2019年12月24日火曜日

サンタはいないと何故言える

この時期になると、お宅のお子様はサンタを信じているのか?という会話を耳にする。端で聞いていると変な話である。

それは、サンタクロースが存在していない事が前提になっているからだ。まるでそれを知る事が一つの通過儀礼になっている。
ならば何故大人はサンタがいないと言い切れるのか?それは見た事が無いからだ。見た事が無い人たちが経験を共有し事実としているだけであり、真実ではない。

彼らはサンタクロースに会えない理由を考えもせず、いないと決めつけ次代に伝えている。
キリスト教徒でない。極東の島国に住んでいる。そしてサンタを信じていない。こんな親の下に生まれた子供に、プレゼントを与える他人がいるか。
サンタの眼中に入れてもらえぬ哀れな親は、自らサンタを演じ、我が子に夢を与え、そして奪う。その悲劇は後世へと引き継がれる。なんとも哀しい文化ではないか。

「我が家にクリスマスは関係ない」
貧しい親が言いそうな言葉だが、それは正しい。そう、そもそもが関係ないのである。
一方で、賢い親も言うかもしれない。クリスマスが関係ない以上、プレゼントを与える理由もない。理由があるとすれば、賞与が入ったから子供にも分け与えてあげるだけだ。しかしその賞与もタダではない。大人が努力した結果、企業に与えられたものである。ならば子供も、努力した結果与えられるべき物だろう。これが「良い子にしていればサンタクロースが来る」に繋がるわけだ。

勤めていれば賞与が貰えて当たり前。そんな思考の親の下では、クリスマスだからプレゼントを貰えて当たり前という思考の子供が育ってしまうのかもしれない。
企業に貢献してこその賞与。ならば家庭に貢献してこそのクリスマスプレゼント。それこそが、サンタクロースに見向きもされぬ家庭のクリスマスプレゼントの在り方だろう。

この時期になると、お宅のお子様はサンタを信じているのか?という会話を耳にする。端で聞いていると変な話である。もちろん独身の私が会話に加わる事はない。こんな考えをする中年オヤジは、ただただ面倒臭いだけだ。

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