出来た。のんびりと煙草を吸いながらMacbookを広げたかったので、料理の種類にこだわらずミスドへ入る。写真は全てMacbookへ取り込み、カメラはバッグに収納。これで帰る準備は整ったので、結果としては荷物をコインロッカーに入れなかったのは正解だった。
 やるべき事は終わったので、少し早めに大垣を出発。14時55分には名古屋に着き、新幹線の出発時刻まで約30分と悪くない進行だ。15時22分の新幹線で名古屋に別れを告げた。車内ではひたすらこれを書いていたのだが、気づけば小田原直前。途中で停車する駅が無かったので、72分で着いてしまった。
 急いで荷物を纏め、忘れ物の有無も確認して下車。東海道線には待たされたが、鴨宮駅から歩いても17時半より前には帰宅できた。

 GWのラッシュを感じる事もなく、言葉通り”広く浅い”旅ができて満足である。

2009年5月2日土曜日

電車で西日本 その3

 2009年5月2日、あまりの暑さに5時過ぎには起きた。室温を26度に設定して寝たので暑いわけだが、これは異常に暑すぎないか?自分の肉体が熱を持っているのではと思ったが、36.7度。ほとんど平熱である。室温を18度に設定したものの、全く涼しくならず不安に駆られた。浴衣一枚にも関わらず、ジッとしているだけで若干ながら滲み出てくる汗。なにか手はないかと思ったら、窓を開けれたので開けてみた。朝の澄んだ空気が心地よい。調子が悪いのは私ではなく、エアコンの方だったらしい。

 7時にはチェックアウトを済ませ、新大阪へと向かった。7時30分の新幹線に乗り込み、米原で下車。足への負担を減らすべく荷物をコインロッカーに入れようとしたが、コインロッカーが見当たらず、仕方なく彦根へと向かった。
 来た道を一駅戻る事になるので、この移動手段がベストだったのか否か疑問が残る。
  昨年9月に来た時は、鬼畜の如き豪雨で入城を断念した彦根城。今回は快晴である。雨が降る気配など微塵も感じないし、誰も予想しない。
 荷物をコインロッカーへ入れ、いざ彦根城へ。少し遠回りをし南側の大手門へ回った。するとそこには城下町っぽい”夢京橋キャッスルロード”というのがあった。立地的な問題でこちらに作らざるを得なかったのか、電車で来る観光客はまず気づかないだろう。ちなみに私は存在を確認しただけで、特に足は向けなかった。
 高台にあるだけあって、多少は登らないといけない彦根城。とにかく足が心配なので気分は乗らないが仕方が無い。
  天守への入り口直前で琵琶湖を眺める事ができる。もしここに行列が出来る事があるのなら、その時は残念だが諦めるしかない。天守内は靴をビニール袋に入れて持ち歩くのだが、この袋に手提げが無く、実に改善して欲しい気分だった。
 階層は少なく、展示品も限りなく無いに等しい。内部に興味のない私には実に好ましい作りだ。天守最上階から琵琶湖を見渡す事はできるものの、窓に格子が張ってあるので写真を撮るには不都合だった。

 天守を出て、ジュースを買おうと自販機を使おうとした矢先、停電である旨を伝えられた。どうりで天守に入った直後がやたらと暗かったわけだ。
 帰りは駅に一番近い表門から出たのだが、東側からでは高台にそびえる彦根城は移せない。北側の黒門から出て外堀沿いに歩けば見れる事は、昨年の豪雨の中で覚えた事だが、内堀沿いからではどうかは分からない。

 予定より30分ほど早く用が済んだため、早々に彦根を後にする事にした。丁度良い電車があったのだが、何らかの事情で10分遅れていた。これでは米原からの新快速に接続できないではないか。そう思いつつもベンチに座って靴を脱ぎ、足を休める事が出来たので良しとしよう。
 幸いにも接続する予定の新快速が米原で待機していた。しかし新快速とは名ばかりで、岐阜までは各駅停車である。そこを省略するならば次の特急に乗るべきだったが、今となってはもう遅い。
 混み合った新快速の中、とうぜん私は座れなかった。何もない土地が続くだけに、ただ人が増えていくだけの状況。垂井でようやく座る事が出来たが、私の横には席を譲れと言わんがばかりの中年女性が立ちはだかった。こちとら足が心配なのだ、中年如きに譲る筋合いなどない。しかし二駅後の穂積で老女が乗ってきた為、何を言うわけでもなく席を立った。何も言わなかったのが災いし、私の座っていた席は中年女性に占拠されてしまう。それを見ていたのか、それとも自然な行為としてか、すぐ近くの若い男性がその老女に席を譲った。人の性格とは外見に現れるものだと実感した一時であった。
 それとは別に、米原から乗って以来、座席の下に切符か何かを落としたっぽい女性が気になっていた。斜め後ろに立っていた私の視界からは何も見えなかったので、特にアクションは起こさなかったが、彼女は探し物を見つける事が出来たのだろうか。それ以上に気になったのが、右手首にあった何かの痕である。傷痕なのか火傷の痕なのか。何かと気にさせてくれる女性だった。

 11時16分、岐阜に到着。当初の予定より5分早いだけだが、その予定で動いていたらより遅れたという事だろう。
 岐阜駅はとても綺麗で、街も実に都会的で、そのお陰ですぐ見つかると思っていた名鉄岐阜駅を探すのに少し手間取った。名鉄岐阜駅のコインロッカーは改札の向こうにあったのだが、これは駅員さんが通してくれて解決。嬉しい限りである。近くのLAWSONでコーラとからあげくんを買い、これを朝食とした。乗るべきバスも分かり易く、岐阜公園へ向かうなら大通り沿いの4番バス停からと、名鉄岐阜駅に着いてからは全てが順調。
  先に長良川を見ようと思っていたが、人の流れに任せて岐阜公園前で降りてしまった。それでも長良川を優先し歩を北へ進める。川はしょせん川なので、それよりも見たいのが川原町である。値段が高い割に人気の高いホテル十八楼を始めとし、古い町並みの残る情緒ある通り。広い和室から長良川と鵜飼いを眺め、美味しい料理を食べる。岐阜で泊まるなら是非とも泊まりたいものである。
  岐阜公園へ向かい、ロープウェーで金華山を登り岐阜城へ。ロープウェーを降りても石段を登らねば天守には着かない。着いた天守はなんとも小じんまりとしており、内部は完全に展示場。天守間近では撮影スポットがなく、なんとも困ったものだ。ハイキングには丁度良いのか、天守の周りで持参した食事を摂っている人が大勢いた。
 織田信長を含め多くの武将が占拠した岐阜城。今となっては山の上の小さな博物館だが、彼らが欲した気持ちが分からないでもない。東西南北のいずれから敵が攻めてきても、かなり早く確認できる眺望。その見晴らしの良さは、他の城の比ではない。日本最高の城は姫路城だと思う。しかし、私が一番欲しい城は、この岐阜城に他ならない。

 金華山を下り、バスに乗って名鉄岐阜へ。岐阜には4時間半の自由時間を取ってあったのだが、目的もなくブラつけるほど足に余裕がないので、13時58分の電車に乗って犬山へ向かった。
 先頭車両の一番先頭の席に座り、電車の進行する眺めを楽しむ。まるで鉄っちゃんではないだろうか。もちろん小さな子供が羨ましそうな顔をしていれば、席を譲る気ではあった。横にずれたところで、小さな子供など視界の邪魔にならないし。そう思っていたら落ち着きのない子が私の目の前に来た。席をズレてあげたのだが、彼は座ろうとせずまたウロウロしだした。岐阜に向かう道中といい、私の好意は空振りまくりである。

 14時33分には犬山に到着し、とりあえず宿泊先の犬山ミヤコホテルへと向かった。しばしば見かける趣味が悪いというかセンスの無いホテル。ここもその一つである。洋風な建物に全く合わない壷やら何やら。観葉植物の鉢も統一性がなく、ただ置いてあるだけ。1泊6,510円という値段なだけに、かなり不満を覚えた。
 呼び鈴を鳴らせど従業員は来ない。そこに不満は感じなかったので、とりあえず足を休めながら何となく15時になるのを待った。ちなみにチェックインは16時かららしい。そうこうしてたら外出から戻ってきた宿泊客が呼び鈴を鳴らし、従業員が現れた。これを機に荷物を預かってもらい、犬山城へと向かった。

 犬山ミヤコホテルのすぐ近くに、国の重要文化財である旧奥村邸がある。趣きのある建物の中身はフレンチ創作料理”なり多”。何故フレンチなのかは分からないが、それはそれでハイカラな感じがする。ランチなら手の出し易い価格なので、もし再び犬山に来る機会があれば寄ってみたいものだ。
  桜の木が先並ぶ郷瀬川沿いを歩いて犬山城へ。疲れが溜まっているせいか、国宝である4つの城(姫路・彦根・松本・犬山)の中で、最も残念な感じだった。国宝に浮かれた観光地というか、とにかく何かが残念。天守入口に仮設みたいな屋根を置いちゃう姿勢が残念。とにかくここまでで犬山に良い印象はまるで無い。
 天守最上階は外に出られるのだが、ここの欄干がとにかく低い。大人が手を添えようとすれば、そのままバランスを崩して落下してしまうだろう。景色はよく見えるものの、危険度はかなり高い。そのままであって欲しいが、そのままであるという事は落下事故が起きていないのだろう。強風の日はどうしているのだろうか。
 かなり旅に飽きた感じで犬山城を出て広場に戻ると、正面に古い町並みが目についたので惹かれる様に歩いた。本町通り、全てが全てではないものの、かなりの率で城下町の雰囲気を出した建物が並んでいる。土産物と飲食店だけが並んでいるわけではなく、商店街そのものが城下町を模している感じで実に印象が良い。ぜんざいでも食べようかと店を選んでいる内に、本町通りが終わってしまった。
完全ではないものの、その姿勢は素晴らしい。天守を構える街ならば、是非とも見習って欲しい姿勢である。私の地元の小田原なんて、それはそれは酷いものである。城へ繋がる通りの店舗は、全て城下町風にして欲しい。そういう街に住み育ったからこそ強く思う事だ。

 本町通りの終わりまで歩いてしまったので、犬山から電車で犬山遊園に行くことにした。電車はあれども扉は開いておらず。訳が分からず尋ねたところ、単なる連結待ちだった。
 犬山遊園駅に来た目的は善光寺である。長野の善光寺をイメージしていたので、すぐ近くの成田山より優先してみたが、とても残念だった。時期が時期なら花が咲き乱れているのだろうか。何かを期待して登り続けてみたが、山頂は実に寂しい状態。そこから北に出ると展望台があるのだが、犬山城天守からの景色を見た後では特別な感動は得られない。行きも帰りも誰とも合う事無く、我ながら何をしに来たのか分からない結果に終わった。
 宿泊先まで歩くつもりだったので、成田山には寄らなかった。郷瀬川橋の右手前には飲食店が2件並んでいる。犬山城へ向かう途中で見かけたのだが、特に気になったのが日東食堂。よほど味に自信があるかの様な佇まいだ。ここで夕飯を摂るために、犬山遊園駅から歩いて帰ってきたのである。
 18時15分には日東食堂に到着し、カツ定食を注文した。外見も内装も全てに置いて街の定食屋さんといった感じ。郷土料理がどうとか関係ない。とにかくありがちな定食屋。しかし、こういう店こそ美味しいものである。そして美味しかった。味については詳しくないので、語れないのが残念だ。

 ホテルに戻りチェックインを済ませると、預けた荷物は部屋に上げといてくれたらしい。部屋は5階で、高台にある犬山城から日本モンキーパークの観覧車まで見える。これであの値段かとようやく納得。フロントロビーの趣味の悪さはともかく、この景観とこの立地条件で6,150円なら納得できた。
 何よりも先に洗濯を開始。乾燥機が15分100円だったので、どれだけボッタくる気かと思ったがそれだけ強力なわけで、15分だけでかなり乾いたので後は部屋干しにした。
 些細な事だが、部屋着が浴衣なわけだけど、この帯が2週巻ける普通の物なのが嬉しい。より着易いものを用意する場所が多いが、やはり普通の浴衣か作務衣に限るだろう。

 残りあと1日。後は小牧城と清洲城を巡るだけだ。清洲城の後に2時間ほど余裕を見てあるが、足が痛いので早く帰る方向で検討しよう。

2009年5月1日金曜日

電車で西日本 その2

 2009年5月1日、朝4時20分に起床した。冷暖房の選べないエアコンを付けていたせいか寝起きは寒かった。とはいえ風邪が悪化したわけではない様で、どうやら平熱より若干低い程度まで下がったらしい。後は食事を摂って体力をつければ万全だろう。
 基本的に外出禁止なこの時間帯。私に与えられた突破口は避難口だった。4時40分、鍵を部屋に置きっぱなしにし、非常口へと向かう。扉を開けるとそこに階段はなく、ハッチを開けてハシゴを降りねばならなかった。こんな時間にチェックアウトする私も私だが、こんな手段を与えるホテルもどうかと。個人的には貴重な体験が出来て悪い気分ではないが。

 まるで人気の無い早朝の松江。薄らと空に明るみを感じるが、未だ”暗い”という表現が適切な状態だ。何気に行きたかったピンサロ”プリンプリン”を探しながら駅へと向かうが、朧げな記憶では見つける事が出来ず、15分とかからず松江駅に到着した。
 駅前のコンビニで朝食を買い、駅の自動券売機で自由席特急券を購入。5時12分のやくも2号に乗り備中高梁を目指した。
 特急内はかなり空いていて、米子を過ぎてもまだまだ余裕がある程だった。車両が短い事もあり喫煙デッキも遠くなく、車内は快適。松江-米子間で見えた中海、備中高梁まで降りる際に見えた山々、そして日の出、車窓も素晴らしいものだった。新見を過ぎた辺りで井倉洞の看板が見えた。こんなところに鍾乳洞があったのだ。全国の主要な鍾乳洞は制覇したい私にとって、この土地はまたいつか訪れねばならないだろう。さらに先で見えた滝も興味深いものがあった。

 7時6分に備中高梁に着き、駅前の観光案内所(タクシーの営業所)へ向かった。如何に高梁の街を堪能するか、如何に松山城へ行くかが決まっていなかったからである。タクシーだと一般車両が行ける最終地点である鞴(ふいご)峠まで1,100円。帰りに鞴峠まで呼び出せば追加で300円。松山城の開城が9時なので行きは徒歩確定として、帰りは9時50分備中高梁駅発の相乗りタクシーが鞴峠から帰るところを捕まえれば、追加料金なく乗る事が出来る。
  案が纏まったところで街中を歩き始めた。通りがけに高梁基督教会を見て、さらに武家屋敷の前を通り過ぎて、7時50分には中国自然遊歩道の入り口に着いた。そこから登る事900m、8時5分に鞴峠に到着した。急いで登ったところで入城できるわけでもないので、ここで10分ほど休憩。トイレは無いものの自販機はあるので休むのに悪くない。鞴峠から700mで天守には着く。200m登った辺りから綺麗な石段となり、さらに200mほど登った辺りだったろうか、これだけ高い場所にあるとは思えないほど立派な石垣が見えた。石垣の中腹にはトイレがあり、そこから天守は間もない。公式サイト曰く”鞴峠から天守まで20分”、御老体のペースといったとこだろうか。

 開城まで時間があったので、天守の周りを歩きつつ吊り橋への道を探した。天守裏手の水の手門跡から山を下っていくと、備中松山城跡への道標があった。とりあえずそれに従って歩いてみたが、城跡といっているだけあって楽しいものは無い。しかし吊り橋まで200mの道標を見つける事が出来たのは幸いだった。完全に水が死んでいる溜め池を右手に見ながら吊り橋へと向かう。獣避けなのか2枚の鉄格子の扉に閉ざされた立派な吊り橋。そこから見えるのは木と山だけだが絶景である。
 そうこうしてたら9時になったので、松山城まで700mの道のりを戻った。鞴峠からの道のりと同距離か・・・。溜め池近くから大松山城跡へも行けるらしいが、しょせん城跡である。これ以上の体力は使いたくない。
 吊り橋から15分で松山城に戻れた。外見は立派だが内部は質素な松山城天守。まぁこれを再築しただけでも功績を讃えられる。300円の入城料は、その功績に対する敬意とすれば高くはない。
  サラッと内部を舐めて9時40分には鞴峠に戻ってきた。タクシーが来るのを待とうかと思ったが、時間はあるし1,100円は安くないので、とりあえず徒歩で下ることにした。登山口のバスを過ぎて間もなく左折したところ、背後で車の通り過ぎる音が聞こえた。10時5分、鞴峠に行って帰って来た相乗りタクシーが通り過ぎた音である。タイミングの悪さに嘆きつつも、仕方なく駅まで歩き続けた。10時半には備中高梁駅に到着。コンビニで甘い物と冷たい飲み物を買い、エネルギーを補充。Macbookで時間を潰し11時5分の特急やくもに乗車。喫煙可の自由席があったのは嬉しい限りだ。
  11時38分、岡山に到着。まず何よりもしたいのが”ウンチ”である。汗がひいて体が冷えたのか、少しお腹がくだり気味だった。岡山の為に取っておいた時間は2時間。岡山城しか用はあるまいと思っていたら、そこにあるのは都会だった。これは楽しそうである。いきなり駅前の噴水が素晴らしい。そして路面電車があるのも素晴らしい。
 路面電車に乗って城下へ。100円と良心的な値段だ。城下から岡山城までは少し歩く。私は後楽園方面を回ったのだが、後楽園も後楽園で楽しそうだ。河を挟んで右は岡山城、左は後楽園、この光景が気に入った。
 岡山城は実に綺麗で新しさを感じる。歴史的価値を求めなければ親しみ易い城だろう。天守は大きく、威厳を感じさせる漆黒。天守内に興味はないので、橋を渡って後楽園へと向かった。あまり時間がないため金を払ってまで後楽園に入る気は起きなかったので、南口の手前で引き返したが、南口近辺にある茶屋から岡山城を眺めながら食事を摂るのは悪くないと思った。
 時間に余裕があったので、そのまま徒歩で岡山駅へ。街を知るには歩くに限る。しかし横道に逸れることもなく岡山駅に到着し、新幹線を待ちながら休憩をした。

 正直なところ、かなり足に負担が来ている。スニーカーとはいえベストな履き心地の物を選んだわけではなかったので、備中高梁でのトレッキングが相当応えているのだ。
 13時43分、姫路に到着し姫路城へと歩き始めた。地図で見ても人から聞いても駅から近い姫路城。しかし、この日の私にはとても遠かった。片道20分、そこに待っていたのは広い敷地と美しく巨大な天守。全部周っていたら予定している14時51分の新幹線にはとても間に合わない。そもそも足が保つか分からない。
  とりあえず金を払って入城し、天守へと向かった。天守を目前にした時、確実に無理な事を悟った。しかしそれで良い。間違いなく姫路城は日本で最高のお城だ。そんな城だけにベストな時期にベストな服装と体調で来たい。城内を歩いていて、どれだけ花の咲いてぬ桜の花が気になった事か。
 これなら15時14分の新幹線には乗れると思い姫路城を後にするものの、敷地を出る手前で再び便意が襲ってきた。その勢いは早く、天守に登っていれば危うく内部の何処かで垂れ流していた事だろう。これのお陰でさらに時間が取られ、再び時間が危うくなった。悔しいが630円払ってタクシーに乗り姫路駅へ向かい、15時14分の新幹線には間に合った。が、新幹線自体が6分遅れた。
 16時3分、新大阪に到着。コインロッカーに荷物を入れ、堺東へと向かった。堺市役所の展望台から一望できるという大仙陵古墳。これを見る事が目的なのだが、その実態は”一望できるが鍵穴型なのは分からない”だった。最大の仁徳陵はともかく、履中天皇陵どころか一番近くて小さい反正天皇陵すら鍵穴の形に見えない。この土地に足を踏み入れたところで、ただ木が生い茂っているだけの場所である。空から見ない限り夢が叶わない事は分かったので、大阪での目的はアッサリと終わった。新世界で串カツを食べるつもりだったが、そこまで行くのも面倒臭く、堺東で”餃子の王将”に寄って夕飯を済ませた。一度は行ってみたかったのだが、一度行けば十分だった。地元でも出来る事ではあるが、今回の大阪のテーマは”諦める”って事だろう。

 そのまま東淀川の新大阪サンプラザホテルへ直行。とにかく足である。足の具合が心配である。結果、右足にマメが2つ、小指は何時つぶれてもおかしくない。左足の小指にも候補が1つ。絶望的である。ホテルがくれたコンビニの割引券500円分が、バンドエイドによって半分以上失われてしまった。
 ちなみに体温は37.3度。あの突然の便意は、新たな風邪の兆候だったのか?まぁ病み上がりで汗をかきまくりながら散策していたので、当然と言えば当然。一昨日まで38度以上あったのが、そう簡単に治るはずもなし。

 新大阪サンプラザホテル、インターネットは有線なので速度的に安心。コインランドリーは、宿泊者は無料という素晴らしいサービス。1泊3,900円でこれなら満足できる。

 とりあえず風呂に入って右足小指のマメを潰し、翌日の彦根〜岐阜〜犬山に備えて休息を取った。本日の反省というか、次回への繋ぎとしては、”桜の咲く頃に姫路城へ”と”日本三名園の一つ後楽園へ行く”である。やはり日本三名円の一つ兼六園といい、目の前まで行って諦めているので、いつか水戸の偕楽園に行く時は気をつけたいものだ。

電車で西日本 その1

 2009年4月29日、体調は最悪である。前日の午後には鼻水が止まらなくなり、17時になるのを心待ちにしながら仕事に励んだ。帰宅して夕食を摂ったらすぐ寝たのだが、22時頃に目覚め眠れなくなる。汗をかくわけでもなく意味なく時間が過ぎていったので、4時頃湯船に浸かった。これはこれで間違いだったかもしれない。
 6時には家を出て山に登りたかったが、熱はまだしも鼻水が止まらないのでは諦めるしかなかった。なんとか眠りに就き、8時半頃起きたら美容院が開くのを待った。ここで洗髪されるのも問題だが、連休初日なだけにバッサリ切っておきたいから致し方ない。
 11時頃、そのまま近所の温泉へ向かった。自宅で汗をかけずにいるなら、いっそサウナでドバッとかこうという算段だ。これがどういう結果を招いたか分からないが、ともあれ昼寝をして起きた16時の時点では38度を超えて熱があった。とりあえず今がピークなのだろう。後は旅をしながら回復していけば良い。22時10分、熱は38度を超えていたが旅に出た。

 22時45分の電車に乗って熱海へ。ここから23時23分発のサンライズ出雲に乗り換える。私が取ったのは一番安い寝台なので、プライベートなど無いに等しい。窓側を頭に縦に並んだ寝台席。窓側3分の1ぐらいは敷居があるものの、あとは隣が丸見えである。他人との空間を共有するのも旅の楽しみとして選んだ事なので文句はないが、私の風邪が移った方がいたら誠に申し訳ない。
 時間が時間なだけに景色を楽しめるわけでもなく、とにかく寝る事にした。ブランケットは用意されているものの、全身を包みきれるものでもなく、枕に至っては存在すらしない。カーペットの上に雑魚寝する感じだが、床暖房が効いているのが唯一の救いだ。そのお陰か朝5時頃に熱を計ってみたら36.9度まで下がっていた。
 8時には完全に起床したものの、何が出来る訳でもない。窓からは長閑な風景が覗けるが、それも延々と見ていれば飽きてしまうわけで、MacbookとiPhoneで暇を潰しつつ、9時58分、列車は出雲へと到着した。
  出雲市駅前は清閑としていた。単に平日だからなのだろうか?それともこの静けさこそが、神々の住まう土地としての神聖さなのだろうか?商店街に行けば何かあるかと思ったが、それをしたらバスに間に合うか危ういので、大人しく駅前でバスを待っていた。
 一畑バスに乗り日御碕へ。走ること約45分、停留所に着く少し前で日御碕神社が一望できた。赤の際立つ綺麗な神社。天照大神を祀ってあるそうなので珍しく賽銭したものの、特に願う事はなかった。

  水の透き通った日本海。ダイビングをするには良い場所だろう。ウミネコの繁殖地というだけあり経島にはウミネコが無数にたかっていた。その上に鳥居が見えたが、それが何を祀っているのかは分からなかった。日御碕の灯台は白く美しかったものの、上に登ったところで見えるのは海だろうと思い、これは登らず。その辺を散策した後、日御碕神社を一望できる場所へ行こうとしたが、流石に何も食べていないためイカ焼きを食べた。なんとも柔らかいイカである。さらには私の求めている場所への近道も教えてくれた。日御碕神社を撮って目的を遂げた私は、早くもバスの停留所へと向かった。バスの出発時刻まで40分はある。近くの休憩所で”ひやしあめ”とやらを飲みながら時間を潰し、12時39分のバスで出雲大社へと向かった。
  出雲大社、まぁここは訪れただけで満足である。縁結びの御利益があるらしいが、結ぶ相手のいない一人旅、否、一人だからこそ願掛けるのか?ともあれ舐める様に見て立ち去った。このあと出雲大社前駅で30分ほど電車を待っていたので、もう少し堪能して誰かと縁があるよう願掛けをすれば良かったものの・・・。
  14時1分の一畑電車に乗り、松江しんじ湖温泉まで直行。古く汚れたローカル電車に乗りながら宍道湖を眺めるのは良かったが、あまりに窓が汚かったのが残念だ。

  松江に着いて徒歩で月照寺へ向かった。徳川家康の孫にあたる松平直政が生母月照院の霊牌を安置する為に復興した寺だそうで、九代に渡る大きな墓碑があったが、歴史に興味のない私にはどうでも良く、ただ寿蔵碑という亀の上に石碑が乗った物をオブジェ的に見たくて来ただけだ。頭を撫でると長生き出来るそうな出来ないそうな。しかし私は老いる前に死にたい派だ。

  丁度良いバスが無く、というかバス停が見当たらず、松江城にも徒歩で向かった。敷地の広い松江城は城址としてもかなり残っており、かなり印象が良い。それに加え黒の際立つ天守が何とも男らしい。入城するつもりは無かったが、松江市を一望したくて入城してしまった。中の作りは古さを残しており、階段は急である。未だに3日前のランニングの影響が残っていたのか、下る時にはかなり腿がつらかった。

 1時間かけて堀川を巡る遊覧船には興味をそそられたが、これこそ一人ではつまらないだろうと思い、諦めてぐるっと松江レイクラインに乗り島根県立美術館へ。
 17時頃には到着し、入館料を払って時間を潰すかと思ったら、夕陽と宍道湖うさぎを見る分には無料だった。カメラを首からぶら下げているので金を払ってまで展示品を見たいわけでもなく、かといって日没までの約2時間を潰せる用事も無いので、とりあえず館内のレストランで一足早い夕飯を摂った。とはいえそれも早々に食べ終わってしまい、煙草の吸えぬ場所で時間を潰せるわけでもなく、美術館の外でMacbookをいじりながら時を過ごした。
 17時半になり宍道湖側に周ってみると、空の向こうには雲がかかっていた。台無しである。松江より先の場所で宿を取っておけば良かった。そう悔いても遅いので、徒歩でホテルへと向かった。既に商店街は閉まり静けさだけが漂っていた。

 宿泊先は松江シティホテル本館。朝食にプチ弁当を出してくれる予定だったが、私は翌日5時12分の電車に乗りたいので機会を逃した。それどころか本館は6時まで扉が閉まっている上、従業員も不在らしい。追加料金1,000円で別館に泊まれば、24時間出入り可能との事だが、そんな事で追加料金を払うのは馬鹿らしい。そうして悩んでいると、別の案を持ち出してくれたので問題は解決した。この機転には感謝したい。

 部屋に入るとそこは安く仕上げた様なレイアウトで、トイレにウォッシュレットは無いわ、髭剃りは常駐してないわと、料金が安いだけの事はあった。インターネットには無線で繋ぐ事ができるが、これが接続が悪いというか速度が遅いというか、とにかく不快にさせてくれる遅さだった。湯船に浸かって早々に寝ようとしたが、旅先で簡単に眠れる性格ではないので、結局24時頃まで起きてた気がする。