プリンタが壊れた。
メンテしたが駄目だっだ。
だから捨てた。
代わりは買わない。
所有すれば便利である。
安心もする。
その反面「執着」してしまう。
執着するということは、行動を制限するということだ。
安心感を求めた結果、行動を制限することになる。
制限が増えれば不満を感じる。
安心した筈が、新たなストレスを抱えてしまったのだ。
ならばどうするか。
執着しない事である。
他人と比べない事である。
家が無くても良い。
車が無くても良い。
金が無くても良い。
家族がいなくても良い。
友達がいなくても良い。
一般社会において、
それは負け犬の遠吠えに聞こえるだろう。
実際そうだ。
認めよう。
私は負け犬である。
偉そうな事を言える生活は一切していない。
しかし、執着しないことは楽である。
年末も近いことだし、除夜の鐘と共に煩悩を捨てるべきである。
しかし、向上心は捨ててはいけない。
生きてる以上、現状維持ほどつまらぬことはない。
向上心を支えるのは何か。
夢である。
目標である。
そこへの道を明確にする事が、実現への第一歩である。
しかし、それらは欲である。
道の半ばで息絶えたら、あなたは満足して死を迎えられるか。
悔いを残さず死んでいけるか。
執着するから、悔いが残るのである。
執着はするな、でも向上心を持て。
神に頼らず、自分で行え。
自分に驕らず、神を敬え。
宗教的観念と社会的観念の中道を行く。
貧しさと山登りで得た、私なりの価値観である。
改めて言うが、
私は底辺層であり、
私の言動など1円の価値もない。
誰に読まれているわけでもないから、
恥ずかしげもなくこういう事が書ける。
これもまた、人に見られる事に執着しない結果である。
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