2008年7月26日土曜日

5度目の富士山登山


 決行日は7月26日。行きも帰りも富士宮登山道、お鉢巡りは無し。富士山初登山の後輩2人を引き連れての昼登山。
 天気は良いものの下界は雲に覆われ、あまり景色は楽しめず。時には上昇してきた雲に覆われ、肌寒さを感じることもあった。
 私の荷物は極限まで減らし、飲食物・携帯酸素・デジカメ・iPhone・タオル・日焼け止めぐらい。服装は半袖&半ズボン。帽子を着用し、日焼け止めは何度も塗った。

 仲間と登るのは楽しかったものの、何故か例年以上に疲れた。今年の教訓は以下の通り。
・マイカー規制のない週末に登るのは利口ではない。
・日焼け止めを塗っても、皮膚は熱を持ってしまう。
・短パンで行くなら、脚にも日焼け止めを塗れ。
・すかいらーくのサーロインステーキは最悪だ。

 朝4時前には地元を出発。御殿場のデニーズで軽く朝食を摂る。私は昨晩、38度近い熱があり、下痢気味だった。
 6時15分頃、富士宮口四合目付近にて止められる。駐車場が満車で、路肩に停めさせられる羽目に。5合目までの距離は2.7kmほど、
 7時5分頃、富士宮口五合目に到着。雲を抜けたので天気はよい。仲間にスティックを貸し、私は木刀を買った。
 7時40分頃、新六合目を通過。
 8時20分頃、新七合目で休憩。
 9時頃、元祖七合目を通過し、八合目まで歩き続ける。9時30分頃に到着。200円払って便所に入り、踏ん張るものの排便できず。昨晩飲んだ赤玉がかなり効いている。
 11時頃、九合目で休憩。
 11時半頃、九合五勺で休憩。  12時10分頃、遂に十合目に到着。休憩の回数は少なかったのに、休憩毎の時間が長かったせいか、5時間もかかってしまった。四合目から歩かされたのは、かなり肉体的に響いている。
 休憩を摂り火口を見て木刀に刻印を入れ、13時頃、富士山十合目を後にした。

 余談だが、木刀を使って登る者は、他に木刀を持った登山客と出くわした時に剣を交えねばならない。そんな勝手なルールを作ったが、登山中は一人も見かけなかった。下山中に一人見かけたので、こちらが視線を送っていると向こうも気づいてくれた。十合目まで行った私が黄金聖闘士とすれば、登山中の彼は青銅聖闘士のようなもの。剣を交えるにも値しない。と、ここで持ち出すべきは「聖闘士星矢」よりも「風魔の小次郎」か。ともあれ、登山中の方に余計な時間を取らせるのもなんだし、見知らぬ人に「剣を交えましょう」と言えるタイプではない。

 下山は張り切り過ぎると脚に響くので、のんびり降りて山小屋毎で休憩することにした。 13時半頃、九合五勺に到着。
14時10分頃、九合目に到着。
14時40分頃、八合目に到着。
15時頃、元祖七合目に到着。
15時30分頃、新七合目に到着。
16時50分頃、新六合目に到着。
17時11分、五合目に到着。
17時50分過ぎ、車の停車位置に到着。

 自分でも予想しないほど疲れ果てた。三人とも脚が赤く焼け、他の部位については日焼け止めの塗った頻度に応じて症状が違う。私は寒気を感じていたが、これが風邪の悪化した症状なのか、日焼けにより体温がコントロールできていないのか、判別はできない。去年と同じ症状ならば、日焼けが改善すると共に熱も下がるだろう。

 御殿場市温泉会館で疲れを癒そうとするも、脚が日焼けしていて誰も湯船に浸かれなかった。更衣室へと出ると、極寒の風が吹き荒れる。風呂上がりの人間には涼しいかもしれないが、湯船に浸かっていない人間には地獄である。私にいたっては寒気を感じているので、このまま殺されるのかと思った。体が洗えてサッパリしたのは良かったが。
 去年と同じく御殿場でステーキを食べたかったが、一名それほど腹が空いていなかったようなので、地元のすかいらーくへ行った。私ともう一人はサーロインステーキを注文。役に立っていないタマネギ、かなり焼き過ぎのステーキ、かなり煮詰まりすぎのオニオングラタンスープ、全てが最悪である。
 解散した後、スクーターに乗って家に帰る。もちろん木刀を持って。既に21時を回っていて暗かったが、それでも人目につかぬよう、裏道を通って帰った。帰宅後は部分的に冷たいシャワーを浴び、扇風機を回しながら睡眠。翌朝、体温は平熱より1分高いだけだった。さすが霊峰富士である。「毒をもって毒を制す」ということか、富士山の与えた試練に比べれば、風邪など病気の内に入らない。

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