2008年7月26日土曜日

5度目の富士山登山


 決行日は7月26日。行きも帰りも富士宮登山道、お鉢巡りは無し。富士山初登山の後輩2人を引き連れての昼登山。
 天気は良いものの下界は雲に覆われ、あまり景色は楽しめず。時には上昇してきた雲に覆われ、肌寒さを感じることもあった。
 私の荷物は極限まで減らし、飲食物・携帯酸素・デジカメ・iPhone・タオル・日焼け止めぐらい。服装は半袖&半ズボン。帽子を着用し、日焼け止めは何度も塗った。

 仲間と登るのは楽しかったものの、何故か例年以上に疲れた。今年の教訓は以下の通り。
・マイカー規制のない週末に登るのは利口ではない。
・日焼け止めを塗っても、皮膚は熱を持ってしまう。
・短パンで行くなら、脚にも日焼け止めを塗れ。
・すかいらーくのサーロインステーキは最悪だ。

 朝4時前には地元を出発。御殿場のデニーズで軽く朝食を摂る。私は昨晩、38度近い熱があり、下痢気味だった。
 6時15分頃、富士宮口四合目付近にて止められる。駐車場が満車で、路肩に停めさせられる羽目に。5合目までの距離は2.7kmほど、
 7時5分頃、富士宮口五合目に到着。雲を抜けたので天気はよい。仲間にスティックを貸し、私は木刀を買った。
 7時40分頃、新六合目を通過。
 8時20分頃、新七合目で休憩。
 9時頃、元祖七合目を通過し、八合目まで歩き続ける。9時30分頃に到着。200円払って便所に入り、踏ん張るものの排便できず。昨晩飲んだ赤玉がかなり効いている。
 11時頃、九合目で休憩。
 11時半頃、九合五勺で休憩。  12時10分頃、遂に十合目に到着。休憩の回数は少なかったのに、休憩毎の時間が長かったせいか、5時間もかかってしまった。四合目から歩かされたのは、かなり肉体的に響いている。
 休憩を摂り火口を見て木刀に刻印を入れ、13時頃、富士山十合目を後にした。

 余談だが、木刀を使って登る者は、他に木刀を持った登山客と出くわした時に剣を交えねばならない。そんな勝手なルールを作ったが、登山中は一人も見かけなかった。下山中に一人見かけたので、こちらが視線を送っていると向こうも気づいてくれた。十合目まで行った私が黄金聖闘士とすれば、登山中の彼は青銅聖闘士のようなもの。剣を交えるにも値しない。と、ここで持ち出すべきは「聖闘士星矢」よりも「風魔の小次郎」か。ともあれ、登山中の方に余計な時間を取らせるのもなんだし、見知らぬ人に「剣を交えましょう」と言えるタイプではない。

 下山は張り切り過ぎると脚に響くので、のんびり降りて山小屋毎で休憩することにした。 13時半頃、九合五勺に到着。
14時10分頃、九合目に到着。
14時40分頃、八合目に到着。
15時頃、元祖七合目に到着。
15時30分頃、新七合目に到着。
16時50分頃、新六合目に到着。
17時11分、五合目に到着。
17時50分過ぎ、車の停車位置に到着。

 自分でも予想しないほど疲れ果てた。三人とも脚が赤く焼け、他の部位については日焼け止めの塗った頻度に応じて症状が違う。私は寒気を感じていたが、これが風邪の悪化した症状なのか、日焼けにより体温がコントロールできていないのか、判別はできない。去年と同じ症状ならば、日焼けが改善すると共に熱も下がるだろう。

 御殿場市温泉会館で疲れを癒そうとするも、脚が日焼けしていて誰も湯船に浸かれなかった。更衣室へと出ると、極寒の風が吹き荒れる。風呂上がりの人間には涼しいかもしれないが、湯船に浸かっていない人間には地獄である。私にいたっては寒気を感じているので、このまま殺されるのかと思った。体が洗えてサッパリしたのは良かったが。
 去年と同じく御殿場でステーキを食べたかったが、一名それほど腹が空いていなかったようなので、地元のすかいらーくへ行った。私ともう一人はサーロインステーキを注文。役に立っていないタマネギ、かなり焼き過ぎのステーキ、かなり煮詰まりすぎのオニオングラタンスープ、全てが最悪である。
 解散した後、スクーターに乗って家に帰る。もちろん木刀を持って。既に21時を回っていて暗かったが、それでも人目につかぬよう、裏道を通って帰った。帰宅後は部分的に冷たいシャワーを浴び、扇風機を回しながら睡眠。翌朝、体温は平熱より1分高いだけだった。さすが霊峰富士である。「毒をもって毒を制す」ということか、富士山の与えた試練に比べれば、風邪など病気の内に入らない。

2008年7月20日日曜日

秋田・盛岡、目当てはナマハゲ

 2008年7月19日、朝5時の東海道線に乗り羽田空港へ向かう。次の電車にしたかったが、それだと際どく手続きが間に合わないのだ。
 7時45分の飛行機で羽田を飛び立つ。若干フライト時刻が遅れた為、秋田駅までのバスが心配になったが、飛行機の到着時刻に合わせているだけあって、バスの時刻も遅らせたようだ。そうでないと乗る客もいないだろうし、当然と言えば当然か。

 10時前には秋田駅西口に到着。これと言って目につくものはないが、綺麗な街である。
 宿泊先のドーミーイン秋田で手続きだけ済ませ、トヨタレンタカー秋田駅前支店へと向かい車を借りる。電車とバスの旅は好きだが、そこまで時間的に余裕はない。

 早速男鹿半島へと車を走らす。すると素敵なビルが見えてきた。その名はセリオン。横には巨大な温室らしき建物もあり、2つ合わせてかなり素敵な感じだ。是非ともここから秋田市内を一望したいので、営業時間だけチェックして立ち去った。
  ナビに従いひたすら車を走らせる。随所に風車が見え、その周りは木々が立ち並び、とても絵になる光景だ。国道沿いを走っていると巨大なナマハゲ像が2体現れた。男鹿総合観光案内所のナマハゲ像である。かなりデカイ。本気でデカイ。この大きさは生で見ないと伝わらない。この先にもナマハゲ像は見られるが、最初がこれだと他のが霞んで見えてしまう。

 ガラガラの道路をまた進む。秋田ナンバーはどいつもこいつものんびりだ。それが秋田県民の性質なのか、その隙を狙う警察が多いのか、私も調子に乗らないようにはしたが、いささか遅すぎる。
  途中で男鹿駅に立ち寄りつつも、12時頃、入道崎に到着。早速空腹を満たすため、海陽という食堂へ向かう。一人前2,000円の石焼鍋定食と一皿1,000円のウニ丼。親に内緒でこんな良い物を食べて申し訳ないが、私は幸福を感じた。とても心残りなのが、食べ残してしまった事だ。まだ旅は始まったばかりなので、腹八分で収めなければなければならない。しかも、この次には海底透視船が待っている。そう考えると残さざるを得なかった。海陽の方々、申し訳ない。
  入道崎から海底透視船というのが出ている。その乗船場へ向かったところ、崖に出た。情景を優先したのか、安全策はまるで取られていない。ここから何体のダミー人形が突き落とされたのだろうか?ドラマに使われているのではないかと思える程、絵になる崖である。
 残念ながら、海底透視船は海が濁っている為に運行していなかった。どんなに遠くから客が来ていようと海が透き通るわけでもない。この判断は正しいものであると感じ、すんなり引き返した。
 もう少し入道崎を歩いてみた。眼前に広がる日本海、物寂しげな情景、悠久と浪漫を感じさせてくれる。美味しい物を食べた後だし、ここで死んでも悔いは無い。
  男鹿水族館GAOに向けたナビを無視して、八望台へと向かう。男鹿半島を一望できるのかと思い行ったのだが、そこから見えたのは予想を遥かに越えた光景だった。うっそうとした森林の中にある二ノ目潟、その先にある日本海、ここから夕日を眺めたら、やはり死んでも悔いは無いだろう。

 ここもやはりガラ空きで、かなり経営が心配になった。帰ろうとした時にツアーバスが通ったが、速度を落としただけで停車はしない。この光景を堪能できないとは、何とも可哀想な客であろうか。やはり旅は個人プランに限る。

 14時10分ぐらいだろうか、男鹿水族館に着いた。ここから出ている遊覧船の最終出港時刻は15時。水族館に入って間に合わなくなるのも嫌なので、しばらく外で時間を潰した。
 何をどうしたらこうなるのか、男鹿の海岸はかなり鋭い岩場である。その一つ一つが信じられぬ切り口で、とても自然が創り出したとは思えない。

 遊覧船の所要時間は50分。水族館と合わせれば、料金は2,000円で済む。奇形な岩が立ち並び、山からダイレクトに海へと落ちる白糸の滝も、これまた不思議な光景だ。折り返し地点は孔雀の窟。この海岸には随所に穴が開いている。その一つに軽く侵入して、あとは帰るだけだ。値段的にも時間的にも、ここまで来たら経験しない手はないだろう。

 男鹿水族館は予想以上に綺麗で見所があった。こんな東北の片隅にあるのに、立派な水族館である。

 南下してゴジラ岩を見に潮瀬崎へと向かう。その道中、廃墟と化したドライブインがあった。三連休の初日で休業という事もあるまいて、これが男鹿の現実か。もっと男鹿は知られなければならない。
  潮瀬崎周辺にも巨大なナマハゲ像がある。これもまた凄い迫力だ。男鹿総合観光案内所のナマハゲ像もそうだが、夜にはライトアップされるらしい。昼までも恐ろしいこの顔がライトアップされては、泣く子は続出、ナマハゲも大漁御礼である。
  潮瀬崎も、これまた不可思議な岩場である。自然のアートが立ち並び、その中に何気にゴジラ岩がある。ゴジラ岩など一部にすぎず、この海岸全てがアートである。
 ゴジラ岩に登ろうとする高校生ぐらいの女子が2人現れた。見るからに登るのは困難だが、登れても降りられるのだろうか。というか、私が見たいのは彼女らが登れるか否かではなく、スカートの中が見えるかどうかである。
 気持ちは分からなくないが、観光名所の扱いが分かっていない。私は撮り終えたから良いとはいえ、写真を撮りたい他の観光客の邪魔である。こういう輩が平気で国宝に落書きをしてしまうのだろう。

 かなり雲が出てきたので、夕日を見るのは諦めて秋田市内へ足を向けた。行きがけに気になった”どんどん”。ネットカフェやビリヤードなどがある総合アミューズメントらしいが、立地場所が悪かったのか、既に廃墟と化している。アスファルトの間からは草が生え、いよいよもって秋田の行く末を不安にさせてくれる。

 セリオンに着くと、やけに騒がしかった。どうやら、みちのくプロレスの興行中らしい。ちらりと試合が見えたりして得した気分だが、五月蝿いイメージの方が強かった。
 展望台へは無料で登れる。地上100mにある展望台からは秋田市内が一望でき、丁度良い高さである。日没時刻は19時5分。夜景の為に暗くなるのを待ちたかったが、20時には車を返したかったので諦めた。

 夕飯は津ねや。きりたんぽ鍋、カレイの煮物、霜降りの牛刺し、どれをとっても美味しい。店員の方々も良い人達で、旅行者にはたまらない店である。こういう時、酒を飲めない自分が惜しくなる。

 2008年7月20日、朝5時半に起き、サウナを浴びる。ドーミーイン秋田の各部屋は(少なくともシングルは)、バスなしシャワーのみとかなり割り切っている。折角大浴場があるのだ、部屋にはシャワーがあれば充分である。
  サウナを浴びたら千秋公園を散歩。ここは久保田城の跡地である。ラジオ体操をやる人たち、散歩する人たち、誰もが年齢は高めである。早朝のこの気持ちよさが分かるのは、歳をとった証拠か。だが、それも悪くはない。
  秋田駅西口からバスに乗って、大森山動物園へと向かった。所有時間約40分、一眠りできる距離だ。
 9時の開園直後に来たせいか、寂しいぐらいに空いている。園内は全てにおいてユルい感じだ。良い意味なのか悪い意味なのか自分でも分からないが、いろいろユルさを感じる。子供連れで来るには、このユルさが丁度良いと思える。動物との距離が近いし、山の中にあるだけあって、自然には事欠かない。1時間程ユルさを堪能し、秋田駅へと帰還した。

 新幹線の時刻まで2時間程あったが、どうにも駅前では時間が潰せない。どの都市でもそうだが、駅前なんて普通なものだ。普通の事なら荷物を増やすより地元で済ませば良いことなので、とにかく時間を持て余してしまった。

 流線型と配色が美しい秋田新幹線こまちに乗って、盛岡へ。新幹線がローカルの線と同じ高さのホームに並ぶのは、少し不思議な感じだった。

 14時39分、盛岡駅に到着し、東口駅前通りのHOT JaJaにてじゃじゃ麺を食べた。なんか味噌を食べてる感じだ。チャーハンセット大盛りにしたせいで、最後のチータンタンも少ししか食べれなかった。前日の料理が良すぎたせいというわけでもなく、単に私の好みではなかっただけだ。進んで食べる事はもうないな。

 盛岡駅からは循環バス”でんでんむし”が出ている。料金は一律100円と分かり易い。これに乗って目指すは岩手銀行 中ノ橋支店。立地が少し奥のせいで存在が薄めな、盛岡信用金庫本店。この2つのハイカラな建物を見れば、盛岡は8割方満足できる。
  盛岡城跡の本丸へ行くと、人を小馬鹿にするように、彫像のない台座があった。戦時の資源不足を補う為に失われたらしく、その点が分かれば台座のみというのも味わい深いものだ。
 再び循環バスに乗り盛岡駅へと戻る。丁度この頃から夕立が降り始め、かなり激しい一時的な雨と化した。新幹線まで1時間。タイミング的には良かった。
 東京駅で東海道線に乗り換え、地元へと帰る。新幹線に乗っている時に尿意を覚えたので、その時済ませとけば良かったものの、東京駅での乗り換え時間も少なく、東海道線に乗り込んでしまった。
車内も空いてきた頃、グリーン車間のトイレへと向かうが、その通路にはウンコがあった。これでは前進するのも躊躇ってしまう。この頃にはお腹が空くだろうと思い、盛岡駅で駅弁を買ってグリーン車で食べながら帰る事も想定していたが、東京駅でお腹が空いていなかった私は幸運と言えよう。駅弁を食べている最中に横でウンコをされては、何の為にグリーン車に乗ったのか分からなくなる。
 流石に我慢するのも辛くなってきて、ウンコ越えを決意する。ウンコがあるなら私の尿を垂れ流しても良いかとは思ったが、キチンとトイレに向かった。しかし、そこで私の浅はかさに気づいた。ウンコの行くべき場所はトイレである。それほど乱れてはいなかったものの、あのウンコに先回りされていたと思うと、便器を使う気になれなかった。
 結局、電車を降りてから用を足した。自宅まで15分の距離を歩く。盛岡駅以来の煙草が美味い。煙草を吸うとウンコがしたくなる。まだ家までの距離はある。今度は私の出番か?と不安になったが、無事に帰宅してウンコをした。

2008年7月12日土曜日

山北町の河村城

 2008年7月12日、朝7時半に家を出る。自転車を漕ぎながら山北駅までのルートを考え、小学生の頃に体験したっきりの酒匂川サイクリングコースを大人になった今、再度体験しようと決めた。それが最短ルートかは怪しいところだが。

 富士道橋から久々に富士山が見えた。幸先が良い感じだ。7時50分、サイクリングコースを北上開始。30分程で大口に着くかと思ったら、1時間程かかってしまった。大口から山北駅に抜けるには、軽い山腹を一つ越えなければならない。これだけ走った後の山岳は厳しい。弱音を吐きながら自転車を漕ぎ、山北駅に着いたのは8時30分頃。かなり予定より遅れてしまった。
 ちなみに私の自転車は、ギアはあれども普通のママチャリである。

 山北駅裏駅側の駐輪場に自転車を止め、ハイキング開始。山北駅は見た事があるので良かったものの、いざ裏駅だけを見るとギョッとするショボさだ。
  駅近辺にSL公園がある。SLが展示してある意外は、自慢出来るような公園ではない。桜の時期は、この辺一帯は良いのかもしれない。とりあえずここで一服し、いざ河村城址へ。飲み物を買おうと自販機を探したが、見当たらなかった。これは過酷なハイキングになりそうだ。
  SL公園からだと、大きく迂回しなければ河村城址へのコースには行けない。周りにあるのは民家なだけに、少し手間取ってしまったが、無事にコースを見つけスタート。河村城址までは15〜20分程で着ける。しょせん城跡なので何もない。休むほど疲れもしない。綺麗に整備されているので良い場所ではあるが、歩き以外にアクセス方法が無いので、一人になりたい時に利用するぐらいだろうか。
  軽くベンチに腰をかけ、早々に酒水の滝へと歩を進める。案内板には1時間5分とある。もう帰りたい。
 いまいち地形が分かっていないのだが、河村城址からは下りが続く。酒水の滝とて決して低い場所にあるわけではなかろうて、また登らせるようなことはやめてくれ。
 山を下りると民家が見えた。河村城の歴史は知らないが、城無き後も住み続け、地域を守る民。そう考えると味わい深いものがあった。
 大した登りもなく、河村城址から20分で酒水の滝への入口にあるみっちゃん食堂が見えた。ラーメンという気分でもなし、そのまま歩を進め、そこから10分程で酒水の滝に到着。自動車でアクセスした際は、滝まであまり歩く必要もない。

 残念ながら、現在は落石防止の工事により滝の近くまで行けない。仮設の観瀑台から遠目に見れるだけだ。滝の全景は見えるので、その良さは充分に伝わるのだが、早いとこ近くまで行ける様にして欲しい。
  観瀑台の近くにある食堂さざれ石で食事を摂る。この暑さ故にざるそばが最高だ。川沿いにあるだけあって、席からは川が見え涼しい。休憩するには最適な店だ。
 料理を待っている際に気になったのが、スッポンジュース。どうやら山北産らしく、缶に紙のラベルを巻いただけと随分安上がりな感じだ。値段は525円、疲れた体には良いかもしれないと思い、飲まずにはいられない。林檎の味が強く、甘みがあって実に飲み易い。スッポンが入っているのか怪しくなるほど飲み易い。
 ざるそばを食べながら、ふと思う。地方の過疎化の進む現在、いっその事さらに促進させてはどうかと。その代わり光熱費や税金を無料にする。簡単に言えば、余計な金は払わなくて良いから、住民同士で自給自足してくれ、という案だ。その代わり、どんなに不便でも国や自治体のサポートはない。そういう社会から見捨てられた地域があっても良いのではないだろうか。
 また河村城址へ登るのは嫌なので、道路沿いに山北駅へ戻る事にした。平山のバス停で時刻表を見てみると、遠回りではあるが山北駅行きのバスが来そうだ。山北駅からは循環バスが出ていて、このバスがまたハイカラな感じだ。これに乗らぬ手はないと思い、バスに乗る。民家の間にある車1台しか通れぬ道を進むバス。これはこれで異様だ。本数は少ないが、この辺の住民にとっては欠かせない乗り物だろう。料金は最高でも200円。悪くないものである。

 山北駅を跨ぐ歩道橋から景色も悪くない。桜の時期はさぞ綺麗な感じがするので、来年の春にブラリと来たいものだ。たぶんスクーターで。

 帰りも同じサイクリングコースを通っての帰宅。酒匂川の流れに沿うだけあって、全体的に下りで楽である。12時前には小田原アリーナに着き、30分程マッスルした後、ヤマダ電気で体組成計を買って自宅へと帰った。

2008年7月5日土曜日

渓流を行く畦ガ丸

 2008年7月5日、朝5時半に家を出て、スクーターで西丹沢自然教室へ向かう。新松田駅からバスを使うのも手なのだが、それによって開始時刻を遅くするのは好ましくないので、90ccのスクーターで遥々行った。
  ふと三保ダムを見ると、放水していた。これはこれで見る機会は少ないので、一服しながら眺める。早朝の丹沢は心地よかった。長袖一枚かつ二輪では、少し寒いほどだ。
 “武田信玄の隠し湯”と言われる中川温泉を通り過ぎ、西丹沢自然教室に着いたのは、自宅から1時間程。道中に買ったおにぎりを2つ食べ、一服して、トイレに行き、準備万端。
 6時50分、西丹沢自然教室から中川川にかかる鉄橋を渡り、畦ガ丸へと登り始めた。
  しばらくは西沢沿いに登って行く。川沿いを歩くだけに、傾斜はかなり緩やかだ。いつでも顔を洗えるが、顔を洗うほど汗をかくようなコースでもない。木で作られた仮橋、随所に見られる人工的な滝、水の流れを見ているだけで、それは楽しいものである。道標も多く設置してあるので、迷うこともないだろう。
 途中で案内板が2つに分かれていた。畦ガ丸と下棚。よく分からないので畦ガ丸へと向かったが、これは失敗だった。下棚方面へ5分ほど歩けば、そこには落差約30mの下棚の滝が待っているのだ。”下棚の滝”と書いてくれれば、寄ったものを・・・。
 しかし本棚は見逃さなかった。一時コースを外れ、本棚へと向かう。それまでは歩き易いコースだったのに、本棚へ向かう道はイマイチ歩くべき道が分からない。仮橋を渡った先に案内板があった為、そのまま本棚方面へと歩いたのだが、ここは仮橋を渡る前に本棚へと向かった方が歩き易い。
 片道5分程で本棚の滝に到着する。西丹沢自然教室からだと40分程だ。本棚の滝とカラ滝、2本の滝が並んで落ちる様は素晴らしいものだ。疲れてはいなかったが、これを眺めながら一服した。
  本コースに再び川沿いに上がる。なんとなく道と思えるところを選んで歩いているのだが、そうしていたらヤケに急な坂を登っていた。どう考えても人が歩いた形跡がない。私は何を感じてこのコースを選んだのか?ともあれ、これがショートカットになるのなら悪くない。そう思い、少し登った場所を歩き続けるが、下を見ると道標があった。やはり間違いか。「馬鹿は高い所が好き」というが、まさに私がその”馬鹿”だ。

 川沿いのコースが終わり、いよいよ本格的な山道へ突入。特に楽しい事はなく、ひたすら汗を流して登る。雨の後のせいか、ガイドブックには”涸れ沢”と書いてあった場所に水が流れていた。ここで顔を洗い階段を登ると、何かが落ちる音がした。音的に大きめの木の枝でも落ちたのかと思いきや、私の飲み物だった。川の中へ落ちたものの、幸い取りに行ける範囲だ。少しとはいえ引き返すのは悔しいが、ここから先を飲み物なしで登る自信はなかった。

 畦ガ丸まで残り2.8kmの案内板、善六のタワ手前で少し展望が開ける。そこから見えるのは青々とした山・・・それだけだ。8時半、善六のタワに到着。一息ついて、再び木々に囲まれた山道を登る。ここから一本道なだけに案内板が少ない。何度も立ち止まり、たまに休憩を摂りつつも9時には畦ガ丸山頂に着いた。善六のタワから30分。デジカメの時計表示を疑ったが、どうやら事実らしい。かなり頑張ってしまったようだ。
  ここで得るものは何も無い。素晴らしい景観は、どう考えても拝めない。蠅などの気分を害する虫が飛んでいるだけなので、食事を摂るのにも向いていない。私の食事は西丹沢教室で食べたのが全てだったので、一服だけして下山を開始した。

 畦ガ丸山頂から100m程の場所に、畦ガ丸避難小屋がある。少し中を見てみたが、その暗さは不気味であった。余程の状況下に置かれない限り、好んで使おうとは思えない。ここからモノクロ沢ノ頭へと道が分岐するが、そんな方へ行ったら、いつ下界へ戻れるか分かったものではないし、スクーターを取りに帰るのも至難の業だろう。なので、大人しく大滝橋へのコースを歩く。

 足下に気を配る為、下を向いて歩き続ける下り。そんな下りは退屈なだけなので、iPodを取り出す。これまでにすれ違った人間はいない程、人気がない為、軽く歌いながら下山した。
 登りもそうだったが、下りも良い間隔でベンチが設置してある。予想より早いペースなので、無理せずベンチ毎に休憩をした。
 ステタロー沢まで降りると、しばらく川沿いを歩けて心地よい。10時15分、一軒家避難小屋に到着。大滝橋まではまだ3kmほどある。
  途中で再び山道に入ったりもするが、基本的には川沿いを歩く。折角なので川の水に足を浸けたいと思った。石に腰掛け、足を川に浸ける。くぅ〜、しびれる。いや、ホントしびれる。こんな冷たい水に長い間足を浸けてはいられない。とっとと先に進むとしよう。そうして靴を履き直していたら、何かが飛んで行った。靴ひもを留めるフックである。どうやらフックの留め具が外れたらしい。フックは見つけたものの、留め具が見当たらない。その間に一人に抜かされる。川沿いで留め具を探す私は、彼から見れば、さぞ異様な光景だったろう。
 川の水は冷たすぎるわ、富士山登山へ備えた靴慣らしの為のハイキングで靴を壊すわで、かなり気分は最悪だ。11時15分、無事に大滝橋へ着きました、と。
大滝橋のバス停に、次のバスが来るのは11時38分。23分もジッとしているのは何なので、西丹沢教室へ向かって歩いた。しかし、気持ち的にハイキングは終わっているので、もう歩きたくはない。ベンチの無い和田のバス停で、路肩に座る。大滝橋といい和田といい、下り斜線にしかバス停が無いため、反対車線とはいえバス停の前で休んでいた。
 11時40分頃、バスの音が聞こえたので立ち上がる。あ、あれーっ!?バスは私を無視して通り過ぎていった。次のバスは1時間後、西丹沢自然教室まで歩きたくはない。箒杉のバス停まで歩きながら、富士急バスへ電話する。箒杉近辺ならバスがUターン出来なくもないので、ここでバスが引き返すのを待っていた。路線バスを呼び戻すなど、私は何様のつもりだろうか。片側にしかないバス停、上り車線で待たなかった私、お互い言い分はあるのだが、富士急バスの対応が良かった為、これはこれで旅の良い思い出となった。
 西丹沢教室からスクーターを走らせ、町立中川温泉ぶなの湯へと向かう。2時間700円という料金が安いのか高いのか分からないが、丹沢で温泉というだけでも払う価値はある。温泉に浸かった後は休憩所へ。しかし休憩所内は禁煙だった。軽く寝転がるものの、やはり煙草が吸えないのは寂しい。1階で灰皿を発見し、すぐ横のソファーに座る。目の前には足用のマッサージ器がある。5分で100円と、煙草を吸いながら使うにも丁度良い。
ハイキングの後、温泉に浸かり、ソファーに座りながら煙草を吸って足をマッサージ。これでも33歳かと自分を疑ったが、ごくごく自然な流れではないだろうか?

 帰り道、カツ丼を食べて自宅へ。朝が早かったせいか、夕方18時には寝てしまった。