2015年12月13日日曜日

プリンタ壊れた。だからどうした。

プリンタが壊れた。
メンテしたが駄目だっだ。
だから捨てた。
代わりは買わない。

所有すれば便利である。
安心もする。
その反面「執着」してしまう。
執着するということは、行動を制限するということだ。
安心感を求めた結果、行動を制限することになる。
制限が増えれば不満を感じる。
安心した筈が、新たなストレスを抱えてしまったのだ。

ならばどうするか。
執着しない事である。
他人と比べない事である。

家が無くても良い。
車が無くても良い。
金が無くても良い。
家族がいなくても良い。
友達がいなくても良い。

一般社会において、
それは負け犬の遠吠えに聞こえるだろう。
実際そうだ。
認めよう。
私は負け犬である。
偉そうな事を言える生活は一切していない。

しかし、執着しないことは楽である。
年末も近いことだし、除夜の鐘と共に煩悩を捨てるべきである。

しかし、向上心は捨ててはいけない。
生きてる以上、現状維持ほどつまらぬことはない。
向上心を支えるのは何か。
夢である。
目標である。
そこへの道を明確にする事が、実現への第一歩である。
しかし、それらは欲である。
道の半ばで息絶えたら、あなたは満足して死を迎えられるか。
悔いを残さず死んでいけるか。
執着するから、悔いが残るのである。

執着はするな、でも向上心を持て。
神に頼らず、自分で行え。
自分に驕らず、神を敬え。
宗教的観念と社会的観念の中道を行く。
貧しさと山登りで得た、私なりの価値観である。

改めて言うが、
私は底辺層であり、
私の言動など1円の価値もない。
誰に読まれているわけでもないから、
恥ずかしげもなくこういう事が書ける。
これもまた、人に見られる事に執着しない結果である。

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