2009年5月2日土曜日

電車で西日本 その3

 2009年5月2日、あまりの暑さに5時過ぎには起きた。室温を26度に設定して寝たので暑いわけだが、これは異常に暑すぎないか?自分の肉体が熱を持っているのではと思ったが、36.7度。ほとんど平熱である。室温を18度に設定したものの、全く涼しくならず不安に駆られた。浴衣一枚にも関わらず、ジッとしているだけで若干ながら滲み出てくる汗。なにか手はないかと思ったら、窓を開けれたので開けてみた。朝の澄んだ空気が心地よい。調子が悪いのは私ではなく、エアコンの方だったらしい。

 7時にはチェックアウトを済ませ、新大阪へと向かった。7時30分の新幹線に乗り込み、米原で下車。足への負担を減らすべく荷物をコインロッカーに入れようとしたが、コインロッカーが見当たらず、仕方なく彦根へと向かった。
 来た道を一駅戻る事になるので、この移動手段がベストだったのか否か疑問が残る。
  昨年9月に来た時は、鬼畜の如き豪雨で入城を断念した彦根城。今回は快晴である。雨が降る気配など微塵も感じないし、誰も予想しない。
 荷物をコインロッカーへ入れ、いざ彦根城へ。少し遠回りをし南側の大手門へ回った。するとそこには城下町っぽい”夢京橋キャッスルロード”というのがあった。立地的な問題でこちらに作らざるを得なかったのか、電車で来る観光客はまず気づかないだろう。ちなみに私は存在を確認しただけで、特に足は向けなかった。
 高台にあるだけあって、多少は登らないといけない彦根城。とにかく足が心配なので気分は乗らないが仕方が無い。
  天守への入り口直前で琵琶湖を眺める事ができる。もしここに行列が出来る事があるのなら、その時は残念だが諦めるしかない。天守内は靴をビニール袋に入れて持ち歩くのだが、この袋に手提げが無く、実に改善して欲しい気分だった。
 階層は少なく、展示品も限りなく無いに等しい。内部に興味のない私には実に好ましい作りだ。天守最上階から琵琶湖を見渡す事はできるものの、窓に格子が張ってあるので写真を撮るには不都合だった。

 天守を出て、ジュースを買おうと自販機を使おうとした矢先、停電である旨を伝えられた。どうりで天守に入った直後がやたらと暗かったわけだ。
 帰りは駅に一番近い表門から出たのだが、東側からでは高台にそびえる彦根城は移せない。北側の黒門から出て外堀沿いに歩けば見れる事は、昨年の豪雨の中で覚えた事だが、内堀沿いからではどうかは分からない。

 予定より30分ほど早く用が済んだため、早々に彦根を後にする事にした。丁度良い電車があったのだが、何らかの事情で10分遅れていた。これでは米原からの新快速に接続できないではないか。そう思いつつもベンチに座って靴を脱ぎ、足を休める事が出来たので良しとしよう。
 幸いにも接続する予定の新快速が米原で待機していた。しかし新快速とは名ばかりで、岐阜までは各駅停車である。そこを省略するならば次の特急に乗るべきだったが、今となってはもう遅い。
 混み合った新快速の中、とうぜん私は座れなかった。何もない土地が続くだけに、ただ人が増えていくだけの状況。垂井でようやく座る事が出来たが、私の横には席を譲れと言わんがばかりの中年女性が立ちはだかった。こちとら足が心配なのだ、中年如きに譲る筋合いなどない。しかし二駅後の穂積で老女が乗ってきた為、何を言うわけでもなく席を立った。何も言わなかったのが災いし、私の座っていた席は中年女性に占拠されてしまう。それを見ていたのか、それとも自然な行為としてか、すぐ近くの若い男性がその老女に席を譲った。人の性格とは外見に現れるものだと実感した一時であった。
 それとは別に、米原から乗って以来、座席の下に切符か何かを落としたっぽい女性が気になっていた。斜め後ろに立っていた私の視界からは何も見えなかったので、特にアクションは起こさなかったが、彼女は探し物を見つける事が出来たのだろうか。それ以上に気になったのが、右手首にあった何かの痕である。傷痕なのか火傷の痕なのか。何かと気にさせてくれる女性だった。

 11時16分、岐阜に到着。当初の予定より5分早いだけだが、その予定で動いていたらより遅れたという事だろう。
 岐阜駅はとても綺麗で、街も実に都会的で、そのお陰ですぐ見つかると思っていた名鉄岐阜駅を探すのに少し手間取った。名鉄岐阜駅のコインロッカーは改札の向こうにあったのだが、これは駅員さんが通してくれて解決。嬉しい限りである。近くのLAWSONでコーラとからあげくんを買い、これを朝食とした。乗るべきバスも分かり易く、岐阜公園へ向かうなら大通り沿いの4番バス停からと、名鉄岐阜駅に着いてからは全てが順調。
  先に長良川を見ようと思っていたが、人の流れに任せて岐阜公園前で降りてしまった。それでも長良川を優先し歩を北へ進める。川はしょせん川なので、それよりも見たいのが川原町である。値段が高い割に人気の高いホテル十八楼を始めとし、古い町並みの残る情緒ある通り。広い和室から長良川と鵜飼いを眺め、美味しい料理を食べる。岐阜で泊まるなら是非とも泊まりたいものである。
  岐阜公園へ向かい、ロープウェーで金華山を登り岐阜城へ。ロープウェーを降りても石段を登らねば天守には着かない。着いた天守はなんとも小じんまりとしており、内部は完全に展示場。天守間近では撮影スポットがなく、なんとも困ったものだ。ハイキングには丁度良いのか、天守の周りで持参した食事を摂っている人が大勢いた。
 織田信長を含め多くの武将が占拠した岐阜城。今となっては山の上の小さな博物館だが、彼らが欲した気持ちが分からないでもない。東西南北のいずれから敵が攻めてきても、かなり早く確認できる眺望。その見晴らしの良さは、他の城の比ではない。日本最高の城は姫路城だと思う。しかし、私が一番欲しい城は、この岐阜城に他ならない。

 金華山を下り、バスに乗って名鉄岐阜へ。岐阜には4時間半の自由時間を取ってあったのだが、目的もなくブラつけるほど足に余裕がないので、13時58分の電車に乗って犬山へ向かった。
 先頭車両の一番先頭の席に座り、電車の進行する眺めを楽しむ。まるで鉄っちゃんではないだろうか。もちろん小さな子供が羨ましそうな顔をしていれば、席を譲る気ではあった。横にずれたところで、小さな子供など視界の邪魔にならないし。そう思っていたら落ち着きのない子が私の目の前に来た。席をズレてあげたのだが、彼は座ろうとせずまたウロウロしだした。岐阜に向かう道中といい、私の好意は空振りまくりである。

 14時33分には犬山に到着し、とりあえず宿泊先の犬山ミヤコホテルへと向かった。しばしば見かける趣味が悪いというかセンスの無いホテル。ここもその一つである。洋風な建物に全く合わない壷やら何やら。観葉植物の鉢も統一性がなく、ただ置いてあるだけ。1泊6,510円という値段なだけに、かなり不満を覚えた。
 呼び鈴を鳴らせど従業員は来ない。そこに不満は感じなかったので、とりあえず足を休めながら何となく15時になるのを待った。ちなみにチェックインは16時かららしい。そうこうしてたら外出から戻ってきた宿泊客が呼び鈴を鳴らし、従業員が現れた。これを機に荷物を預かってもらい、犬山城へと向かった。

 犬山ミヤコホテルのすぐ近くに、国の重要文化財である旧奥村邸がある。趣きのある建物の中身はフレンチ創作料理”なり多”。何故フレンチなのかは分からないが、それはそれでハイカラな感じがする。ランチなら手の出し易い価格なので、もし再び犬山に来る機会があれば寄ってみたいものだ。
  桜の木が先並ぶ郷瀬川沿いを歩いて犬山城へ。疲れが溜まっているせいか、国宝である4つの城(姫路・彦根・松本・犬山)の中で、最も残念な感じだった。国宝に浮かれた観光地というか、とにかく何かが残念。天守入口に仮設みたいな屋根を置いちゃう姿勢が残念。とにかくここまでで犬山に良い印象はまるで無い。
 天守最上階は外に出られるのだが、ここの欄干がとにかく低い。大人が手を添えようとすれば、そのままバランスを崩して落下してしまうだろう。景色はよく見えるものの、危険度はかなり高い。そのままであって欲しいが、そのままであるという事は落下事故が起きていないのだろう。強風の日はどうしているのだろうか。
 かなり旅に飽きた感じで犬山城を出て広場に戻ると、正面に古い町並みが目についたので惹かれる様に歩いた。本町通り、全てが全てではないものの、かなりの率で城下町の雰囲気を出した建物が並んでいる。土産物と飲食店だけが並んでいるわけではなく、商店街そのものが城下町を模している感じで実に印象が良い。ぜんざいでも食べようかと店を選んでいる内に、本町通りが終わってしまった。
完全ではないものの、その姿勢は素晴らしい。天守を構える街ならば、是非とも見習って欲しい姿勢である。私の地元の小田原なんて、それはそれは酷いものである。城へ繋がる通りの店舗は、全て城下町風にして欲しい。そういう街に住み育ったからこそ強く思う事だ。

 本町通りの終わりまで歩いてしまったので、犬山から電車で犬山遊園に行くことにした。電車はあれども扉は開いておらず。訳が分からず尋ねたところ、単なる連結待ちだった。
 犬山遊園駅に来た目的は善光寺である。長野の善光寺をイメージしていたので、すぐ近くの成田山より優先してみたが、とても残念だった。時期が時期なら花が咲き乱れているのだろうか。何かを期待して登り続けてみたが、山頂は実に寂しい状態。そこから北に出ると展望台があるのだが、犬山城天守からの景色を見た後では特別な感動は得られない。行きも帰りも誰とも合う事無く、我ながら何をしに来たのか分からない結果に終わった。
 宿泊先まで歩くつもりだったので、成田山には寄らなかった。郷瀬川橋の右手前には飲食店が2件並んでいる。犬山城へ向かう途中で見かけたのだが、特に気になったのが日東食堂。よほど味に自信があるかの様な佇まいだ。ここで夕飯を摂るために、犬山遊園駅から歩いて帰ってきたのである。
 18時15分には日東食堂に到着し、カツ定食を注文した。外見も内装も全てに置いて街の定食屋さんといった感じ。郷土料理がどうとか関係ない。とにかくありがちな定食屋。しかし、こういう店こそ美味しいものである。そして美味しかった。味については詳しくないので、語れないのが残念だ。

 ホテルに戻りチェックインを済ませると、預けた荷物は部屋に上げといてくれたらしい。部屋は5階で、高台にある犬山城から日本モンキーパークの観覧車まで見える。これであの値段かとようやく納得。フロントロビーの趣味の悪さはともかく、この景観とこの立地条件で6,150円なら納得できた。
 何よりも先に洗濯を開始。乾燥機が15分100円だったので、どれだけボッタくる気かと思ったがそれだけ強力なわけで、15分だけでかなり乾いたので後は部屋干しにした。
 些細な事だが、部屋着が浴衣なわけだけど、この帯が2週巻ける普通の物なのが嬉しい。より着易いものを用意する場所が多いが、やはり普通の浴衣か作務衣に限るだろう。

 残りあと1日。後は小牧城と清洲城を巡るだけだ。清洲城の後に2時間ほど余裕を見てあるが、足が痛いので早く帰る方向で検討しよう。

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