2011年1月30日日曜日

シャアが来る

 今日は朝から18km走りました。かかった時間は99分。余力があったので、ハーフなら走りきれそうです。
 今日は途中で便意を覚えることなく走れたのですが、走り終えてクリエイトで買い物をし、クールダウンしながら家に帰ると、一気にお腹が冷えました。ジョギング前に大量に出した筈なのに、ユルいのがシャー!シャー!シャアっ!ユルさ3倍どころではありません。

 出すもの出したら散髪です。坊主の私はいつも全裸でセルフバリカン。走った後なら体が温まっていて全裸でも平気かと思っていましたが、現実はガチガチ震えながら髪を刈っていました。ジョギング後に体を冷やしたらいけませんよね、そりゃ。刈り終わったら風呂に入ったんですけど。

 そして次の予定。9kmほど離れた場所にあるカレー屋さんに自転車で行こうとしたのですが、漕ぎ始めた瞬間に無理だと悟りました。昨日10kmの山道を歩き、今朝は18kmを走ったのですから、我ながら納得です。洗濯物も大量に干してるし、晩御飯の用意もしなければならないので、近所のモスバーガーで昼食を摂りました。食べ終わったら、またシャー。赤い彗星の再来です。

 午後は肌寒くて、予定を消化するにも、なかなか動き出せませんでした。風邪ひいたのかな。ひいても不思議ではないメンテですよね。少なくとも肉体が休息を求めているのは確かです。

 運動するのは良いことですが、いつもその後のメンテで失敗している私でした。

2011年1月29日土曜日

相州アルプス縦走

 2011年1月29日、相州アルプスを縦走してきた。相州アルプスとは神奈川県の厚木市荻野にある高取山と愛川町半原にある高取山に挟まれた峰々のことである。かく言う私も、本日登っている最中にその事を知った。本日は半原の高取山から南下し、経ヶ岳で終わるところを華厳山から荻野の高取山へと延長した。

 8時に家を出てバイクで新松田駅へ。新松田駅には西丹沢へ向かおうとする多くの登山者がいた。ホント、年配の方々ってハイキングが好きだよな。人のこと言えないけど。
 本厚木駅でバスを待っている際も、多くの御年配の登山者たち。座れないかと心配したが、大半は別方向のバスに乗って行ったので、目的地まで座る事ができた。ちなみに乗ったバスは、1番乗り場から出ている半原行きの神奈中バスである。

 野外センター前のバス停に着いたのが10時。ここで山登りの準備をしようと思ったが、日陰で寒かったので愛川ふれあいの村方面へと歩き始めた。
 愛川ふれあいの村の脇を通り過ぎて裏手に回ると、仏果山および高取山への道標が現れる。高取山方面へと歩いて行くと左手に道標が現れ、県道514号の下をくぐる。両向トンネルの脇に日当りの良いベンチがあるので、ここで山登りの準備を開始した。
  10時33分にベンチ横の坂を登って出発。間もなくしてゲートがあるのだが、閉めるのに頭を使わされた。次のゲートに至っては完全に扉が無い。鹿避けの意味無しである。
 林道を渡ると日当りが良くなる。チラホラと残雪があり、少し得をした気分だ。10時49分にベンチのある場所に到着。意外と尾根が近くに見える。ここから徐々に傾斜がキツくなってくる。
 11時3分に尾根道に辿り着くと、ベンチのある分岐となっていた。北に行けば馬場・大平に下りてしまうので、南へ向かう。ゲートをくぐると鬱蒼とした林の中に突入。ここを抜けるとかなり傾いたゲートが待っており、高取山山頂まで残り0.3km。意外と雪に覆われているのは嬉しいが、傾斜は厳しい。しかし、この傾斜などこれから後に比べれば並である。
 11時15分に高取山山頂に到着。厚木方面の絶景。巨大な展望台を登れば宮ヶ瀬方面も絶景である。相州アルプスの中で、ここが最も景色の良い場所である。
  11時28分に高取山山頂を出発。仏果山まで1.3km。尾根道を下り続け、11時28分には宮ヶ瀬越に到着。ここから軽いアップダウンを抜けて、最後に急登が待っている。ロープがあるが、それに頼る程ではない。
 急登を登りきって、左が仏果山山頂、右手に行くと経ヶ岳方面へ向かう。11時52分、テーブルの多い仏果山山頂には多くの登山客がいた。大きめの鍋を持ってきて料理している団体さんなど、御年配の方々も実に活動的である。この山頂にも巨大な展望台があるので、訪れた時は是非とも登ろう。
  12時8分に仏果山山頂を出発。半原越まで2.5km。
 いきなり急な下りが待ち受ける。もはやポールは邪魔でしかなく、設置されているロープに頼るしかない。そこを抜けても細い尾根。本当に歩くのかと思わされるほど細い尾根。そんな危険な尾根道を歩いて、12時19分に馬渡分岐に到着。
  12時25分にはベンチのある八州ケ峰に到着。ここで細い尾根道は終わり、ゲートをくぐると桧林の急坂に入る。途中で革籠石山山頂に着くが、山頂というより単なる通り道でしかない。
 12時42分に土山峠分岐を通過。ここまでくれば半原峠まで残り0.9km。横に人の通れる隙間があって意味のないゲートを抜ければ、半原峠はすぐそこだ。
  12時58分。路面が凍って危険な半原峠に到着。ここのポストに「荻野西山登山マップ」というのが入っていたので、少し読んだのだが、この時は興味なし。0.7km先の経ヶ岳を目指した。
 始めと中間に急な登りを控える道のり。ここまでくると結構こたえる。2階目の急登を越えたあたりだったろうか、この山の名の由来ともなった経石がある。
 尾根道にある巨大な岩。ここにこんな物がある事が不思議なのだが、案内板はそこには触れず、淡々と歴史を語る。武田軍に追われる北条軍の落ち武者が何とかこの山に辿り着いたものの、見下ろすと数多くの槍が見えて落胆して力尽きてしまった。しかし槍と思った物はトウモロコシで、以来この地ではトウモロコシを耕作しなくなったとか。今聞くと単なる間抜け話である。
  13時17分に経ヶ岳山頂に到着。南側の景観は開けているが、見えるのは山だけだ。ここにもポストがあり、休憩がてら「荻野西山登山マップ」を読んでみた。
 相模興業の華厳採石場の増設が厚木市によって認可された為、高取山(荻野)から南が大きく削られてしまうと言う。山が削られてしまうのは悲しい事だが、採石も無意味な行いではない筈。文明を取るか自然を取るか、難しい選択だろう。

 13時28分に経ヶ岳山頂を出発。華厳山まで1.0km、高取山まで1.8kmとの事なので、時間も早いし体力も余っていたので、行ってみる事にした。

 華厳山までの道のりは、思いっきり下って思いっきり登る。それだけだ。しかも山道の整備が行き届いておらず、ただ急な山肌を下っている感じ。左側にある鹿避けのフェンスに頼ろうにも有刺鉄線が張ってあり、もはやデスマッチならぬデスハイクである。
 登りきったところで平坦な尾根道となり、13時52分に華厳山山頂に到着。下山道への道標はあるものの、高取山への道標は見当たらなかった。「荻野西山登山マップ」を頼りに山を南下。これまでとは異なり緩やかな傾斜を徐々に下る。
 ボケッと歩いていたら、14時8分に高取山山頂に着いた。山頂と言っても尾根道の途中に看板があるだけで、ベンチも無ければ広くもなっていない。
 ここから問題の採石場が見える。実際に見るとかなりの規模だ。何も知らない人間からすると、低賃金重労働の隔離された世界を想像してしまう。
 高取山山頂からすぐ近くにある発句石移設広場へ行くと、さらに採石場の全景が見える。それだけでなく景観が素晴らしく良い。但し、ここは既に立入禁止区域である。とはいえ現場のかなり上の方なので、折角だから訪れよう。
この発句石も別の場所にあったようで、採石の過程で移設されたらしい。けしからん!と言いたいが、過去に捕われ未来へ進めぬのもどうかと思う。

 14時20分に発句石を出発。華厳山へ向かった時の様に、道だか何だか分からぬ道を、不安ながらも下っていく。2つ目の道標をすぎると、ようやく道に整備された雰囲気を感じ取れる。沢を渡って山道を歩いて行くと、右手に沢が見えた。橋があるかと思いきや、単なる倒木だった。否、それを橋として使っているのかもしれない。バランス感覚が要求されるが、倒木を渡っても、道なりに歩いても、結局辿り着くのは同じ場所。倒木渡りに挑戦するのも良いのではないだろうか。

 14時49分に山道を抜けると、目の前はゴルフコースになっていた。このすぐ近くにあるゲートをくぐっても良かったのだろうか。私は少し山道を歩いて、途中のゲートをくぐり、強引にゴルフコースへと下りた。ゴルフコースと言ってもその脇を通っている市道らしい。ここを歩いていると、右手に道標が見えた。ちゃんと登山道用のゲートが存在したようだ。
 ゴルフコースを抜け、荻野の集落を抜け、国道412号線へ。15時23分、東谷戸入口のバス停に到着し一段落。15時38分の神奈中バスに乗り込んだ。

 本厚木のアウトドアショップ「WILD-1」に寄ろうと妻田のバス停で下車したが、思うに一ヶ手前の中村入口で下車するべきだったかもしれない。
 WILD-1のある通りはバスが走っているらしいが、時刻が分からない。渋滞による不正確さからバス会社が時刻を表示する事を断念したようだ。仕方ないので本厚木駅まで徒歩。閉店2日前の閑散とした楽器屋TAHARAに寄り、17時44発の小田急線に乗り込んだ。

 「相州アルプス縦走」この言葉に惹かれない限りは、高取山(半原)〜経ヶ岳の間で楽しんでいれば充分である。

2011年1月23日日曜日

湘南国際と秋葉原


 本日は神奈川県最大のマラソン大会、湘南国際マラソンに参加してきました。フルマラソン18,000人、10km5,000人という大人数。今大会だからとはいえ、フルマラソンを走ろうという人が18,000人もいる事に驚きです。私はね、やっぱ10kmで丁度良かった。脚八分目ぐらいが丁度良いです。
少し曇ってきた時もありましたが、走り出すと丁度良い気候。5,000人もいると自分のペースで走れないかと思いましたが、西湘バイパス/R134を借り切っているのは伊達じゃないです。自分のペースで気楽に走り、残り2kmからペースアップ。さらに残り1kmでペースアップしたつもりでしたが、52分台でした。前半がマイペースすぎたかな。今年最初のRUNという事もありますが、またもや50分を切ることが出来ませんでした。


 出店も多く、とにかく規模がデカイ。帰りは大磯港までシャトルバス。このバスの待機数も物凄い。各企業の協力と、多くのボランティアにより、これだけの規模の大会で我々ランナーが快適に走る事が出来るのです。偉いのは完走した人達よりも、この大会を支えた多くの人や企業でしょう。

 と一応感謝の気持ちは書いといて、私は走り追えてすぐにシャトルバスに乗って退散。大磯駅から東海道線に乗り込み、友人と秋葉原へ向かいました。なにせ歩行者天国が再開するのですから、一オタクとしてマラソン大会よりも重要です。
 でも秋葉原に用が無いんですよね。フィギュアとかゲームとか、単なるコレクションに金を費やさなくなったせいで。今日もニッピンで山登り用の靴下・手袋・インナーを買っただけですし。

 駅に着いて中央通りの歩行者天国へ。やっぱ休日の秋葉原は歩行者天国必須ですね。路上パフォーマンスは禁止されているので、全く見かけませんでした。でも活気に溢れています。


 その割に中央通りからハズれて神田明神へと向かいました。やたらと上手い絵の多い絵馬を見たかったものですから。でもそれ以上に神田明神の立派さに驚かされました。さらに巫女さんの魅力に驚かされました。

 中央通りへと戻り、昼食を摂ろうと昭和食堂へ。あまりの空腹感から、カツカレーのメガ盛りを頼んでしまいました。面積で誤魔化しているのかと思いきや、そりゃ多いのなんのって。なんとか完食はしましたが、次に私が望んだのは休息とウンコでした。
 ニッピンで買い物をし、ドンキというかAKBショップへ。あの商品を店頭に置かないシステムは、購買意欲を刺激しなくて駄目ですね。さらにあの建物の混雑っぷりが、私のヤル気を削ぎます。
 後は中古ゲームやフィギュアを見て、武装商店も行って、なんだかんだで5時過ぎまでいました。歩行者天国が終わると、一気にどうでも良くなった。

 このまま横浜のBARジャブローへ行きたかったけど、流石に脚が疲れたので帰宅。秋葉原の歩行者天国、末永く続いてくれる事を祈ります。でも次に行く時は空いている平日に行きたいです。

2011年1月22日土曜日

改めて渋沢丘陵

 2011年1月22日。3日に予定を狂わされた鶴巻温泉までの道のりに再挑戦する事にした。新松田から歩いて行けるという事が分かったので、新松田の駐輪場から鶴巻温泉までの約17kmに渡るコースに挑戦である。
 高低差が少ないので、いつでも走れるように軽装備。ザックはOSPREYのTalon5.5とトレイルラン向け。お風呂セットとハイドレーションを入れたらいっぱいである。
  8時57分に新松田の駐輪場を出発。トロトロと走って9時10分にはホテル神山滝に到着した。このホテルの入口に水車があるのだが、その左手に木の扉がある。開きが悪いが何とか通り、沢沿いを歩いて神山滝へ。これが神山滝への正しいアクセス方法のようだ。
 流石に登りを走る気にはなれないので、歩いて東屋へ。これで前回の続きに入った。9時37分、頭高山山頂へは行かず東へ向けて走る。
  途中にある展望台には「祈り」という慰霊碑があった。手を合わせた石像。こんなとこで誰が見るのやら。さらに先へ行くと雁音神社がある。かりがねの松と言って、この土地・千村に残る伝説を祀っているらしい。

 舗装路を歩いていると、左手にハイキングコースへの分岐があった。須賀神社とやらに下るらしいが「渋沢丘陵ハイキングコース」とある以上、舗装路を行くよりはこちらが正解ではないだろうか。
 しかしそれは間違いである。大間違いである。須賀神社に着くと周りは民家。仕方なく渋沢中方面へと歩き、10時9分、登山口からコースに戻った。今回のコースは終始適度なアップダウンのみなので、丁度良いハンデと思おう。
 途中から山道へと入り、栃窪の集落を抜ける。途中でベンチがありやたらと人が座っていると思ったら、浅間台という景色の良いポイントだったらしい。景色の良いポイントは無数にあるので、全く気にしていなかった。
  10時43分、震生湖公園に到着。関東大震災によって出来たという湖...というか池。水の出入り口も無いし、規模も小さいので、池と分類するのが相応しい。とりあえず湖畔を一周して退散。
 ここで「池窪の大悲観音」という看板が気になった。秦野駅への分岐で再び見かけた「池窪の大悲観音」の道標。しかし距離も所要時間も書いていない。丁度そこへ行こうとしている御夫人がおり、以前行こうとした時は場所が分からず諦めたという。私も気になったのでiPhoneで調べてみたところ、大した事のない御堂があるだけらしい。遠回りする程の価値はないと見て私は断念。御夫人には地図で大体の場所を教え、南が丘団地付近で人に聞くことを薦めた。
  秦野駅への道中で立ち寄った今泉名水桜公園。規模は小さいが池があり、一応富士山が見えるので、桜の咲く頃に再び訪れてみたい場所だ。
 11時33分、秦野駅に到着。これで第1ラウンド終わりといったところか。

 秦野駅から水無川沿いを下り県道71号へと出た。トイザらスの道路向こうに弘法山公園入口があるので、ここから鶴巻温泉へ向けて5.6kmの距離を歩いて行く。
 11時51分、浅間山頂上へと続く階段を登り始めた。これが本日最高の傾斜とは、何とも易しいコースである。しかし、ここまで走ったり登ったりしたのが祟ったのか、この登りの最中で右脹脛が攣った。最近運動不足とはいえ、山登りの最中に足が攣ったのは初めてである。足を伸ばし解消。いつ再発してもおかしくない状態だ。
 12時4分に浅間山山頂に到着。公衆便所で用を足し、権現山山頂に着いたのが12時12分。見晴らしが良く、展望台も印象的で、ハイキング客が多いのも頷ける。
  12時27分には弘法山山頂に到着。御堂と釣り鐘のある山頂。ここを出て間もなく、今度は左脹脛が攣りそうになった。これで両方の翼をもがれた様なものである。鶴巻温泉まで残り3.9km。走らず歩くしかない。
  やはり大したアップダウンのない道のり。善波ではホテル街の裏を通って行く。
 13時1分に吾妻山山頂に到着。私の悪いクセなのだが、震生湖で一服して以来、一度もキチンと休憩をしていない。なのでここで休憩。と言っても、埼玉から来たというオジサマ方と会話しながら一服しただけだが。
 それでも脚は回復するもので、ここからは走って降りた。鶴巻温泉まで残り1.1km。舗装路になり東名高速の下をくぐれば、ゴールはそう遠くない。13時17分、弘法の里湯に到着して一安心。所要時間4時間20分、意外と短かったな。
 弘法の里湯は1,000円で2時間まで滞在できる。タオルが無ければ別途買わなければならない。ただここのロッカーは、無料な上に大きい。30ℓぐらいのザックでも入れられるロッカーがあるのは良心的だ。
1時間ほど休憩し、鶴巻温泉駅前で昼食を・・・と思ったら何もない。仕方ないので箱根そばに立ち寄った。箱そばなんて高校生以来だ。
 後は小田急線で新松田に帰るのみ。湘南国際マラソン前日には、丁度良いアップになったと思う。

2011年1月15日土曜日

中華街ランチ



 今日は友人の子供を見せてもらう為、横浜の中華街へランチを食べに行きました。行ったお店は「菜香新館」。たらふく喰う気で行ったものの、3人がかりで食べたのは下記5品のみ。
・皇帝麻豆腐〜こだわり豆腐を使った特製麻婆豆腐
・香葱鮑炒飯〜あわび入り特製チャーハン
・威化明蝦巻〜元祖えびのウエハース巻揚げ
・肉絲炸春巻〜はるまき
・チャーシューメン
 どれも美味しかったです。威化明蝦巻のプリップリの海老、冷凍もんとは比較できない肉絲炸春巻。炒飯の炒め具合を良く見なかったけど、米は上手くパラパラになってました。
 そして絶妙なのが皇帝麻豆腐。辣油と黒胡椒をふんだんに使っているのか鬼畜の様な色をしてます。口に入れた時は左程ではないものの、後から強烈な辛さが襲ってきます。でもこれが美味い辛さです。その後に舌が痺れる様なこともなく、良い汗をかかせてもらいました。
 中華街ランチ、相手がいればたまには行きたいものです。

 食後に中華街を散策していると、やたらと栗の試食を薦めてくる人がいました。そこらで天津甘栗を売っているから当然なのですが、何度も「栗ドーゾ」と栗1ヶを差し出して来られるのは、何とも不思議なものです。



最近まで存在を知らなかった横浜マリンタワーに行くと、2時間におよぶ大行列。ランドマークタワーより低いのにそんな価値があるのかと思いきや、本日は展望料金が50円だったそうです。とはいえ天気も曇っていたし、そこまでして登る価値はないでしょう。ちなみに通常料金は750円。高すぎです。

 山下公園ではムーラという方が大道芸をやっておりました。音楽もそうですが、こういうのって技術も大事だけど演出も大事ですよね。その見事なショーに感心したので、チップは紙にしときました。こういう努力をする人は好きです。

 赤レンガ倉庫前では、恒例のスケートリンク。狭いリンクの中で多くの人が滑っており、檻の中のモルモットを連想させました。こんなのに貸し靴500円、滑走代500円払う価値はないと思うのですが、日本人って不思議。

 休日だというのに、みなとみらい全体が閑散としてました。アトラクションが寂しく動くコスモワールド。ふと見るとジェットコースターのレールが地面に突入してました。流石に気になって眺めていたのですが、池の下をトンネルで抜けているだけでした。でも答えが分かってスッキリ。

 後はモンベルに寄って、新高島駅から電車に乗って、私は横浜駅で離散。美味しい物を食べ、良く歩いた一日でしたが、酷い胃もたれに襲われまして、家に帰るまでが地獄でした。東海道線内での私は明らかに不審者。仕方ないでしょ、気持ち悪い上にシャックリが止まらなかったのだから。

2011年1月10日月曜日

スーパーママチャリグランプリ2010 最終戦

 1月9日に富士スピードウェイで行われた「スーパーママチャリグランプリ2010 最終戦」に参加してきました。カートコースを走る第1戦、第2戦とあるのですが、これらに参加しなくても最終戦はエントリー出来ます。
最終戦最初の予選はエントリーそのもの。8月頃に不意に申込を開始するので、エントリーして参加費を払わなければなりません。なのでこの段階でメンバーの目星を付けておく必要があります。12月頭に申込書の受付が締め切られますので、この頃にはメンバーを確定しましょう。



 入場開始は前日の15時から東側ゲートにて。15時の段階で400台ぐらいの車が集まっていていたと思います。なので何人かは東側ゲートからダッシュして場所取り。パドックまで延々と登り坂が続くので、アップ無しでは厳しいです。走る予定では無かったので、私も中盤から歩いてしまいました。

 入場料を各自1,000円払います。そして場所取り。広さは参加人数に合わせて常識の範囲内で。BBQエリアで寝泊まりするなら車3~4台分はあった方が良いでしょう。ガムテープ等でエリアを確保するも良し、コーンがあると便利かもしれないけど、こんなの持ってダッシュは厳しいですよね。



 場所を取ったら環境を整えます。ピットなどの電源を使える場所ならコタツとか良いですね。BBQエリアでも発電機を持ってくれば何でもありです。

 我々はタープ2式とテント1式。暖を取るのに石油ストーブ2台。あとは焚き火用器材とか料理用バーナーとか。
 ここで石油ストーブの注意点ですが、車で運搬する時はストーブの灯油を完全に抜きましょう。そしてビニールで梱包しましょう。でないと漏れます。
 ストーブ2台なら、灯油は18ℓあれば確実に足ります。10ℓでも平気かも。とにかく一斗缶フルは使いません。

 テント泊する場合、アルミシートを3枚ぐらい敷いても床冷えします。私は足が冷えまくって、ほとんど眠れませんでした。シュラフも氷点下用のが良いですね。

 ピット泊は良く見えましたが、カセットコンロすら禁止なので、鍋とかつくるなら野外に料理スペースを確保するか、持込可能の石油ストーブ上で作るかですかね。テントの設営不可なので、他チームとの垣根がありません。日中になると通行の邪魔になります。




 レースはチーム対抗7時間耐久。交替可能場所はピットロードかヘアピンの2箇所。ピットロードは狭い上に何故か皆さん本気走りに見えたので、ヘアピンでの交替をメインにした方が良いでしょう。ヘアピンからだと地獄の登り坂を最初に味わうので、そこさえ越えれば後は快適です。

 大人なら1周平均15分。10人いれば1人2,3周走るだけです。待ち時間が結構ありそうですが、移動時間やら何やらで、アッと言う間に過ぎていきます。

 大会が終われば全チームにトロフィー授与。そして帰りの大渋滞。前日から集結してきた車が一斉に帰るのですから、それはそれはスゴい渋滞です。しかし富士スピードウェイを出てしまえば、そうでもありませんでした。R246の通常の渋滞があったぐらい。全国から集結しているだけに、帰る方向がマバラなせいでしょうか。




 今回のマシンを私がデコったのですが、目立つならハリボテだと知らされました。走行性能は落ちますが、やはり人目を惹きます。

 一応用意したハンドルミラーとハンドルカバー。ミラーはほとんど見ませんでした。カバーは天気が良ければ不要かも。


 以上。来年以降の私に向けて、SMGP参加の備忘録でした。次回参加する事があれば、チームのテーマを明確に決めた上でのハリボテ・マシーンとコスプレで挑みたいと思います。

2011年1月4日火曜日

老化という現実

 あれは元旦に大山へ登った時の事です。あまりに現実的すぎて、イロイロと考えさせられました。

 とある公衆便所での事です。私が用を足してると、どこぞの爺様が怒鳴っているではありませんか。それは女子便所で自分の婆様を怒鳴っているのです。どうやら婆様が・・・何と言いますか、少し緩んでしまったようですね。
 私の婆様もそうだったのですが、こうなると家族は大変です。特にツライのは爺様でしょう。生涯連れ添った相手がヤレヤレな感じになってしまうのですから。
 でもですね、どんなに怒鳴っても連れ添っているわけです。それが愛なのか何なのか知りません。もし愛だとすれば、夫婦の絆の深さを感じます。それだけの絆を私に築けるのでしょうか。
 そしてもっと現実的に、自身の頭が緩む事への恐怖を感じました。

 そして電車内。電車が駅に着いて間もなく、婆様が自分の下りる駅だと気づいたようです。慌てて下りようとする婆様ですが、歩くペースからしても間に合いそうにありません。そして挟まれました。
 まぁ電車のドアですから、すぐに開いて婆様も怪我なく歩いて行きました。流石に挟まれた時には近寄ろうとしましたが、そうなるだろうと思っていたのだから、予め自分がドアを押さえる様にしていれば良かったと、自分の物足りなさを反省です。
 しかしこれも、老いるという現実を目の当たりにさせられました。

「老い」

 それは止めようのない現実です。願わくば、そうなる前に幕を閉じたいものです。でもそんなのは分かりません。私みたいなのに限って長生きしてしまうのかもしれません。
 そんな現実を突きつけられた元旦。今年で私も37歳。今の内から頭も体も鍛えとけって事なのでしょうか。

 年末ジャンボ1万円が当選した大晦日とは裏腹に、深く考えさせられる元旦でした。

2011年1月3日月曜日

進路を誤り頭高山瞬殺

 2011年1月3日。今回のプランは渋沢駅から頭高山へ登り、震生湖に立ち寄って秦野駅へ。そこからさらに浅間山・弘法山・吾妻山と登って、弘法の里湯で一風呂浴びて鶴巻温泉駅から小田急で帰る、というものだ。高い山は無く高低差も少ないが、とにかく距離がある。

 8時24分に家を出て新松田駅へ。昨晩少し雨が降ったせいか、路面が凍っている箇所があった。こうなるとビビリの私は減速モードに入るので、新松田から電車に乗ったのは9時4分。
 渋沢駅南口で一服した後、9時20分に出発。南口から直進し、ファミマのあるT字路を右へと歩く。後はひたすら道なり。ここから山頂まで道標は多数あるので分かり易い。
  十字路にぶつかっても道標があるので従う。9時42分に泉蔵寺に到着。この時期だと観音像を見るぐらいか。杉の立派な白山神社の前を通り過ぎて間もなく、X字路とでも言おうか、交差点に入る。ここも道標に従い、右手の山道へと登る。

  2つ目の分岐は東屋と呼ばれる場所で、渋沢方面の景色が開けている。頭高山山頂はここからすぐなのだが、山頂周回に道が走っており、右回りか左回りか悩むところ。まぁ悩まずとも左回りのが山頂に近い雰囲気なので、あえて右回りを歩いた。葉が生い茂っていないお陰で景色が見え、自分の位置が大体掴めた。意外と松田方面へ戻ってきたものである。

 10時9分、頭高山山頂に到着。ベンチと灰皿がある山頂。新松田方面の景色が良い。疲れている筈もないので、一服して出発。
  東屋の分岐で気になったのが神山滝。こんな所に滝があるなら見てみようと思い、予定のコースから外れてみた。しかし良く考えれば分かる事で、山頂に池や湖があるわけでもないので、滝が近くにあるわけがない。下って下って、滝の音が聞こえたかと思いつつも道なりに進んだら、完全に下山。東屋から14分、県道710号に出てしまった。
 もはや足は松田町へと向いている。今回はこれで終わりにするにしても、神山滝ぐらいは見ておこうと思い、来た道を引き返した。下山中に分岐があるのは分かったのだが、道標の一つも欲しいものだ。

 10時40分、神山滝に到着。昨晩の雨も手伝ってか、なんとも落差のある立派な滝ではないか。近くに橋があったので一望できるのかと思いきや、そんな事はない。一望できる位置がないのが残念だ。
  雰囲気的にこのまま県道に出れそうなので、沢沿いを下ってみた。ラブホテルの裏側、竹薮の中を歩いて進むが、どうも道路に出れる気配がない。ただ道標に赤く長い布が吊り下がっているので、これを頼りに強引に進むと県道に出る事が出来た。振り返ると、少し強引すぎたかもしれない。ホテルの周りをグルッと歩いてきた感じか。
 後は県道を歩いて駐輪場へ。どうやらこの辺の地域が神山という名らしい。川音川の土手を歩いて、11時14分にバイクの元へ帰ってきた。
僅か2時間の山行。後にも先にも、これが最短の記録になるだろう。

2011年1月1日土曜日

大山からの初日の出'11

 2011年1月1日、2時15分に家を出て新松田駅へと向かった。松田町の気温は-4℃。バイクには厳しい気温である。
  年越しに限り臨時列車が出ており、私は2時49発の各停で伊勢原へと向かった。伊勢原駅からの大山行きバスも、今日この日は多数出ている。そして山頂を目指す人も多数いた。これが山ブームの力か。
 狙っていたバスは満員となってしまったが、追加車両を出して対応した神奈中。毎年こうなのか、素早い対応である。

 初詣渋滞で遅くなるかと思いきや、バスはスイスイと走り3時35分に到着。ケーブルカーまでの道のりと、乗車までのちょいとした待ち時間により少し時間は稼げたが、それでも下社に4時5分。 山頂まで1時間半を見たとして、5時に出ても少し早いぐらいである。ただこの登山客の量からするに、山頂の場所取りが懸念されるので、茶屋で軽く休憩して4時35分には出発した。
  いるわいるわ、老若男女問わず多くの登山客が。デニムのパンツとスカートのカップルなんて阿呆か。
 しかし後から考え直してみると、海側で育った私には海岸で初日の出を見るのが当たり前の様に、内陸部の人達には山から見るのが普通なのかもしれない。私だって富士山登山の最初3回くらいは山に登ると思えない格好だった。たかが山登りなのである。大山程度なら普段着でも良いではないか。でもやっぱ、それなりの装備のが楽だし快適だけどね。
  とにかく他の登山客が邪魔だった。物量的に邪魔だったのもあるが、大山山頂からの初日の出なんて極一部の人間しかやらないと思っていたら、意外とポピュラーだったのが悔しかったのだ。元旦の大山には二度と登るまい。
 そう思って登っていたら、休憩を取ることなく1時間で登りきってしまった。5時14分に富士見台を通過、5時34分に山頂着である。

 見晴らしの良い小屋前には、既に多くの人が縮こまって座っていた。確かにここが最高のポイントではあるが、この寒い中何時からいるのやら。ここは冷静に一段降りて山頂の見晴台に陣取った。この時刻だと人もポツポツいる程度。ただここも日の出までには人でいっぱいになる。小屋前ほどではないが。
 三脚を立てて夜景の撮影。空が少し赤みを帯びてて綺麗だ。しかし場所が若干悪く、日の出撮影には使えなかった三脚。大きいのを持ってきて無駄だった。

 私の横では寒い寒いと口にしながら凍えている男性がいた。このカップルも何時からいるのやら、日の出の時刻ぐらい調べてこいよ。私は湯を沸かし、ソバを食べた。そして汁粉も食べた。あーあったかい。あー美味しい。
 しかし食べ終わってしまえば体は冷える一方。20分くらいは厳しかったが、装備はシッカリしていたので横の男性ほどではないだろう。
  そして6時50分頃に日の出。ビューティホー。初日の出なんて、何年ぶりだろうか。大山山頂に来て良かったと思えた一瞬。でも次回は明神ヶ岳か大野山だな。
  陽が指したばかりなのに、何故か温まってきた気がした。不思議なものである。少しノンビリして7時半に出発。淡々と下って8時5分に中腹の見晴台に到着。装備を薄くしがてら10分ほど休憩。ここから日向薬師までは4.2km。
 普通の山道を延々と下る。やたらと蛇行しているなと思ったら、九十九曲という名が付いている道だった。8時43分に林道に出た。日向薬師までは2.3km。もう一息山道を下って林道に出たら、後はひたすら舗装路を歩く。
  道中にあった浄発願寺に三重の塔があってビックリ。途中で日向薬師のバス停と日向薬師に分かれる分岐となる。悩むとこだが、ここは騙されたと思って日向薬師方面へ。すると日向薬師裏の駐車場に着く。この時9時32分
  重要文化財を多数抱えているとはいえ、境内の寂しさからか人気のない日向薬師。派手さはないが歴史を感じる建物である。
 元旦早々から大山阿夫利神社と日向薬師を訪れたわけだが、どちらも詣出てはいない。神は信じても頼らないのが私の信条だから。

 9時47分に日向薬師を出発し、裏手の登山道から日向山へ。最初は緩やかで、後半は階段が足に堪える。それでも20分の距離と手頃。大山の後では見劣りするが、景観は悪くない。先客がベンチを陣取っていたので、休まず進むことにした。
  流石にここまで来ると足が痛い。特に下ってばかりなので、つま先が痛い。七曲峠で「見城山 10分」の表記が気になったが、そこまでの余裕は無かった。七沢温泉まで後0.7km、沢に出たとこで休憩を取った。ここからすぐに林道へと出る。後は林道を下っていくだけ。

 道中にあった中屋旅館の建物が味わいがあって惹かれた。七沢温泉のバス停近くで立地は良いが、なにせバスが少ない。県道沿いのバスは多数出ているが、ここ七沢温泉方面となると非常に少ない。なのでよりバス停に近い七沢荘へと向かった。中屋旅館は見城山に登った時にでも来るとしよう。
  建物の綺麗な七沢荘。フロントで受付を済ましたら、露天風呂まで延々と歩く。貴重品を入れるロッカーはあれども、ザックを入れられるほど大きなロッカーが無いので、更衣室に持ち込むしかなかった。
 三つの浴槽がある露天風呂。お湯は共有なので、下流へ行くほどぬるくなる。源泉はぬるく湧かしているそうだ。反面、蛇口から出るお湯は熱湯で、水は出なかったので体を洗うに困った。
 湯船にいらっしゃったのはヤク○さんらしき方々。害は無いけど落ち着かない。出るタイミングまで一緒で、足湯があったのだが浸かる気になれなかった。
 この七沢荘、全体的に小綺麗な旅館だが、通路の途中に謎の機械が置いてあった。30分2,000円と高い気がするが、これは日本に3台しかない「宇宙エネルギー パワーボックス」というものらしい。どんなに綺麗に着飾っても、こういうイロものを置いてしまうところが実に素敵だ。残念ながら体験はしなかった。
 七沢荘から13分ほど歩いて七沢温泉入口のバス停へ。12時1分の愛甲石田駅行きが丁度行ってしまったが、12時8分発の本厚木駅行きへ乗車。元旦なだけに閑散とした本厚木駅前。松屋で昼食を摂り、後は帰るだけ。自宅に着いたら布団へ直行。なんだかんだで疲れた。